糸の物語 清利編
親子三代に渡る小さな糸の物語
糸くずも、寄り集まれば縄となり
縄をなって網として、小さな幸いをとらまえた
そんなどこにでもあるお話でございます
事の始まり
ところ北海道は函館
時は函館戦争のまっただ中
会津藩の足軽を取りまとめる「高野」という家の者が命からがら逃げ落ちましたのが海と山とにぐるり囲まれましたど田舎「泉沢」という土地の漁師網元、周囲の漁師の長の家であります
高野のほうではもうすでに少なくなった家臣達を連れ戦火をようようかいくぐりながら、奥地へ逃げ延びようという処ではございましたが家財一式、幼い兄弟二人を抱えての移動は困難を極め、この漁師の家に直談判でございます
「ここの主人を男と見込んでお願いがございます。
私はこの兄の方を連れ、更に奥へ奥へと恥ずかしながら逃げ延びます。
いずれ世が変わり高野の家を再興させるまで潜もうと思っておりますが
ごらんのとおりの成れの果て、この家財と弟をどうか預かってはくださらないか。どうか、どうか一つよろしくお願いいたします」
と頭を下げたが早いか
「うちにはちょうどせがれもいない。田舎暮らしで苦労はさせるかもしれないがいずれ世が変わりあんた方が世に出るその日までわしらがが大切に育てる。任しとけ。」
と一つ胸をポンと叩いて事が整いました
ここに「坂本」という家が誕生します
これが種となり、元々漁師として勤勉に働くこの家はこの田舎では押しも押されぬ大きな家となっていきます
ここまで話しておいてなんですが
この高野の家もこの坂本の家の英雄団も本編とはさほど関わりもなく
そこから数代経ちまして、特に本家筋でもなく長男でもなく、おおよそ物語の主人公としては頼りのない感じで
どこかしらの分家当たりのおおよそ三男あたりのポジションでほやりと生まれた男の子清利君がこの三代の物語の主人公でございます
ポジションとしては頼りなくほやりと生まれたのではございますが、この男の子大変聡明で努力家
メキメキと頭角を現しまして、まだまだ文盲という文字の読めないものが多いこの田舎にあって文才、書に大変優れた子に育ちました
「清坊、この字は何て読むんだい?」婆
「お~い、清、こりゃなんの事をいっとるら」ジジ
と、坂本家だけではなく近所の人が押すな押すなで頼りに来るような
物静かながら立派な青年になり函館の町の郵便局でお勤めを始めます
この田舎じゃちょっとしたインテリなお仕事といって良かったでしょう
本家でも坂本家の期待星だとめっぽう可愛がられた事でございます
さて、うら若き田舎インテリ君も少し大人になりまして
「おぉい、坂本君~!清利君!ちょっと今夜は町へ繰り出してみようじゃないか!」と、誘われるままに
当時栄えておりました函館の繁華街へ繰り出しクラッシックやジャズや小粋な人々に触れるようになっていきます。
それは本家の裏に出る山の主の事や魚臭い網の事や、押し寄せるジジババの事など全て忘れさせる華やかさと美しさがありました
「あぁ~!こんな素敵な世界があるなんて!!これは村のみんなにも!」
と、そこは気の良い青年ですから張り切ってこれを田舎に持ち帰りまして田舎芝居を始めます
そこらにある着物や、なげうってある材木を細工しまして村の青年たちと村芝居
国定忠治ときめこみます
テレビもそうは無い時代でしたから
町で見聞きした情報
ラジオで聞く浪曲や落語
旅芝居から懸命にセリフを切り取りまして台本を作り型を決め
八面六臂の活躍をして芝居を作り上げます
普段は物静かな青年が打って変わったようにきり~っとセリフときめますと
「よ!清利!」
「きよぼぉ!」
「日本一ぃ~!!」
たちまち人気になりまして、村祭り恒例の出し物と人気を博した訳で御座います
元が勤勉な人でございます
仕事の合間を縫いましてそれは夢中になって芝居を作ったものでございます
そんな噂を知ってから知らずか、ここで小さな運命の輪がいたずらを致します
「おい、清利くん、君も芝居をするらしいが、あの金森倉庫に面白い人が来るらしいぞ」
今は芝居と言う言葉が気になって仕方のない清利君、ここはおっとり刀で出かけてまいります
俺だって(田舎じゃ)日本一と言われた男、そんなやつなどひとのしに!とまではいかないまでも
