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本質的に生きるとは


私ってすごく相手に合わせられる。

相手が今どういう言葉を求めていてどういう事をしてほしいかって。相手が言葉にしなくても感じ取れてしまう。

だからこれまでは自然と(昔からそうしてきたから)相手が欲するだろう言葉をそのまま言ったり、相手が質問されたら嬉しい言葉を言ったりしていたわけ!


でもね!これだと私がしんでしまう!!!

私が好きなのは、哲学とかスピの話なの、
愛とか、世界のためにもっとこうしたらいいよねとか、自分の使命の話とか、ここに魂が震えるの!!!

でもこういう話をすると冷ややかな目で見られる。え!?何それ、ふーんって感じで捉えられるのよ。


しかもそれも私が言葉にしなくても感覚でわかってしまうのよね。この人にこの話をするのは良くないって。だからできなかった。

でも私の中の核の部分を話さない事には私は晴れないわけです。

ずっと心の中がモヤモヤする。

私はこれが軸であって、こういう世界を作りたくて、今情熱を持ってここに取り組んでいるとか、そういう話を聞きたいの!語りたいの。

これらが↑いききっている人って、自分を繕っていなくて、自分自身を常に見つめて、外側の意見に惑わされず、自分のやりたいこと、に対して愚直に向き合って来た人だと思うのね。だからこそ個性もずば抜けていてすごく面白い。


でもみんなそもそもやりたい事とか自分の軸ってあるはずなの。自分がカリスマ性を持って先頭に立つだけじゃなくて、誰かに賛同して突き進むも立派なやりたい事。


でもそれ以外は、社会に埋もれていく中で自分の個性を必然的に掻き消してしまう。その方が上手く生きれるからね。


でも、私は、なぜかいつも物事の本質を語りたい。
常に本質を見ていたいの。

やっぱり本質じゃないと私の心は震えない。何も響かない。

人生もそうだと思うな。そうありたい。

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