斜視と向き合う
私にとって斜視であるということは、とてもパーソナルな問題で、自尊心、自己肯定感、自分を認めてあげるポジティブな気持ちを全て台無しにしてしまう問題だった。だから、自分が斜視であると言うことを知っていながら、見ないふりをして生きてきたのだと思う。
正式には、わたしのものは間歇性外斜視というらしい。見ないふりを続けてきたせいか、ずっと付き合ってきた左目がこんな名前がついているだなんて(症状といいたい)初めて知った。
物心ついた頃から、どうして私はこんなに眼科に通わされているんだろうと思っていて、もちろん自分には自分の目がどうなっているかだなんてわからないから、こっち向いてとか、集中してとか、目に力を入れてとか、母に言われていた意味がわかったのは鏡で左目だけ動いてしまう自分に気づいてやっとだった。
幼少期はかわいいかわいいと育てられ、自分はかわいいんだ!と思い込む自己肯定感エベレスト幼女でしたが、成長するにつれて発症した斜視に、まさかこんなにも傷つけられるだなんて知らなかった。周りとの違いに敏感な小学生時代、自己肯定感諸々、さまざまな感情を育てていく多感な時にカメレオンだなんだと言われることにどれほど傷ついたか!知らずのうちに斜視になっていて、自分がどう見えているかがわからないことの怖さと言ったら!いま相手は私の顔をおそろしく思っているかもしれないとひとたび考えてしまえばとまらなくなって、写真は得意ではないし、なんとなく、人と目を合わせることが苦手になった。目を合わせているうちに、斜視になることが嫌だからだ。だって鏡にうつる斜視の私の顔がとても不気味に思えたから。
小学生時代って容姿に関する指摘がストレートで、それでも直接、斜視のことを指摘してくる人なんて思い当たるのはひとりやふたりくらい。そのほかの大勢は言わないでおいてくれたのか、気にならなかったのか、陰で言っていたのかは知らないけど、小学生ながら大人な子たちだったんだなと思う。比較的恵まれていた。
それでも、事あるごとにそれを言ってくる子の容姿のことを私は一度たりともバカにしたことなんてないのに、どうしてこんなに言われなきゃいけないんだろうと思っていた。
おかげで自分の容姿を良いと思うこともできずに小学校を卒業した。やたらと絡んできてはカメレオンだのなんだの言ってくる男子の顔が今でも忘れらない。一生許せないと思う。
中学生時代になるとそう指摘もされなくなった。高校生になってからは一度も指摘されなかったし、なんというか、自分が斜視になっている時の感覚ってなんとなくわかるもんだと思い込んでいた。(10数年の時を経てそれが思い違いだったと思い知ることになるけれど)私調べ、ぼーっと焦点を合わせずにいる時、疲れて寝不足な時に「斜視になっているかも」という自覚があったから、ゆっくりめの瞬きを意識したし、前述の斜視になりやすい時には両目で見ることを意識した。多分、斜視じゃない人にはわからない感覚なんだと思う。自分の目がどっかに行かないように力を入れるなんて、まあやったことないよね。
大学生になって、就職活動をしているときに、最終選考で身体検査があった。A社とB社の二社ともに同じタイミングで選考が進む中、A社は私の目の検査だけ何度も何度もやり直して、ひとりだけ別室に案内されて既往症や自覚症状の聞き取りがあったり、「うーん」といわれたりすることがまるで斜視の答え合わせをされているようで、繰り返すたびにとても不快で、悲しい気持ちになった。もともとどちらも通ればB社に行こうとは思っていたけれど、決定打になったのはこのことだったと思う。結局どちらも内定をもらって、目の検査はしたけれど、差別的な検査は決してしなかったB社に就職した。
それだけ嫌な気持ちになっておきながら手術を考えたことはなかったのかというと、あった。何度かあったものの、主に真剣に手術を考えていたのは幼少期で、幼少期の手術は全身麻酔で行うことが母はとても気がかりなようだった。幸い視力は1.0以上ずつあって(今も)、複視もなく生活に支障はきたさないようであれば、大人になってからでもいいかもねとかかりつけ医に言われたらしい。加えて家族は「気にならないよ」とか「そんなことでなんか言ってくる人がいるならパパが文句言うから」とか言ってくれたけど、そりゃそうだ。だって家族だもん。気にしてたらそうやって声かけるよね。私自身、そんなに気にならないものなのだと思い込みたくて、気をつけていればでてこないものなんだ!と思いたくて、手術のことを真剣に考えなかった。
いろいろな経緯があって今やっと手術に踏み切ることになったけれど、ことの経緯をしっている上司は、全く気づかないくらいだったし、気にしなくていい。これをきっかけに手術するのも嫌なのではと気にかけてくれた(親身になって話を聞いてくれて、とても心配してくださり、心から感謝しています)けれど、彼に知ってたよと言われたことが衝撃だった。なんていうか、前述の通り斜視になっているときは自覚できていると思い込んでいたし、彼と会っているときは斜視のことをすっかり忘れていて(というか意識を集中していたのでまさか斜視になっているだなんて思わなかったし)、知ってて言わずにいてくれたんだの気持ちと、知ってて複雑な気持ちになっただろうなと思った。斜視という単語を避けて話をしていたけど、聡い彼は察していて、ここでそうなの、気づかなかったって言われても嘘つけって思うでしょといわれてとても納得した。
まあ実際色々調べてみて、局所麻酔であれば日帰りで手術できることや手術費も想像の5分の1くらいで(20万とかかかるのかと思ってました)、手術するほうに気持ちは傾いていたのだけれど、解決できることだし、むしろこれで解決したら誰にもなんの文句も言われないじゃん。無敵だよ。手術すれば?と言われて、確かに〜!と思って手術することにしました。なんか、医療脱毛とかシミ取りレーザーとか気軽に決めてガンガンやってる割になぜ斜視をさきに手術しなかったのか?と術後の今は思っていますが、コンプレックスが故にそんなに簡単に思いきれなかったんだよね。自分のことながら、蓋をして見ないふりをしたくなるコンプレックスもあるんだな。
それでも!実際にじゃあ手術しますとなり、良さげな眼科を自分で調べて、受診するとなると、看護師さんに「斜視のための受診ですね」と言われただけですごく傷ついた。いや看護師さんは悪くないです。事実なので。
いろいろな検査をして、診察の時、先生に斜視ですね(斜位とも)と言われた時、物が二重に見えるわけでもなく、眼精疲労で頭痛がするわけでもない。どうして今?と聞かれた時に、説明しようとすると涙が出てきた。
泣いている私に、根深いんですね、手術で治すのが1番手っ取り早いんですが、どうされます?と言われた時、あぁ、深く根を張った悩みだったんだなと、私は斜視と共に生きてきたんだなと、その時やっと受け入れようと思えたと思う。
私はずっと、斜視であることを隠したいと思いながら、隠して生きてきたのだと思う。でも本当は、自分が1番わかってた。このままなくなるものなんかではないことも。向き合うと傷つくことがわかっていたから向き合わずにいたけど、向き合わない限りはずっとなんだか後ろめたいものを持って生きていくことも、ずっとずっとわかっていた。図星だから指摘されるだけで悲しい気持ちになっていたんだ。
こうして、私は斜視の手術をすることに決めました。手術レポは記憶が鮮やかであるうちに、いつか誰かが思い立った時の支えのひとつになればいいなの気持ちで書くので、続きます。