お送式
昨秋、祖父が他界した。
90歳を超えた大往生だった。
祖父の生前の希望により、身内だけで葬儀を行うことになった。
葬儀に参列するのは父方の祖父以来で、もう10年ぶりくらいになる。
えっと、お通夜の翌日にお葬式で、その後遺骨を家に連れて帰るのだっけ。幸いなことに、最近葬儀にあまり出ていないので記憶が曖昧だ。少し思い返してみる。
―ちょうちょ。蝶々が飛んできた。
葬儀屋さんが、眠ってしまった祖父の最後の入浴と着替えをしてくれていたときだ。いや、蝶々ではない。蛾だった。
大きな蛾がどこからかやって来て、私たちの周りを飛び回った。ひゃぁと飛び退く祖母と叔母。すぐさま父がテーブルにあった新聞紙で器用に蛾を捕まえ、外に出した。
騒いでいた家族に親戚のおばさんが言った。
「優雅の雅(が)で、蛾(が)よ。雅志さんがみんなにお別れに来たのよ。」そう清らかに言い放ったおばさんに、私はときめいた。
うーん、あと何か思い出すこと・・・。あ、とらやの最中を食べた。
あれはお昼ごはんの後だったっけ。母が火葬を待っている時のお茶菓子に、用意して配ったのだ。
「粒はないの?粒は」と、こし餡を無造作に渡されたおばさん(蛾の名言をした)が嘆かわしい様子で粒餡を探し求めていた。お遍路さんが宿を探し倦ねるように。粒餡が本当に好きらしい。その様子があまりにも可愛らしいので、少しじっくり見守ってみた。
じわじわと記憶が甦ってきたよ。
そうだ、お通夜の時、私は悲しむ間もなく笑いを堪えるのに必死だったのだ。まずお寺で目に入ったのが“BOZE”(ボーズ)のスピーカーである。坊主がBOZEで説教する、なんちゃって。だめよ、集中。弔問客に頭を下げた。
すると目の先には、親族席にいたおじさんの5本指靴下。しかも右足が裏返し。なぜこんなに変なところにばかり目がいってしまうのか。私の笑いのツボアンテナよ、そろそろ圏外に入っていただきたい。口をぎゅっと閉じてお経に集中しようとお坊さんを見たら、お坊さんの肩に蠅が止まった。
こんな風にして、葬儀では何かしら一人笑い(不謹慎です)という事件が起こる。おじいちゃんの葬儀、大丈夫だろうか。
さて、葬儀の前日。
祖父の身を清めて納棺して下さる葬儀屋さんの方が見えた。着替えが済むと、お化粧をしてくれた。祖父は亡くなる一ヶ月ほど前に転倒してしまい、顔に痣が沈んだ沼のように大きく残っていたのだ。
葬儀屋さんが慣れた手つきで、手の甲をパレットにして顔色に合うファンデーションを作り出す。コンシーラーで痣を隠し、手際よく丁寧に顔にのせていく。あっという間に痣が消えた。
本人は痛くなくても見ているこちらが痛々しいと祖母が気にしていたが、全く見えなくなった。「よかったですね、あなた。生きているみたいよ」と祖母が涙ぐんでいる。
すると、葬儀屋さんがおもむろに携帯電話を取り出した。画面を祖父の顔から少し離して当てている。ん?乾かしているのか?あ、光か。和室の電気が暗いので、明るい光を当てて塗りムラがないか確認してくれているのだ。
祖父の頬に携帯電話が移動したとき、ちらりと待受画面が見えた。
俳優の藤木直人さんが微笑んでいる。スーツの様なシュッと決まった服装をして。
葬儀屋さんは時間をかけて、祖父の顔を丁寧にチェックし手直しをしてくれている。その度に凛々しい藤木氏が我々を見つめる。側にいた従兄弟の奥さんと目が合った。唇を歪めながらアイコンタクトを送ってくれる。いやー!こっちにも伝染しますがな。喉の奥から変な音が鳴った。隣にいた夫に小突かれたが、彼の体も小刻みに震えていた。
祖母は「あなた、こんなに綺麗にしてもらって・・・。本当に良かったですね」と、さめざめと泣き続けている。その傍らで藤木氏が、舐め回すように祖父の顔の上を徘徊している。・・・笑えない。
入念な藤木氏の見回りの後、祖父の納棺は無事終了し、その日は静かに幕を閉じた。
明けて翌日。夕方からお通夜だった。
身内だけなので、集合時間も始まる数十分前。特に挨拶回りもないし気楽だ。祖父は、洋風の色とりどりのお花と果物に囲まれて眠っていた。
定刻になり、住職が着座した。挨拶もそこそこにし、直ぐに読経が始まった。従兄弟の子供たちは不思議そうに、足をぷらぷらとしていた。しばらく大人しくしていたが、退屈という名の波は直ぐ様にその小さな足をさらって行き、末っ子は衝立を越えて隣の部屋へと消えた。
お経は途切れることなく続いている。お坊さんは一体どうやって、肺活量や腹筋を鍛えているのだろう。法事には何度か出たが、こんなにお経って長かったっけ。宗派によって違うのだろうか。
しばらくして、ちびっ子の次女が脱落した。その母も後を追う。いや、子供でなくてもこれは長い・・・。父親は、と見ると頭をカクカクと揺らしている。お隣のおじさんも・・・。言葉にせずとも、お経が長いですオーラが周りで蠢いている。祖母だけはハンカチを目頭に当てて、熱い眼差しで遺影をじっと見続けている。