まぁそこそこ息巻いてまいりました先におりましたのが
誰あろう
若き日の喜劇王、益田喜頓その人でございます
その身なり、立ち居振る舞い、知識の量
小さな村の気の良い田舎侍であった清利君にはあまりに衝撃的な出会いでありました
清利君、しばらくは飯も喉を通らず気もそぞろ
喜頓氏が滞在する間はびったりと彼のいるバーに通い詰めたことでございます
「おーい、最近の坂本君、、、どうしたかね、どうも仕事に身が入ってないようだが」
「清坊どうしたかね、最近めっきり元気がない、いやまぁもともとおとなしい子だけれど」
と、職場でも田舎でも心配仕切りではありながら普段の生真面目さが信頼されていたのでしょう
どうやらあいつも年頃だ恋煩いでもしたに違いないと皆が勝手な妄想でオチをつけようとしておりました頃
突然清利君息を吹き返し仕事をてきぱきと片づけ後輩の育成に力も入るといった体
おぉ何よりだ、これはもしかするとそろそろと縁談の話でも持ち上がるのではないかと周りはそわそわ
そこに「おじき、話がある、じさまと皆を呼んでけれ」と本家のみんなを集めるくだりになりました
おぉおぉいよいよ縁談だと祝いの品さえ用意して集まるみんなの前で清利君の口から出ましたのは
「おら、東京さ、出る」
「?東京のおなごか?」
「おなご?何の話だ?おら、益田喜頓さんさ付いて行って芝居さやる!
役者になるんだ!!もう今夜出る。荷物もまとめた。今日は暇のあいさつに来た。長々世話になったが、もうおらの事は死んだと思って忘れてけれ」
これには全員青天の霹靂でございます
「何を血迷っとるだ!何を言って居るだ!気でも違ったかこのタコスケ!!誰のおかげで今の生活があると思っとる!!!」
清利の田舎インテリも一朝一夕に出来上がったものではございません
当時郵便局に勤めるまでの勉強をさせてやるに十分なお金は本家の力もあっての事でございます
あちらこちらから心配の声と怒声が行き交いますなか
もとより物静かな清利でございます
ぐっと畳を睨んで「いぐと言ったらいぐ」「いぐと言ったらいぐ」とつぶやき続けるばかりでありました
こういう時は元がもの静かな人間のほうが頑固で恐ろしい物であります
何をいってもテコでも動かない
みんなが途方に暮れて言葉を失ってややしばらく
ドン!!
と大きな音がしてみんながハッと顔をあげますと
本家の大叔父が畳に包丁を突き付けてものすごい形相で清利を睨みつけております
「いいか、清、おらおめさが可愛い、だから言うんだ。役者になどなれん!この田舎だからおめさは日本一だったが東京の役者なんてヤクザもんの集まりだ。おめぇは騙されとる!こんなに頑張ってきたおめぇをヤクザもんになど出来ん!もしどうしても行くっていうだら、おらを殺してから行け!!」
さぁ、清利もこれには参りました
清利を自分の子よりもわけて可愛がってくれた大叔父に、もう何を言えよう
大叔父を殺していくなんて、そんなことが出来るだろうか
それでも自分の衝動は「東京さ!東京さ!」と叫ぶ
頭にカッカと血が上るやら冷や汗が出るやら
何がなんだか分からなくなって、目の前の包丁をハッと手に取ってしまった
が、手に取ったのが早かったかみんなが取り押さえたのが早かったか
わっと取り押さえられてもんどりうって上を下への大騒ぎ
最後には「ぎゃぁ~!」と子供のように泣きじゃくり
頭を掻きむしりするのを周りの人間がなだめすかして家へ帰らせることに
翌日からしばらく清利は親戚の者に預けられ監視のもとに過ごすことになりましたが
この夜を境に清利の胸はもう決まっていました
もう、全てを諦めよう
函館というのは
北海道の中ではそう雪の多くない地域なんです
でもその日の夜は、しんしんと、しんしんと
大ぶりの雪がふっていました
耳元でサー、サーという雪の音しか聞こえない
目の前は一面真っ白
白のほかには何も見えない
美しい世界
カバンの中には、東京行きのチケットと喜頓氏からの「東京へいらっしゃい」という短い一文の手紙
そのすべてを忘れようと、清利はカバンごと鈍色の海へと放り投げたのでありました
天気が良ければ本州の端っこが光って見える、こんなに近くてこんなに遠い
