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親の心を子は知らず、現場の心を親は知らない

娘の運動会が終わった。終わったと思ったらクリスマス発表会の練習が始まった。

運動会の練習が嫌で幼稚園に行きたくないとぐずっていた娘は、今のところ発表会の練習については渋らずに幼稚園に行っている。
なり切ることや歌や踊りが好きだから、苦ではないのだと思う。今までの発表会も楽しくやっていたはず、と振り返ったらプレクラスのクリスマス会は大泣き大暴れだったな……でも年少からは楽しそうにやってる。

通っている児童発達支援施設の方にこれの次はこれで……みたいな話をした時に、「園でももっとのびのびさせてあげれば良いのにあれこれ詰め込んじゃうんですよねぇ」といったことをこぼされて、まあ発達支援する側からしたらそう思うのも無理はないのか、と思った。

きっと幼稚園の先生たちは、わかりやすい形で子どもの成長を感じてほしいと思っているのだろうなあ。でも、あれやこれやとまだたくさん遊びたい子供たちに詰め込むのはいかがなものか、と、子どもの発達にフォーカスしている人たちは感じるのだろうな。

親としては嬉しいのですよ。発表会に運動会。本当にわかりやすく子どもの成長が見られるから。日々の成長を感じないわけではないけれど、成果として見ることができると嬉しいし感動する。
実際、わたしは年少からの三年間の運動会は毎年泣いた。

日々の小さな成長や進歩を、もちろん園でも先生たちはみていてくれると思う。それを多少共有もしてくれる。
ただまあ、形があると、目に見えるものだとわかりやすい。手軽なわかりやすさは強い。

先生たちも別に子どもたちを苦しめたくてあれやこれやとやらせるわけではないとは思う。
できなかったことをできるようになって欲しい、どんどん挑戦して欲しい、そんな気持ちなんだと思う。

親の心子知らず、というように、現場の先生の気持ちは保護者には全ては伝わらないのだろうなあ、と考えた霜月の話。

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