弱い自分と生きていく
2週間前、心の調子を崩した。
自分でもびっくりした。
大阪から逃げるように実家に帰った。
今考えるとどうしてあんなことで、とも思う。
けれど、確かにあの時は本当に死んでしまいたいぐらい辛かった。
実家に帰ったあとも大阪に戻りたくなかった。
大阪に戻ったらまた元の自分に戻ってしまう気がして。
実家に帰ったことについても、「社会人になって何を甘えているのか」そう思われるんじゃないかと思った。
別に誰かがそう言ったわけではない。誰も直接そんなふうには言ってこなかった。なのになぜかずっと自分自身が逃げて帰ってきた自分に対して後ろめたく感じていた。
*
昨日畑で玉ねぎを収穫した。
数にして数百。
家族総出で作業を分担して、引っこ抜いては袋につめて、運んだ。
家族みんなでひいひい言いながら作業をするのが楽しくてたまらなかった。
作業中、久しぶりにおじいちゃんと2人で話した。
うちの両親は私が1歳になった頃からがっつり働いていたので、昔からおじいちゃんおばあちゃんに面倒を見てもらっていた。
昔から大小問わずたくさんのことを教わってきた。
「お風呂に入ったあとは次の人のために、自分が入った時より綺麗にして出ること」
「今日1日を無事終えられたことをご先祖に感謝して生きること」
「よく食べてよく働きよく眠っていれば十分なこと」
久しぶりに2人で話をして、過去の大切な時間を思い出した。
実家にいる間、いろんな時間を過ごした。
朝、おばあちゃんと庭で四つ葉のクローバーを探した。ここにもある、ここにもある、とすごい速度で見つけるおばあちゃんに笑った。
夜、横着して出しっぱなしにしているコタツで爆睡する両親をかわいいと思った。
季節外れのスイカを食べて種を植え、日なたぼっこしながらおにぎりを食べた。
自然にも癒された。
たくさんの鳥の鳴き声
そよぐ風の匂い
肩に止まる羽虫
あったかい土の感触
いつか戻ってこようと決めた。
自分は甘ったれで、家族に依存している、弱い人間だ。
それをこの期間で痛いほど実感した。
実家に帰ることができなかったら、この時間を過ごすことができなかったら、今頃自分はどうなっていただろう。
この期間、ダサくて弱い自分に絶望した。
そして家族や自然のおかげでその自分を認めて、生き延びさせてくれた人に感謝した。
今度はじゃがいも掘りに帰っておいで。
落ち着いたらまたお出かけしようね。
そう見送られて、今日一人暮らしの部屋に戻った。
明日からまた落ち込んだり、辛くなったり、ダサくて弱い自分を知るのだろう。でも、その先に自分を待っててくれる人がいること、場所があることも知った私は頑張れる気がする。
弱い自分と生きていこう。