神谷 塁 選手について

神谷 塁 (かみや るい)選手のポジションは内野手登録ですが琉球ブルーオーシャンズでは外野手をやっています。つまり内野外野どこでもいけます。足がめっちゃはやーいです。現地で見て驚きました。ちなみにチームメイトの1人の隣人です。選手のインスタライブには閲覧でのみ登場するタイプです。喋るとふてぶてしさというかたくましさを感じて昭和のOBに好かれるタイプだと思っています。

神谷塁選手


1995年8月7日生まれの25歳。
1995年の夏の甲子園大会開幕の日に1人の男の子が生まれました。
お父様が「ショート」「球児」と野球にちなんだ名前を候補としてあげる中で「塁がいい。塁がかわいい」とお母様の言葉でその男の子の名前は決まりました。

少年はやがて野球に夢中になりプロ野球選手を目指すようになりました。
北山高校では3年時に県大会初優勝を達成し卒業後はビッグ開発BBCにて社会人として3年間プレーをし、その後進んだ独立リーグ石川ミリオンスターズでは2年連続盗塁王に輝き、読売ジャイアンツのプロテストにも合格をしました。NPBへの道が確約されたわけではないが彼にとっては大きな合格です。

石川ミリオンスターズでの二年目の秋に、彼は心に決めていました。

ドラフト会議で名前が呼ばれなかったら野球を辞めて沖縄に帰って野球を引退する。そのことは自分に

と名付けたご両親にも伝えました。

運命のドラフト会議当日
各球団から1人1人、名前が呼ばれていき
自分以外の人生にプロ野球選手になる道が拓かれていきます。
育成指名に切り替わって、ついに名前が呼ばれることはありませんでした。

もうやめる気でした。
地元の沖縄に初めてのプロ野球球団が旗揚げされたことも知っていたけれど、ダメだったらそちらのテストを受けるなんて生半可な覚悟のドラフトじゃありませんでした。すべてをNPBにかけていました。

「選択終了」

その言葉はプロ野球選手を目指した神谷塁が終わるはずの言葉でした。
しかしその言葉は神谷塁を終わらせませんでした。

「オレ、ここで名前を呼ばれたい」

終わるつもりだった。
叶った夢も叶わなかった夢も
いつか終わりを迎えます。
その終わりのときが寂しいものなのか華々しいものなのかは選べる人間なんていません。

神谷 塁
琉球ブルーオーシャンズ 入団!!

ユニフォームを着ました。

終われなかったのか、終わらなかったのか
いや、続いたのでしょう。

また夢を追いかけました。

琉球ブルーオーシャンズでは元NPBの指導者に恵まれて走塁も打撃も守備も磨きました。伸び代も可能性もまだまだありました。

確かに25歳という年齢はネックです。
しかし、
塁という名前に生まれた25年の歳月はここまで支えてもくれました。

NPBに名前が響くその日まで。

神谷塁 選手!!
応援してます!!がんばってください!!

神谷塁選手が登場する記事等

https://news.yahoo.co.jp/byline/doimayumi/20200302-00165401/

沖縄初の球団「琉球ブルーオーシャンズ」から“NPB入り第1号”を狙うBC盗塁王・神谷塁、3度目の挑戦

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