こんな夢をみた
こんな夢を見た。
気が付くと僕は片田舎の本屋の看板だった。
老人は曲がった腰で重々しげに毎日シャッターを上げては閉め、店先のワゴンを出してはしまい。変わらぬ日々を送っていた。時に子供が絵本をねだり、少年は少し早い性の目覚めを後ろめたそうに覗き、OLが旅の予定をみつけあて、主婦は今日の夕飯を探し当て、サラリーマンは小さなロマンを抱きしめながらそこで過ごしていた。しかし、誰もが知っていたであろうその日はやってきた。本屋の最後の日。僕の役目も終わった。最後のシャッターを閉めようにも腰が痛くてそれが叶わない老人を、腕のない僕は手伝う事も抱きしめる事も出来なかった。声の出ない僕は、労わる事さえ、出来なかった。
僕は、老人を、救えなかった。
気が付くと僕は中華料理店の看板だった。
干からびた食品サンプルが並んだショウウィンドウを悲し気に見つめる初老の男が目の前にいた。スーツ姿で髪を分けてはいるが、肩にはフケが降り積もり、そのスーツもよれよれで色あせていた。靴は所々剥げ、踵は擦り切れて穴が開いていた。生唾を飲み込んで食い入るようにショウウィンドウを見つめながら「あぁ…腹が」耳を澄まさなければ聞こえないようなうめき声で男はつぶやいた。そのうち中から店員が現れて男を追い払ってしまった。
僕は、男を、救えなかった。
あの男はもうきっと何日も食事をしていないのだろう。よれた姿でありながらも、なんとか身なりを保とうとする姿と姿勢の美しさ。彼は実直な人間ではなかっただろうか。一言二言事情を聞くだけでも何か変わったかもしれない。
でも、僕は、彼を救えなかった。
なにせ僕は今看板だ。彼の為に涙一つこぼす事さえ叶わない。
その絶望に飲まれた瞬間
僕は駅のホームに吊られた駅名の看板になっていた。
多くの人が通り過ぎる。このスピードで行き過ぎてくれるのなら、誰かに感情移入をすることもなく苦しむことはないだろう。安堵したその時だった。僕は見つけてしまった。そのスピードの中、一人だけ、どこに行く事もなくただホームにたたずむ女性の姿に。背が高く、すらりとした美しい脚をタイトスカートから覗かせてひときわ華やかにみえるはずのその女性は、まるで時の狭間に取り残されたように見えた。息をしているのかさえ、定かではないほどだった。もし、手が伸びるなら彼女の肩に手も置けただろう。声が出るなら声をかける事も出来ただろう。
しかし、今僕は看板だ。
彼女をただ見つめる事しかできない。僕は祈った。せめて駅員が声をかけてくれないか。いっそすべての列車が今日一日で良い、止まってはくれないだろうか。その間に彼女が何か思い直してくれたりはしないだろうか。
しかし、僕の願いはかなわなかった。
彼女は綺麗な放物線を描いてホームの先の世界に飛び込んで行ってしまった。
僕は、彼女を、救えなかった。
もう、こんな思いはしたくない。何も出来ないのは辛すぎる。
どうかこの存在ごと、意識ごと消してほしい!
そう願った。
あぁ…なんてひどい夢だったのだろう。やっと僕は僕の姿に戻った。
今僕は春風に揺れるタクヤ君の名札に戻る事が出来た。
目の前の女の子が転んで泣いている。僕はまた女の子を救う事が出来ない。
でも、大丈夫。
優しいタクヤ君が女の子に声をかけて絆創膏を差し出している。
僕は今、誇らしく、安堵して、この世界で春風に揺られている。