演劇ライチ光クラブ2025
ゴゥン ゴゥン 演劇ライチ光クラブを観劇して参りました。
ネタバレを含みます。色んな話しています。
舞台が行われることが知っていたもののシフトやら海外の予定やらがあり先行チケットは取れず・・・と思っていたらかなりの倍率だったようで行こうと思った時には時すでに遅し お寿司
しかし仕事前に何気なく見たぴあにてチケットが取れたのでこれは運命だと思って行って参りました。
ライチに出会って20年以上経ってるなんて凄いよね。
私の中で残虐歌劇が何よりのライチの世界観だったので若干の緊張と、それ故の「とりあえず見てみるか」なラフな気持ちとで心地よい高揚感がありました。
初回の紀伊國屋でのライチ舞台の時は小学生常川くんのコスプレもいたりしてかなり世界観を楽しみに来られた方がいた印象。私も当時はコスプレで参加しました。別の兎丸舞台の時はセーラー服とかも着たので世界観重視で作品を楽しみにするタイプ。
今回は令和という事もあるのか全体的にポップで明るい印象。紀伊國屋の時なんてトイレとか時代を感じましたしね。
スタッフさんがニコニコ接客していたのも意外でした。あとグッズは目玉にフォーカスが当たっていない!
今回はIMMシアター。東京ドームの下にありました。マスターがスローガンを販売していない水道橋駅、久しぶりにみました。
さて、舞台ですが「ゼラは常川であり人間だった」「光クラブの人たちは皆んな人間である」「ゼラもきっと何かの病気だったんだな」という感想。
痛みに着目した舞台、なんていうのはなんとなく聞いていたのですがみていてこんなに心が痛むなんて聞いてない。涙
笛の音で始まる舞台。しかし浜里くんを追っていませんし光クラブは処刑の話で盛り上がっていない。
しかしここは光クラブであり、そして螢光町なのでした。
初っ端からいちゃつくゼラとジャイボ。女教師を殺すことに最初から否定的なタミヤ。
原作と違うんだな、と思いながら見ていましたがこれはあとで理由があります。
僕らの光クラブで「タミヤが処刑を望んだ時どんな思いだったか(うろ覚え」みたいな話を兎丸先生がされていて、最初からのその要素が含まれていました。
女教師、歌劇の時の叫び声とポールダンスで派手に散ったイメージが強かったけど今回はサクッと亡くなりました。大人であることの強調もあまりなかったです。しかし台本を読んでいるかのような叫びで、逆にここが非現実であると思わされ、あまりに流暢に話す光クラブのメンバーが「キャラが生きている」ことを思わせてくれた。
舞台って本当に生きているものですね。この辺りで世界観に引き込むのではなく、舞台の中でキャラが生きているような感覚になりました。
女教師の演技が下手とかそういうことが言いたいわけじゃありません。
タミヤくんが解散と処刑を選択された時に「光クラブがなくなって居場所がなくなるけどカネダのイジメはどうする?ダフの家庭内暴力は?」とゼラが畳み掛ける。その中で「ジェンダーで悩む雷蔵への嫌がらせ、借金で苦しむニコ、デンタクのASDは?」と光クラブが彼らにとっての安息の場所であることを強調すると同時に彼らもまた、悩みを抱えた人間であり、光クラブのメンバーとして生きていることが唯一の光であると感じます。
君が代わりにいじめられるのかい?クラスも違うのに?と現実を突きつけるゼラ。あれ、君やジャイボは何もないのかい・・・・?と思いましたがゼラもかなり辛い子供でしたね。
僕らの光クラブが盛り込まれた今回の舞台であり、彼らがただの酔狂ファンタジーのアングラ作品のキャラクターではなく、一人の人間達だったことが強調されている気がしました。
舞台は進み、小学生常川くんが出てきます。こんな子役に見せていいのかしら、この舞台を・・・
私ら大人の楽しみのためにありがとね、と心が痛みます。痛みに着目した舞台ってこーゆーこと?
