感想文の書き方
Twitterフォロワーのからすまゆうきさんが自分のnoteを読んでくれた。これに関してはとても嬉しく思っている。基本的に人から褒められるようなことなど特になかった人生を送ってきたので、喜びの伝え方がぎこちないのがアレだが、嬉しい。
しかし、だ、今の自分の文章と全然違うな、とも思った。私は上京してからしょっちゅうオタクイベントに参加するようになったので、その感想文を軽くしたためてインスタグラムに会場の写真と共に投稿している。直近だとスクールアイドルミュージカルの感想を書いた。実は、それにあまり手応えを感じていない。「題名だけで飯3杯食える 実際食べたのはマックのバーガーだったが」なんて今の自分にはとても書けそうにない。手応えがないのになぜ書いているのか、と問われれば、自分は感情の言語化が好きだから…ということになるのだが、全然それができてないというか、表現が一辺倒だ。「素晴らしい」とか「素敵だ」とか、果てはもう「良い」としか言わない。台詞や一幕などを説明してから「良い」と言うだけ。なんだ?それは。感想でもなんでもない。ただの解説だ。何が縦軸だ。何が演出意図だ。評論家みたいな腕組んで作品を見下ろすカス野郎になりたかったわけじゃない。
何故こんなことになってしまったのか?いつから?私は自分の文章力には結構自信があって、昔から謎に誇っているところがあるのだが、感想文を書けば書くほど坩堝にはまっていくような感じがする。もしかして感想文を書くために作品を観ているのかもしれない。だとしたら最悪である。死んだ方がマシだ。エンターテインメントに生きエンターテインメントに死ぬ正しいオタクに戻りたいと思う。これは自分の中で正しいということだが。
とはいえ、やはりエンタメに埋もれているうちは新しい表現、面白い表現はできないというか、創作物を受け取ることと発信することは実は二律背反なのではないかな、と思う。これは大変なことだ。