初投稿
みなさまはじめまして!サータロと言います。
名前の由来は琉球ブルーオーシャンズのアカウントを作るにあたって名前を沖縄っぽいものにしようとして「シーサー太郎」にしていたらリプライで「シーサー太郎さん」と呼ばれるのが恥ずかしくなってそれっぽく縮めました。
普段はツイッターの140字の枠からは出てきませんがマイペースに書いていこうと思います。
字数制限がないっていいですね、琉球ブルーオーシャンズを字数の関係で琉球BOと書かなくてすむし句読点を消さずにすむ。なんなら沖縄をちぇるちぇるランドと書いても字数を気にしなくていい。楽。
さて、今回は初めての投稿なので初めて現地で琉球ブルーオーシャンズのファンのはじまりを書こうと思います。
私は元は森監督時代のゲレーロ選手と亀澤選手の絡みから沼に入りドラゴンズファンであったけどなんやかんやで森SDとデニー友利さんが退団し勝崎さんも退団して亀澤さんが戦力外になりファンとしてはこの世の終わりかと思っていた。
戦力外になったあとに亀澤さんが「カンボジアに行きたい。カンボジアに行って学校を作る」と言っていたときはどうしようかと思った。野球選手という華やかな世界にいる人が野球以外の世界にも憧れを抱いてくれることは野球の世界の外で働く人間からしたらそら嬉しい。そうなんだよ、働いてる人間はみんなかっこいい。サラリーマンも工事現場のおっちゃんもかっこいいし家で家事をする主婦もかっこいい。でもカンボジア!いや学校を作るのは大事なことだけどカンボジア!動揺して日本からカンボジアへの行き方を調べましたが日本からだと1日1便直行便が出ているそうですね、カンボジア!推しがカンボジアに行ってしまったらどう推せばいいのか悩みましたね。
そのあとにNPBのトライアウトを受けてくださって解説にきていた琉球ブルーオーシャンズのSD田尾安志さんが亀澤選手を見て「亀澤がいるんですよね…」と言ってくれたりしきりに琉球ブルーオーシャンズに欲しいなって言ってくれたり亀澤選手のプレーに対して「格が違う」「(琉球に欲しいのに)活躍しすぎ!」って言ってくれたりもうこの時点で私の心は
「田尾さまについていくワン!🐶」
と従順になっていた。中継の最後の方ではもうテレビに向かって田尾さんを拝みながら見ていた。そのぐらい、田尾さんの言葉は嬉しかった。
トライアウトであっても出てくる選手はみんな誰かのヒーローですからそのヒーローを褒めてくれる田尾さんの言葉は出ている選手たちも嬉しかっただろうし自分のヒーローの姿を目に焼き付けるように見ているファンの涙腺もぶっ壊していった。
そして亀澤選手の琉球ブルーオーシャンズ入団が決まったときに出た言葉は
「よかった…!日本国内だ!」
だった。沖縄は二月にキャンプを観に行っているから知らない土地じゃないし行きやすい!と嬉しかった。コーチも兼任するとのことで、それに関しては以前先生になりたかったと言っていたし教えたり育てたりが好きなのだろうから普通に納得をした。
「亀澤恭平さんの門出じゃー!」
と思ってスポンサーにもなったしファンクラブにも秒で入った。
そのあとに勝崎コーチの入団も決まって
ホホホホホ、好みが合いますことね
と思ったし
名古屋のときですら冬の屋外練習でしか見たことのなかった勝崎コーチの長袖がなくなるんじゃないか
勝崎耕世コンディショニングコーチの腕から袖が消えるんじゃないか
とは思った。
SSR 長袖の勝崎コーチ
琉球ブルーオーシャンズから勝崎コーチを始めた勝崎コーチ1年目の方はご存じないかもしれないが、勝崎コーチはほとんどいつでも半袖である。元気。
そして、まだこの頃は琉球ブルーオーシャンズのことはなにも知らなかったが自分のヒーローにまだ居場所をくれて、まだ野球ファンでいさせてくれたチームだから最初からちゃんと好きになって応援しようとは決めていた。
この頃はまだ公式のホームページの選手名鑑にも顔写真が掲載されていない状況だった。知っている顔以外はなにもわからない状況で1人1人を知っていくには自分で写真を撮ろうと思った。だって人の顔を覚えるの苦手やもん。覚えたら遠くからでも見つけるけど。幸いなことにドラゴンズを追っているときにカメラの扱い慣れはしていたから撮れるだけ全員撮ってツイッターにあげようと思って東風平球場に行った。亀澤さんのサインは昨年のイベントで名前入りで頂いていたしファンクラブ会員特典のサイン色紙は誰にするのか悩んで現地に行って良さげな選手に決めようと、軽い気持ちで足を踏み入れた。
それがすべてのはじまりだった。
次回、初めての現地編!!