この小学生常川くんの演技がなんとも上手で・・・
僕らの光クラブで「お父さんに似たその話し方、大嫌い」と母親に言われ、感情のないロボットになりたいと願ったゼラ。そんなゼラを見事に表してくれていました。何歳よ、君、天才すぎる。
そうそう、この舞台では歌や踊りがないんですよね。場面展開などどうするのかと思いましたが回想を挟むことでうまく次のシーンに繋がっていきましたが回想シーンが重すぎます。回想だけじゃなくゼラの心境でもあったかな。
ゼラと母親のシーンはどれもこれも辛く悲しく、見るに耐えないものばかり。これは壊れてもおかしくないと思わされたり、幻覚が見えてしまっているのか幻聴が聞こえてしまっているのか、それならばゼラは統合失調症などではないのか?とリアルな気持ちになります。
ゼラってファンタジーではなく現実にいるかもしれない、そんな恐怖がありますよね。これも舞台などで感じられる「後味恐怖」ですね。
このゼラの回想や心境シーン、母親が亡くなったり自宅がなくなったりするゼラ。そんな設定今までなかったじゃん!と思いましたがそれこそ今回の観劇の醍醐味。兎丸先生が監修されているそうなのでキャラの後付けや補完が出来るわけです。
長年のライチファンにとってこんな幸せなことはないですよね。
私がライチに出会ったのは一冊の本。その後に漫画三兄弟により曲、ライブ、舞台、と世界が広がりましたが令和になって更に新しくライチに出会えるなんて。
そして今回は新エピソード感覚でしたが、あくまで出会った時のライチの世界観が強いので「こういう解釈もある」と捉えられるのでいいですよね。
では話を演劇の話に戻して。
カノンの登場、カノン役の子のスタイルが綺麗すぎます。
若干思っていたより声が低かったですが意志が強く勇敢なカノンらしくてすぐに好きになりました。ちょっとヒステリーちっくでかなりの箱入り娘なよう。
カノンのなんなのかわからない異質すぎる存在が漫画での役割として大好きなのですが、この世界観ではこのカノンが正解なのだと思います。
あなたは人間なの、というカノンですが令和では「私は私、あなたはあなた」
いいメッセージですよね。社会で他者に囲まれ揉まれるからこそ自分という輪郭が形を成すところがいかにも人間らしい。
人間の定義ももう一度考えたくなりますよね。太宰治の人間失格において人間失格になるのはどんな時か、愛する人を裏切ったから?、自害したから?という哲学的な読み方をしているのでこの解釈がとっても大好きでした。
ライチとカノンが仲良くなっていく様が丁寧に描かれました。過呼吸のカノンを救うライチ。
「吸って、吐いて、そうゆっくり・・・」と暖かく介助にあたるライチ、優しくカッコよかったですよね。これはカノンも惚れます、廃墟の恋人たちって言われて納得。
あとカノンがレクイエムを歌うとき、ハクエイ様の歌詞が聞こえてきました。こんな風に繋がるのか・・・ずっと好きでよかった・・・
そしてダフ死んじゃうんですか・・・
夢見る眼帯は目を覚さないんですよね、もう2度とカノンと会うことはないっていうのが確定してなんだか寂しくもあり、「思い出さないほうが良い」というカノンの言葉にリンクする。
最後、終焉に向かっていく時にタミヤやカノンに「生きろ」と叫ぶシーン。
突然でびっくりしましたが(原作にそんなシーンはないし)客席に向かって何度も何度もタミヤくんが「生きろ」って叫ぶんですよね。
この現代において、そして、少なくともこの舞台で色んなことが描かれて多少心が傷んだので救われるシーンです。あの時のタミヤくんの言葉でタミヤを好きになった人多いと思います。私は惚れましたね。
光クラブが崩壊してくのは原作ではいつ読んでも興奮して息切れしながら読むんですけどヤコブが吹っ飛ばされてからがそれでした。
どんどん血みどろ血飛沫舞台になっていく。
「あぁこれが私の愛した光クラブ」って思ってしまいました
というかゼラが取り乱したり慌てる様子、すっと背筋を伸ばして大きな身振り手振りとドイツ語を話す帝王ゼラではなく今で言う「チー牛」な常川くんでしたね。そういう見せ方凄いです。俳優さんの演技力すごい。