やっとお焼香となった。脱落シスターズも戻り、小さな手をそれぞれに合わせた。私はといえば、未だにお焼香は緊張の瞬間である。というのも、法事で飛んだ思い出があったからだ。
幼い頃に法事デビューした私は、お焼香をあげるとき香炉の方に手を突っ込んでしまった。(そう、つまんだ抹香を置く所にね。)お寺で粗相をしたら一族にバチが当たるのではないかと、まだ純真だった私は勝手に恐れをなし、家族には言わなかった。燃えさかるように熱い指を隠し続け、食事の席にあったオレンジジュースの瓶で患部を冷やした。
以後、お焼香タイムになると神経を研ぎ澄ますのだ。試合開始の合図を待つ、フェンシングの選手のように。前の人たちの動作をしっかりと見て、どちらから取ってどちらに置くかという事前確認を怠らないために。
無事にお焼香を済ませた後は、少し気が楽になる。祖父の名前がリズミカルに唱えられた。聞こえる言葉が分かってくると、終わりの合図だ。
住職と挨拶をした後、凝り固まった身体をゆっくりとほぐし、深呼吸を一つした。
お葬式の日。またお経である。「お通夜よりは短いんじゃないかな」という父の言葉を信じた。確かに、前日よりも早くお焼香タイムはやってきた。
そして急にお経が止んだ。
「それでは、これより初七日の法要に移らせていただきます」と住職が厳かに述べた。
・・・・・な、なんと。まだ続くとな!?
そういえば、初七日の法要もまとめてするとかなんとか母が言っていたかもしれない。
法要、長いの・・・?
法要でなくて抱擁にしよう、そうしよう?
Let’s HOYO!!
なんてことにはならず、お経は更に続き、1日で2回もお焼香をあげた。(この話も長いって?そろそろ終わるよ。)
そして、いよいよ出棺となった。
不思議なもので、葬儀の間は涙を見せなかった親族一同が、お花を棺に入れるときは皆顔が崩れていた。私も知らぬ間に目が曇ってしまい、祖父の顔を見ようとしたが上手くできなかった。焼き場で骨になった祖父を見たときには、涙は出なかったのに。
肉体は、私たちにとって何か特別な意味を持つものなのだろうか。
市の保有する焼き場で、祖父の肉体は天に昇った。とても大きな焼き場で、マイクロバスがひっきりなしに出入りしていた。
警備員のような格好をした職員さんが、骨となった祖父をステンレスの代車に乗せて連れて来た。
「はい、ではこちら入れさせていただきます」と、骨壺にてきぱきと納めていく。
え、お箸で家族が一緒に入れるのではなく?辛うじて祖母と数名だけ参加したが、呆気にとられているうちに、骨壺収納のプロフェッショナルはスイスイと骨を納めきってしまった。
そして、「少し入りづらいので、蓋を押させていただきます」と、骨壺の蓋をぐっと押して祖父の骨はゴリっという音と共に封印された。私が夫の弁当の蓋を両手でぎゅうぎゅうと押し込むときのごとく。
「犬の時の方が、ここはどこの骨ですとか詳しく説明してくれてしんみりしたのに・・・」と、従兄弟の奥さんがぽつんと言った。祖母の涙すら引っ込んでいた。
焼き場からマイクロバスで葬儀社に戻る道中、お通夜で脱走したちびっ子シスターズの末っ子が聞いた。
「ねえ、ママ。この後はどこへ行くの?」
「またさっきの所に戻るよ。」
「えー。またぁ?すーちゃん飽きた、あんなとこ。」
子供は素直で可愛く、残酷な代弁者だ。バスが笑いの渦に包まれた。
「子供がいると本当にそれだけで間が持つというか、明るくなっていいわね」と母が言った。本当にありがたいと、祖母も嬉しそうに目を細めていた。
帰宅するとすぐにお風呂に入った。
父方の祖父が亡くなった時もそうだったが、風呂場に入った途端に涙腺が緩んできた。祖父との思い出がシャワーとともに、いっぱい降ってきた。拭っても拭っても、頬がずっと濡れたままだ。シャワーを浴びると心に付いた埃も流れ落ちて、感情がつるんと浮き出てきてしまうのだろうか。
祖母は今、もっと静かな夜を一人で過ごしているのだろう。
人の存在は、いなくなったときにその存在感が増す気がする。学校を休んだクラスメイトの、がらんとした机と椅子のように。
銘々の心に偲ばれる故人との語らいが、それぞれのお葬式なのかもしれない。葬るのではない。送り出すのだ。
あの世のことは分からないが、もしかしたら天国を味わう暇もなく、すぐに来世へ行っているのかもしれない。ずっと私たちを見守ってくれているよ、なんて言っているこの世の人たちにはお構いなしに。
遊びに行ってもソファに祖父が座っていないのはとても淋しいけれど、胸をノックしてみればいつでも祖父に会える。胸に秘めるまで時間がかかってもいい。そろそろどこかに行こうと思えた時に、歩を進めてみればいい。
窓を開けて夜空を仰いだ。
秋の風が、そっと私の頬を撫でた。