【下書き】劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライトの感想
こんにちは。6月の公開より半年もの間観たい観せろネタバレは見せるなとウダウダ言い続けていた「劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト(以下:本作)」をようやくレンタル配信で視聴したので色々思いの丈を綴ろうと思います。考察要素は多分ありません。
尚前半は私の日記みたいなモンですので、本作に具体的に触れる文章を求めている方は太字「作品全体の感想」までスクロールください。
初見の印象
最初に視聴したのは深夜の2時。これは観終わった直後にウキウキで(日本時間で)たくさん人がいる時間に感想ツイッタースペースを開いてやろうという魂胆からだったのですが、これはかなりの間違いでした。
何故かと言うと、完全に気が滅入ってしまったからですね。他の視聴者が言うような“一回で受け取れきれなかった”部分というのは特になく、逆に“受け取ってしまった”が故に本作の持つ神性を間近に浴び、丑三つ時の回らない頭も相まって感想を話すどころではなくなってしまいました。
神性とは
本作の持つ神性、つまり神話のような我々には不可侵のものであるという感覚は、作中に於いて何度か所謂「第四の壁を越える」描写があったことに由来します。
舞台上と客席を仕切る見えない壁を越えたセリフが展開されたということは、物語の中に我々も組み込まれてしまったということなのでは、と考えたのです。物語の一部、“舞台少女に火を灯す燃料”、そういった役割で。特に(私の中では)我々視聴者のメタファーであるキリンが自分に与えられた役に涙しながら燃え尽きるシーンでそれを強く意識しました。
観了後は、どこが良かったのかなど朧げながら反芻しつつも、「作中で我々は燃え尽きたのだから、感想を抱くことなど許されていないのではないか」と恐れ慄いていました。
転機
今こうして感想文をしたためているということは上述のような恐れは払拭されたということですが、その転換点は意外に早く訪れました。
一番大きいのはおそらく「睡眠」。
深夜でおねむだったので。
寝て起きたらそこそこ元気になり、本作を観たことによるアドバンテージ、例えば二次創作が見られるようになるとかフォロワーが言ってるネタがわかるとかそういうものを得られることを思い出し、Twitterとpixivをずりずり這い回りました。
その中でも一際良かったのが、私の好きなライター兼小説家、仮面のメガネのオタクことアホちゃんこと品田遊ことダ・ヴィンチ・恐山氏による本作の感想動画です。
彼はTVシリーズ及びメディアミックスの一切を知らず、なんならアイマスやラ!くらいの温度感のものだろうと予想し劇場に足を運んだことを語っています。そんな感じですから彼が受けた衝撃はかなり大きなものだったでしょう。
ですが、初見故に本作の神性さを「TV本編を観ていないが故に理解できない部分」と処理している彼を見て私は「視聴者や観客と言っても三者三様で皆違う人間であり、キリンはメタファーではあるがメタファーでしかない」ことを思い知り、そこで完全に恐怖から離脱します。
さて、次項からようやく具体的な感想に触れていきます。当の動画は結構長いですが面白いので是非。
作品全体の感想
一言で言うと、「面白かった」です。すごく。
練られた構成と圧倒的な作画、演出、音楽、あらゆる要素が作品として一級品にまとまった、その点だけを見ても圧倒的と言っていい作品だと思います。
ですが、他の映画やアニメと明確に違う点は「ストーリーラインがほぼ存在していないこと」です。本作は最初に日常を描いたら、あとは大部分がレヴューシーンで構成されており間を縫うように華恋(とひかり)の過去描写が組み込まれるといった構成になっていました。
全体を俯瞰で見ると、「三年生になった九九組の面々がよくわからない内に卒業し進路についている」という風になるんですよね。
まあごちゃごちゃ言いましたが、要するに「お話が面白いということでは全くない」ということです。
では何が面白いかと言えば、それはレヴューの圧倒的な「画力」です。
レヴューシーン全体の印象
本作のレヴューは「ワイルドスクリーンバロック 開幕」から4つのレヴューを経て「スーパースタァスペクタクル」、「ワイルドスクリーンバロック 終幕」と流れていきます。
先ほども述べたようにこれらはストーリーに全く関わらない、ただのキャラとキャラとのぶつかり合いでしかなく、なんならそれらは心象風景の比喩である、と解釈してしまえば全く意味のないものともなりかねません。
ですがまあ、そんなことになるわけはないんですよね。スタァライトですし。
大迫力なキャラクターの躍動、叫び合う台詞、けたゝましく動く舞台装置、挿入歌…圧倒的な「力」だけが、そこにはありました。
2回目に視聴した時私は理解します。「映画館で観るべきってこういうことか…」と。
映像や音楽は、当然のごとく劇場のスクリーンで体感した方が良いんですよね。画面も音量もデカいですから。ここで、劇場で観られないことへの限りない悔しさを覚えました。ストーリーはないので感動などもない本作ですが、ここを分かった時は少し泣きました。それほど、もっと最上にこの世界を感じたい、と強く渇望してしまいます。なんならあの世界に入っていきたい。
ワイルドスクリーンバロック
本作でのレヴューは「オーディション」ではなくこのなんだかよくわからん単語のことであると説明されています。何?wi(l)dのその()はなんなの…?と視聴前からずっと思っていましたが、これの語源はSFのジャンルの一つである「ワイドスクリーンバロック」。どういうものかと言うと「まあ色んなことがめっちゃ起こって、意味深なんだが無意味なんだかよくわからんくなる」ということらしいです。知らんけど。
この説明を見てから少しですが意味はわかりました。要するに「画面に映っているものが全てである」ということなのだと思います。
「色んなことが起こる」に「ワイルド=野生」が加わっていますから、キャラクターにとっても視聴者にとっても、起こることをそのまま受け取れということなのだと解釈しました。
また作品が持つ意味云々の話に戻りますが、これって神性とは真逆の要素なんですよね。深々と意味を感じながら崇め奉り畏れ敬うのとは逆にそのままをストレートに味わい飲み込むと。この解釈に辿り着いたことも神性からの脱却に繋がっていたりします。話が逸れましたが、次項から各レヴューに触れていきます。
皆殺しのレヴュー
「開幕」とは要するにこれのことなんでしょうが、どうなんでしょうか。結論から言うと、本作のレヴューの中で一番好きです。
地下鉄の変形(これについては後で詳しく述べます)から始まり、ななが次々と面々を斬り伏せていく快感が、堪らなくカッコよかったです。
というか、これ以後のレヴューは想いの精算という形で行われていますがこれだけはななの思惑に巻き込まれる形で戦っているので、本当に迫力だけで成り立っていて大興奮でした。
具体的に言うと、
怨みのレヴュー
競演のレヴュー
狩りのレヴュー
魂のレヴュー
スーパースタァスペクタクル
CG演出について
私は一応、アニメ作品の3Dデザイナー志望なので最後に目指すべき場所という意味で感動した部分をほんの少しだけ専門的に語ろうと思います。
終わりに
長ったらしく面白くもない文章をここまで読んでくださりありがとうございました。書き終わってみるとこれほとんど感想ではなく「(皆もうとっくに分かってることについての意味のない)解説文」になってしまっていますね。精進します。
ものすごく低頻度ですがちょくちょくこのように文章を投稿していますので今後ともよろしくお願いします。
さようなら。