香港の監督、俳優である楚原さん死去
昨日、またまた悲しい訃報が入ってきました。
Twitterでも、このような記事がたくさん流れていましたね
私はジャッキー作品関連での活躍しか知らなかったのですが
60年代、70年代に黄金時代を築いていたショウ・ブラザーズで俳優としてだけではなく、監督として大活躍していたようですね。
小樓殘夢 (1976)
武侠映画だけでなく、多種多様なジャンルの作品を手掛けていたようです。
※一応武侠映画について補足しておきますと、超人的な身体能力を繰り出す登場人物たちが中国の武器を使って戦うアクション作品(時代劇)であります。
楚留香(1976)
ため息が出るような美しさのある情景も監督:楚原の持ち味であったようです。激イケメンのティ・ロン。こりゃ人気出ますわな!というのが良くわかる
60年代、70年代というのは広東語での作品が衰退していた時期のようなんですけども、楚原監督は広東語での作品を作り広東語作品の復活や80年代、それ以降の香港映画にも多大な影響を与えました。
「良宵花弄月」
ゴールデン・ハーベストではロマンチック・コメディである「良宵花弄月」などを。
「大丈夫日記」
シネマシティでの名作の1つ。楽しそう(^^)
ブルース・リーとも親交が深かったという情報は目にした事があるんですが、ソースの記事へうまくたどり着けませんでした💦なのでジャッキーとの作品中心の内容になってしまいます。すみません。
もちろん、ジャッキー作品にも出演していらっしゃいます。
80年代に俳優として大注目を浴びる事になったのはジャッキー作品に出た時だと思います。
もちろん、なんと言っても「ポリス・ストーリー」シリーズでの麻薬シンジケートのボス、チュウ・タオ。
チュウ・タオ腕っぷしが強いわけではないんですよね。一言で言うと小賢しいなどになると思うんですけど。>単純に相手が強ければ主人公は自分の力の限り、技の限りを尽くして倒す、勝利をつかみ取るのが目的になりがちなんですがそうじゃなくなる。
1で主人公であるカークィは、自身の怒りは多少ぶつけてはいましたが最終的にチュウ・タオは逮捕、連行されるのが印象的でしたね。
2では同じくチュウ・タオとして出てきますが、この悪党の終焉を描いていたのがとても印象に残っていて。なんかジャッキーのアイデアとしては出てこないようなシーンに思えるんですよね。>もしかしたら楚原もアイデアを出していたんじゃないのかなと。このシーンだけジャッキー作品として異質な雰囲気を持っている。
ジャッキー自身も監督として、俳優としてリスペクトしていたんじゃないでしょうか。>なんかジャッキーとベニー・チャンの関係に似てるんだよね~(この辺全て私の妄想なので許してね)
「奇蹟」に出演されているらしいんですよね~最後のシーンなのかな?
「ツイン・ドラゴン」では、サリーの父親役で出演。
「デッドヒート」では自動車修理工場を営み主人公、ジャッキーの父親を。
しかし90年代以降は活躍の場をテレビドラマに移し、ドラマ出演が多かったようです。
2018年、第37屆香港電影金像獎にて生涯功労賞を受賞
当時でも流石に80歳超えていらっしゃいますからね。お孫さんを連れての登壇。客席の方にはジャッキーだけではなく、名だたる顔ぶれが並んでいます。
人生の歩みをを麻雀に例えたりしているのでしょうか?印象的なスピーチです。
香港の武侠映画のパイオニア(DeepL翻訳)と表記されているんですけども
本当に香港映画界に残した功績が大きい方なので、納得ですよね。しかしパイオニアというワードはやはり強力だな。
ウェイボー内でジャッキーはコメントを
想像の域でしかないですが、ジャッキーにとってもリスペクトをしていた偉大な先輩だと思います。「ポリス・ストーリー」撮影時に良く言われた言葉を載せているようですね。
どんな人でも、どんな良い事、どんな悪い事があっても明日には(それらを全て忘れて)男らしく生きなければいけない。明日は昨日よりも良い事がある、それが人生だ(DeepL翻訳を元に意訳しています)
ジャッキー自身も、とても共感した言葉だったんでしょうね。側にいて楚原から学んだ事は数知れずあるのだと思います。
愿您安息。一路好走。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます(^^)