ここは北海道では最南端、東京には近い、、、近いところのはずなのに
カバンが沈むのを見つめながら、もう涙一つ溜息一つも出ない清利でありました
※ピアノBGM(byわたなべまき)
それまでも酒を嗜みはしました彼も、それからは溺れるように酒を飲むようになります
しかし、酒を飲んで忘れてくれるものなら目をつぶろう
家中の者は彼を腫物のように扱いながらもただただ心配することしかできなかったのでありました
楽しみだった田舎芝居もそれを境にぷっつりとやめてしまう
ただただ仕事をしてはどこを見るでもなく何を話すわけでもなく酒を飲み、ただ、飲み
一つバランスを崩すと二つ三つと転がってしまう物なのか
その後結婚して玉のような元気な男の子に恵まれたのはいいけれど
張り切って「さこう」という位の高いお坊さんの立派な名前を付けたら
立派すぎて当時の人名漢字にはなく
結局付けた名前が「一男」
まぁ結局内内ではさこうと呼んでいたのですけれど
この男の子可愛くてやんちゃで元気が良い
ただ!お父さんに似ずお勉強はからっきし
これでは郵便局のお勤めは少し怪しい、、、
漁師や農家といういわゆる「家業」は無い清利です
可愛い子の為に家業を作ろうと私財を投じてミンク事業を始めたら
届いたのは全部ただのねずみ、、、
最終的には妻とも別れ
長男のさこう一人を連れ本家の離れで酒を飲み暮らす日々
諦め、諦め無ければならないようなことの連続
それでも元気で可愛いさこうの為に
頑張らなければと最後の緊張の糸を張っていたものの
肝心のさこう君は中学を卒業すると同時に仕事を探し札幌へ
木綿のハンカチーフよろしく花の都会に染まって
連絡も少しずつ来なくなり
なんならあまりいい噂が流れてこない
さこう君、その年のお盆はとうとう帰ってこなかった、、、
ある日の酒場
いつも通う店は線路沿いにあって、カタコト言う列車の音を聞きながら一杯傾けるのが清利は好きだった
もの静かではありながらも、幾らか話の応対をする清利もこの日はどうもぼんやりとしている
どこが、とはっきりは言えないものの変な雰囲気があった
「そういや、札幌さ行ったさこう君だったかい?どう?うまくいってる?」
「、、、今年は盆もかえってこながったな」
「そっかい、でもあれだべさ、おどこだし、里心ついてかえっでぐるよりずっと良いんでないかい?」
「、、、良い!?帰ってこなぐて良いってかい!」
みんながギョッとするほどの大きな声が出た
清利自身もそれに驚いたようで
「いやいや、良いっていうのかい?」と照れ隠しのように
もう一度つぶやいた
「いやぁだ、びっくりすべさぁ、そんなおっきな声出して~飲みすぎたんれないの?」
「はは、そうだ。のみすぎら。 おら、のみすぎたんらなぁ、、、。
もう、、、帰るわぁ。、、、世話になったな」
「おぉ!清さんしたっけね!まぁだあしだまっでるよぉ!」
「おいマスター、今清さん世話になったなぁなんで言っだがい?なんか、変でないかい?」
「あれぇ、変かい?まぁなんか今日はちょと変だったかも知んないけどそんな事もあるべ」
「どうも、おら気になるなぁ」
北海道は盆が過ぎるとすっかりと秋の風が入り込んでくる
残暑などという言葉と無縁の土地でして
その日の夜もスーッと冷たい風がどこかから吹いていて
秋の虫の声が響き渡る
夜空がヒカヒカと鮮明でかえって切なげに見える
美しい夜でした
秋の夜長
何かに魅入られたのか
本人が思い余って飛び込んだのか
酔った勢いで誤って入り込んでしまったのか
今となっては誰もわかるものもない
その夜
静かな田舎の踏切で
清利は一人
銀河鉄道の切符を手に入れてしまったのでした
昭和43年8月25日
坂本清利 永眠
息子一男、まだ齢19歳若い盛りの頃の事でございました
しかし皆様悲しむのはまだ早い
冒頭に申しました通りこのお話は「親子三代の物語」
一大大河ドラマとなっておりまして
お話はこのまだうら若いイケメン
細っこくてやんちゃな一男君
またの名をさこう君に移ってまいります
が、今日はこれぎり
親子三代物語清利君編はここまで
ちょうどお時間となりました
ちょっと一息願いまして
またのご縁とお預かり