俳優の演技で言うと小学生常川くんもですが雷蔵ちゃんが・・・なんとなく来てなんとなく殺された人、なんて兎丸先生が仰りますがちゃんと空気を読んで明るく振る舞っていたんですよね。
そして兎丸先生も初期は別作品を描いていたからか線が細いイラストが多いみたいなことを話されていたのですが、その頃の雷蔵なんですよ・・・
可愛らしい声で成長しきっていない子供らしさがあるところが素晴らしいです。
今回の舞台では全体的にシルエットや見た目が原作に忠実だと感じています。今までも素晴らしかったけどより漫画の世界がそのまま再現されていましたね。
ストーリーが違うのでとても面白い要素でした。
タミヤがジャイボに打たれるシーンでゼラがとても動揺していて、友達だって言ったよね、と二人で話していましたが思えば二人は憎み合ったり罵り合うことはなかったんだよね
裏切ったのか、そうじゃないのか、って話をしているし、タミヤはゼラを傷つける言葉を発していないんですよ。少なくとも。
お前のこと最初から嫌いだったとか人格を否定しない。
火傷を負った時はニコに「ゼラの悪口聞きたくないのか?!」みたいな事言ってましたが決してゼラに対して人格否定しないんですよね。それに20年経過して気がつけました。ありがとう、ライチ光クラブ。
性善説なんて言われてましたし、ゼラもきっとわかっていたんだと思います
タミヤの性格の良さが。だからこそ嫉妬されちゃったんですよね。
借金があるのに幸せそうで家族仲も良いタミヤ。
「騙されて借金した」と言っていたのでおそらく家族も人が良かったんだろうな。
大人に傷つけられた子供たちの集まりの場所、だから大人を否定してたんだよね。大人が憎くなるのは当たり前ですね。
ちなみにゼラも裏切りものは誰か!?とよく話してますけどゼラは人格否定をプラスしてるんですよね、裏切り者は処刑(殺されても仕方ない)とか「まさかお前が犯人だったとはな、ニコ」的な。家庭環境を考えると仕方ないのかなと思ったりします。
最後、ゼラが「僕が本当に欲しかったものは」と言いながらカノンに倒れていくシーン。
「愛」ですね。
誰もが感じたと思います。
そう、愛とは痛み。痛みを乗り越えた先に愛があるし、痛みがあるからこそ愛することも出来る。
痛みを乗り越えて愛を知ることで大人にもなりますし、痛みを乗り越えることで成長もする。
色んなワードが一気に畳み掛けてきて「ライチ光クラブ」を形成していることを感じました。
「大人には痛覚がない、ずっと働ける」と言われた時の「借金のために働いたけど辛かった、大人はその辛さを感じていない」と言っていたニコ。あぁ、辛かったよね、大変だよね・・・と思いました
ぼくらのでは夏休みにバイトしてたことを「家族旅行」と誤魔化していたけどここでは辛いと言えるんだね、と思うとニコにとっての安息の地であった光クラブ。命をかけて守り忠誠を誓うだけある。
そんな全てのワードや思い、キャラクターたちの全てが詰め込まれた舞台だったと思います。
ライチに出会って20年弱。舞台やアニメ、ギャグ要素なんかも追加されながら崇高な立場そして作品でいてくれました。
それは初回のインパクトが強烈であり、美しいものだったから。
しかし時代は変わりました。価値観も変わりました。
その中でもライチ光クラブが当時の私が感じたように崇高な作品でありゼラが帝王として君臨し続けるために練られた作品であると感じました。
ゲネプロの動画(お友達に教えてもらいました、感謝)のコメントに「受験生です」という方達がおりました。今のエンタメを支えているのは世界を好きな人だけではなく、新しく出会っていく人たちなんだと思うのです。
私は十分楽しみ方を知っています。そうなる前の新しくライチに出会う人たちがこの後20年、ライチをずっと好きでいられるように考えてくれた演劇だったように感じます。
キャスティングや規模とか色々。
ありがとう螢光町、さようなら螢光町。
また会えるのを楽しみにしています。
今回とっても楽しい観劇でした。この先もずっと大好きです。ライチ光クラブ。
タミヤ達のひかりクラブ。
終。