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【映画考察】ジョーカー【ネタバレあり】

 週一で餃子のTシャツを着ている鯖の味噌煮です。

 今更ながら『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』の前作、『ジョーカー』の考察をアップロードしていきます。考察と言いつつ、根拠のない妄想みたいなものなんですけどもね。そもそも続編が存在してること自体この考察が不正解であることの証明になっているので、あまり真面目に受け取らずに聞いてください。

 結論から申し上げますと、『ジョーカー』は全部最後に出てきたアーサーの妄想だと自分は思ってます。

 この映画、アーサーが群衆に祭り上げられてから場面が暗転して急にアーカムの精神病棟にぶち込まれてるという不自然に急転直下な終わりを迎えてるんです。アーサーとカウンセラーはまるで何もなかったかのように落ち着いて短い会話をしています。続いて、恐らく血にまみれた足で廊下を楽しそうに歩きながらエンドロール。最後足が血に塗れているのは誰かを傷つけたor殺したということなのだと思いますが、その楽しげな様子は負の感情から殺人を犯したアーサーのイメージにそぐわない気がしました。

 だから全部妄想だったというのはかなり無理筋な気はしますが、そもそもアーサーという恋人の存在を捏造した前科のある語り部の物語ですので「どこまでが妄想だったのか」というのは語るべき議題であり、その中で当然全て妄想というのも出てくる意見だと思います。(強引)

 それで、全部妄想だった場合「で?」って話になると思うんです。じゃあ我々は何を観せられたのか……答えはただ一つです。ジョーカーが語ることなんてただ一つ、それはジョークなんです。ここに来て浮かび上がって来たのはDCコミックスが生み出したヴィランとしてジョーカーの姿だったんです。劇中、一切進むことのなかった時計の針から鑑みるに、あの瞬間にあれだけ長いジョークを思いついていたのだと思います。

ジョークを…. 思いついて

劇中より

 このセリフの直後、ある場面が差し込まれます。これこそ最大の根拠なのです。実はこの場面、アーサーが見ていない可能性が高い場面なのです。その瞬間、アーサーは気絶していました。そして劇中唯一、母親のカウンセリングにまで出張っていたアーサーが映っていない場面でした。それなのに彼はその場面を思い出して笑っていたのです。

 その場面とは、ウェイン夫妻の死体を見下ろす幼きブルース・ウェインの姿。そう、バットマンのオリジンです。それを観ていないはずのアーサーは笑いながらこう言います。

理解できないさ

劇中より

 ーー悪とは何か、と言われると非常に答えるのが難しいです。しかし、こう言うことは出来るのではないでしょうか。「悪とは正義の対極である」と。正義の味方=バットマンの誕生を、存在そのものを一笑に付すアーサーはやはり悪そのものだったんです。

 以上が、僕の妄想紛いの考察でした。まぁ、続編出たんでこの説は完膚なきまでに否定されたのですが、供養としてここに投稿させてください。

 ご覧いただきありがとうございました。

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