妹が大嫌いな姉です。

こんにちは、ニートです。
こちらの時間軸では午前3時1分です。

なんだかベッドの中で眠れないので、ちょっと私の愚痴を聞いてください。



私には妹がいる

私は昔から運動神経の悪さと手先の不器用さでは右に出る者がいないほど最悪の体を持ち合わせていて、保育園の頃は「泥団子作れないからこっち来ないで」と仲間に入れてもらえなかったことすらあった。

そんな私には2つ下の妹がおり、彼女は私の持っていないものを全部もって産まれました。
かけっこはいつも一番、何をやらせても通常以上のクオリティ、要領が良く、顔が可愛く、気づけば人の中心になっている。
欠点と言えば手の付けられないワガママくらいでしたが、母はそんな妹のことが可愛くて仕方ないのだと幼いながらに理解をしていた。

服は妹の物を買ってから母の機嫌が悪くなければ私の分も。妹は朝起きてすぐ抱きしめて貰えるのに、同じ時間に起きたはずの私は「お姉ちゃんなんだから早く起きなさい」とビンタ。
伸ばしたかった髪を「自分じゃどうにも出来ないんだから」と切られたのに、妹はおしりまで伸ばしてトイレの際は私が髪を持ち上げていたり。
それなのに新しいことに挑戦するときは決まって私からで、少し大きくなってからは妹のかませ犬役だったのだと理解出来た。

それに気づいたきっかけは父の「まぁ、お姉ちゃんは面倒見ないって言われてるからしょうがないよ」の一言。
当時は何を言われているのか理解できなかったのですが、どうやら母は妹が生まれる際に「私はこの子を可愛がるから」と発言していたようです。

そんなことを言われたけれど面倒は見てもらえているし、多少酷い扱いを酷いを受けていても友達がいなかったので正常がわからず、あまり気になりはしなかった。



妹に裏切られた日

この日は今でも鮮明に覚えています。
私も妹もそれなりに立って行動できるようになり週末にはよくイオンのような、小さな商業施設に出掛けていた。

母はゲームコーナーで遊ぶ料金を妹に、飲み物を買いたい時用の料金私に預けていた。

当時の私たちといえばプリティーリズムのゲーム機で並んで遊んでいるうちに買い物が終わって迎えが来ていたのですが、その日は妹が雑貨屋の方向を指し、「あそこに行きたい」と発言したことにより行き先が変更。(正直行きたくなかったのですが、断って暴れられても面倒だったので)

妹と店内を回っていた途中、突然手が離れ「な、何事!?」と振り返ると その一瞬のスキをついた妹がお菓子の量り売りを手づかみで食べていた。
「やめなさい!」とすぐに怒鳴り、思い切り手を弾いてしまったばかりに妹は転び、その場で大泣き。一度泣くと手が付けられない子だったので泣きながら私に殴り掛かるし引っ掻くしで騒ぎを聞きつけた店員さんがすぐに出てきてくれた。

すぐにでも妹を引き剥がしてくれて、(今思えばかなりリスキーにも関わらず凄くありがたい対応だと思います) 「何があったの?」と私に聞いてくれた。
妹がお菓子を食べてしまった、急だったから何をどれだけ食べたかわからない、けれどお金はこれしかないと私と妹が持っていた財布からそれぞれ千円ずつを出して謝罪。しっかりした店員さんなのでもしかしたら親を呼ぼうとしたのかもしれないが、散々泣いて謝る私に「これでいいよ」とお金を受け取ってくれた。

やっと落ち着いた妹には「とりあえずお金は払ったから、もう大丈夫」と説明。
泣いて疲れたのか飲み物が飲みたいと言われたけれど手持ちがなく断ると、妹はまた泣いて暴れた。

それを沈めて、また暴れられてを繰り返すうちに両親が戻ってきて「なんで泣いてるの?」と聞かれるがこちらはぶん殴られていてそれどころの話じゃない。
妹は先手必勝とばかりに飲み物が飲みたいのにお姉ちゃんが買ってくれないと泣き叫んだ。

私は必死に説明した。
殴られながら、顔を引っかかれながら、髪を引っ張られながら「妹がお金を使った」と一言だけ。
父によって引き剥がされたあとは心配もなく、2人とも妹に「何があったの」と聞いていた。

妹はすぐさま「お姉ちゃんがあそこのお店のお菓子を食べた」 「だから私がお店の人に泣いて謝ってお金を払った」「そのせいでお金が無くて飲み物が買えなかった」

ふざけやがって。そう思った。
けれど両親は馬鹿でブスな私の意見なんて聞こうともしない。
引っぱたかれたあと車に乗せられ、母からは帰り道中「犯罪者」と呼ばれた。

いつもは寄らない小さなたこ焼き屋に寄って妹にたこ焼きを買っていた。私もお腹がすいていた。欲しいと言っても、「犯罪者は好きな時にごはん食べられないんだよ」と私だけ車内で俯いていた。

家に帰ってからはリビングで怒鳴られた。
事情を聞く前に父から殴られ、母からは怒鳴られた。
散々お金の大切さと万引きの重要性について語られたあと「どうしてそんなことをしたのか」と聞かれた。

