わたしに悟れる日は来ない
40歳を不惑と表すけれど、周りの人たちは実際40超えてもたくさん迷ってるなあと感じる。良い悪いではなくてね。それだけ情報も選択肢もあるのが現代なんだよなあ。
なんてことを考えていたらStay Hungry, Stay Foolishという言葉を思い出し、これってサラリーマンNEOで見たよなぁと検索かけたら2009年にOAしていたシーズン4のテーマだったみたい(もともとはスティーブ・ジョブスのスピーチで出て来たのね)
サラNEOほんと好きなのよ……たぶんBDに焼いたものが残っているはず。思い出したら観たくなってきたけど、今は作れない内容とかもあったりするんだろうな。
配慮は確かに大切。でも、全方位に配慮してしてし尽くしたところから面白いものってできるのかなあ、とも考える。そして配慮し尽くされたと思ったものにだって傷つく人や噛み付く人がいるのだから、どこまで配慮すれば良いのだろう、そのさじ加減とは果たして。
……と話はいきなり飛んだけれど、30代も終盤にさしかかりかけた自分でも、まだまだ未熟だなあ、と感じる場面が多々ある。あと、以前を思い出してその未熟さに自分を埋めたくなるほど恥ずかしくなって、その頃と変わらない自分を自覚したときにまたさらに恥ずかしくなるのだ。
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強くなりたい、タフになりたい。悟れるようになれば惑うこともなく強くなれるものだと思っていた10代。20年以上経つのに未だ悩むのは同じようなこと、できない自分。同じ場所に戻って来たように感じていても、螺旋階段を登るように少しずつ成長しているんだと言われても、「それ本当?」とついつい思わずにいられない。
そんな自分を見ると40歳になったら惑わないとか土台無理ですね、と思う。いつまでもどこまでも惑って迷って、きっとそれが死ぬまで続くのでしょう。
気にならなくなったと思うのはかかとの皮膚と同じ、皮が厚くなって感じなくなっただけ。イラつかなくなったのはこれはそういうものなのだとそのままを受け入れたり変えることを諦めたりしただけ。
悟ることを諦めることも悟りかもしれないけれど。真理は遠いなあ。死ぬまで?死んでも?今は悟れる気はしない。