【下書き】創世の軌跡と、はじまり

仮面ライダーギーツ、1年間ありがとうございました。
言いたいことは山ほどありますが、まずはそこから。「ギーツ」(以下本作)には、感謝をしてもしきれない思いがあります。10月。夏を費やして準備したAO入試が不合格となり、どうにもならない思いを抱えていた私を夢中にさせてくれた、最高のエンターテインメントでした。12月。その後も失敗し続けた私に、願い続ければ叶う、そう力をくれました。3月。無事進路が決まった、新しい門出を荘厳な鐘の音で祝福してくれたように感じました。
大学生になった私の、今ここまでのモラトリアムは、本作とともにありました。本当に、繰り返しますが、感謝の気持ちでいっぱいです。ですが、だからこそ、最終回を観て、終わりを見届けるというのは中々に辛いことでした。それは他でもない、私のモラトリアムの終焉をも意味するからです。本作が終われば、私はきっと大人になり始めてしまうだろう、そう思い始めたのは、おそらく受験の準備を盛んにしていた頃からです。おもちゃを必死で集めました。恥ずかしい話校則でアルバイトは禁止だったので、お小遣いやお年玉でしたが…。それも、これで最後だな、と、ぼんやりそう心に決めていました。何もおもちゃを集めることが子どものやることだから、というわけではありません。でも、夢中になったものを、ただ直情的に楽しむことは、きっと子どものやることです。私はそう思いました。仮面ライダーのおもちゃが全部欲しい!そう思うのは、きっと子どもの夢なんです。だから、本作でそれを叶えて、次からは、今とは違う、新しいおもちゃの集め方をしよう、と思ったわけです。そして、それを実現するためには、まずおもちゃが集めたくてたまらない魅力的なものでなければいけません。そして、それを、存分に魅せる番組でなければいけません。本作のそれは、本当に本当に素晴らしいものでした。
私はおもちゃが大好きです。フィクションと現実を繋げて、途方もなく広がる妄想の世界に、道標をくれる、そんな存在です。だからこそ、「おもちゃを売ることが第一義になっている昨今の子ども向け番組はけしからん」という論調には些か、というより甚だしい疑問を持っています。おもちゃは商業主義の奴隷ではなく、それ自体がエンターテインメントなんです。ただ作中に出てくるアイテムがおもちゃになる、というところを超えた、番組とおもちゃががっぷり四つに組んだ作品を、私はずっと待ち望んでいました。それが本作です。
具体的にワードを出しても固有名詞の連続になるだけですし、そもそも一年間観てきた方ならどこが素晴らしかったなど言うまでもないとは思うので避けますが、本当に充実した展開でした。


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