全部素直に答えた。
私がした訳では無い。妹がやったことを、私は庇った。
妹が嘘をついている。

涙を溜めながらも、嘘をついていないのだと逸らすことなくまっすぐ目を見て語った。
母は頭を抱えていた。

「なんでお姉ちゃんはこんな嘘つきになっちゃったの?」

父は私を追い出した。庭で反省しろと靴も履かずに追い出した。
ふと顔を上げた先、何食わぬ顔でDSをプレイしている妹がいて体のどこかが冷めていくのがわかった。

まだ小学生にも上がる前だったと思う。
家族なんて、親なんてこんなものなのかと思った。
それでも嫌いにはなれなかった。

その日以降、父は私をご飯に呼ぶ際「餌」というようになった。


ルッキズムの目覚め

私が妹よりブスなのだと気づいた一番最初の出来事は保育園の卒園式だったと思う。

それまでぼっちだった私と遊んでくれたり、要領が悪いにも関わらず付きっきりで勉強を見てくれていたり。
とにかく優しくて大好きな先生がいた。

卒園式の日 その先生と小学校への話をしていると妹を抱いた母が現れる。
初めはなんだか大人の挨拶をしていたけれど、手を繋ぐ妹を見て「えっ可愛い!」と初めて聞くような声を上げた。

「鯖谷ちゃんの妹さんですか?」
「お名前なんて言うの?」
「すっごい可愛い!」
「こんなに可愛い子見た事ない!」

初めはへー、そうなんだと気にしていなかったけれど帰りの車の中 妹が呟いた「お姉ちゃん可愛くないんだね」が心に残った。
きっとこんなに可愛い子見た事ないから妹なりに考えて出た言葉だったのだろう。素直な子だったから。

小学校に上がってからは父親に「目つきが暗殺者みたいだ」と弄られるようになった。
中学に上がってからはクラスメイトに「本当に血繋がってるの?」と言われた。
うちの姉妹は二人とも一重だったのだが、瞳の半分が隠れるような重い一重の姉と何もしなくてもぱっちりな一重の妹じゃ話は全く違った。

友達からも、家族からも目が怖いと言われて  気づけば顔を上げることは辞めていた。



母にプレゼントを買った

中学三年生の冬、ふと母に買う誕生日プレゼントの案が降りてきた。
うちの母親は生粋の安室奈美恵ファン。けれど今まで自分の力でそれを手に入れる手段もなく、大体のプレゼントは手伝いで過ごしていたのだが……当時スマホを手にしていた私は人生で初めてのメルカリに挑戦することにした。

目的の品は安室ちゃんの曲が流れるオルゴール。
眠る時に流したらきっと素敵だろうと考えた。

意外にもすんなり物は見つかったものの、それなりに高い。送料を含めて四千円程だったが、当時1ヶ月の小遣いが千円だった私には痛い出費だった。

だが、今まで貯金していた分を削れば出せない金額じゃない。
考えた末に母の喜ぶ顔を優先して購入。出品者さんも優しく、初心者ですと言った私に丁寧に発送までの手ほどきをしてくれていた。

共働きのおかげで荷物がバレることはなく、そのまますんなり部屋に隠すことに成功。
後は三週間後の誕生日を待つだけだと思っていた。

ある日の朝、妹からお金を貸してほしいと頼まられる。
妹は極度の守銭奴で、貸してほしいと言う割に持っていても絶対に返さない、でも貸した分は一円単位まで請求するような女だった。

当時の私はとにかく妹が大嫌いだった。
コンプレックスの塊みたいな妹のかわし方を思春期の私はまだわからず無視や攻撃的な態度を取っていたように思う。

もちろん母はそれを許さない。
「貸してあげなさい」と言うが、そもそもの手持ちが私にはない。無い袖は振れないと断ると母の顔色がみるみる変わっていった。
どこで使った、何に散財したと怒鳴られたが「あなたの誕生日プレゼントです」なんて答えられない。
そんなことをしたらサプライズが台無しになってしまう。

何も答えないまま、逃げるように学校に向かった。
夕食の時も次の日も朝も「金遣いが荒い人間に渡すものは無いから。」と冷たく言われた。

早く来ればいいと思い続けていた誕生日がようやく来て、「これを渡したくて貯金をはたいた」とオルゴールをプレゼントした。
母は「金のかかる母親だと当てつけのつもりか」と怒鳴って、ゴミ箱にオルゴールを捨てた。

ショックのあまりすぐに部屋に戻って泣いていた。
一番悲しかったのは顔も知らない出品者さんのことで、バカ正直に「母親にプレゼントをしたい」と話した私のためにラッピングまで同封してくれていた。
全部無駄になったことに泣いた。私の一言がこんなに人を傷つけるのだと知らなかった。

ベッドの上で泣き疲れたのか 起きた時には夜中になっていて、お茶を飲もうと一階に降りたら父がいた。
「コンビニに行こう。アイス買ってあげるから」という言葉に載せられて、車に乗り込む。

父が私のためにアイスを買ってくれるなんてまず無いことなので正直海にでも捨てられるんじゃないかと思った。(うちは森の中に家があった為、帰れないほど遠くと言えば海だった)

車の中父は私が部屋に戻ったあとのことを話はじめる。
父はネックレスをプレゼントしたらしい。前に欲しいと言ってたからと。
母は「介護職だから付けられない」と箱にしまったそうだ。
「お姉の気持ちもわかるよ」「気難しいし、妹からのプレゼントしか欲しくないから。けど貰えないとそれは違うんだよ」と説明してくれた。

まだ幼い私にはそんな複雑な気持ちは理解できなくて、ただただプレゼントが捨てられたゴミ箱を思い出しては何度も涙した。



帰りの会

眠れない夜の散文のため、今日はここで終わりです。
家を飛び出してシェアハウスをしてから実家とも仲良くやれているし、妹は大人になるにつれ性格も落ち着いて来ました。

昔のことをずっと引き摺ってコンプレックスを嘆いているのは20年間私だけです。

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