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枠があるから燃えるやつ

今日も娘と踊ったり走り回ったり戯れたり寝たりしながら1日が終わった。

副反応が出て家で寝ていた夫に、いかにして毎日大運動会を繰り広げながら娘の面倒を見ているかが伝わったようで何より。マジで走り回ったりしつこくオトッペ踊らされたり抱っこしてぐるぐる回ったりしてるからな。あ、夫の名誉のために言っておくと炊事の類は率先してやってくれる。平日お疲れでご帰宅のところ申し訳ない、ありがてえと毎日のように思っている、マジで毎日。

本当はもっと遊んであげたいさ、全身で生きる喜びを味わって欲しいのさ…でもちょっと無理さ…。まあ娘も母と父に対してそれぞれ求めるものが違うとは思うけども。ただ君の母ちゃんは結構アクロバティックなこともやっちゃうパワー系母ちゃんだってことを覚えといておくれ。

そんなこんなで今日は日中文字通り何もできなかった。もう清々しいくらい何もできなかった。これからちょいちょい頑張る(そしてまた深夜もしくは明け方コースか)

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お日さまとともに日々を生きるのが良いであろうことはわかっている。以前も書いたことがあるけど小学生の頃は朝型だったし、窓から日の出を見るのがめちゃくちゃ好きだった。なんなら外に出て日の出を見てたりした。

ただ、現状ではお日さまとともに生活をすることがかなり難しい。わたし自身の事情もあるし、周囲の事情もある。まあ結局自分がなんとかすれば…みたいな感じになってしまうのが常で、それは普段の生活でも仕事でも同じ。

マンパワーの運用でカバーって本当はあんまり良くない、本当はシステマチックでオートメーションな感じ(横文字使いたかっただけ)に色々物事運んだほうが良いと思ってる。ただ、運用でカバーすることに慣れていることと、システム的な制限がある中でどうやりくりするか、みたいなところで燃えるというか、力を発揮しやすいというのがあって(ちなみに物理的なものに関しては割とあっさり買うことで解決してる)。

それが良いか悪いかは時と場合によるけど、まーー誰でもできる、ということを考えたときには運用でなんとかっていうのはなるべくなくしたほうが良い。運用面で人に依存してるから「お前がいないと困る」というのは良くなくて、「誰がやっても回る」というのが大切だと思っている。特に会社とか、歯車としての機能性を求められるところでは。

わたしがやってる仕事は、表層的な作業だけだったらそれこそ誰でもできる。そしてもしも突然ぽっくり逝ったときのために誰でもできるようにしておかないといけない。最近これはこのコロナもあって特に強く思っている。
「君じゃなきゃダメみたい」と思ってもらうためにはそれ以上の何かが必要。お仕事させてもらっているのはもう年単位でお付き合いのある方たちばかりなので、「こいつに任せておけばまあ最低限は大丈夫」と思ってもらえるだけのものは提供できている…と信じたい。

ただ、100%何やってもOKなわけではないし、もうちょっと頑張ってくれよと思われている点も多いだろう。正直もうほかの人にお願いしたいと思われてるかもしれない。あと、個人事業主は本当にやることが流動的なので、お互いに性質が変わってくると関係の維持が難しい、ということもまあある。

……まあ、わたしの場合は他の人を探すのが面倒っていうのもあるかもしれないけどね。なかなか次を探すのが難しい仕事内容なんだよねえ。


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