鹿さんは見知らぬ誰かとお話がしたい
昔から、関係性がない人と突発的にお話することが好きだ。
スーパーやお店の人と、旅行先で地元の人と、ディズニーのキャストの方々…。
関係性がない人というよりは、「その一瞬だけの関係性を持つ」ような、いわゆる「赤の他人」とお話することが好きです。
友人や学校の先生のような、今までも関係性が合って、その後も関係性が続くような人とのお話も好きだけど、見知らぬ誰かと話しているときの自分の方が、「私がなりたい私」でいられるように思う。本心であったりする。
関係性がない人とお話する時は、大きく3パターンに分けられる気がする。
①誰かへの人助け
②誰かへの「ありがとう」を伝達する
③誰かへの「すてきだね」を共有する
一瞬だけ持つ関係性の中での会話は、「薄い」ものだけど、お話することで感じられる特有の温かさがあると思う。そう、とても「温かい」と思う。そのぬくもりが好きなんだろうね。
最近もやもやすることがある。
それは自分から声をかける勇気がないこと。
私が通う大学の最寄り駅は、迷路みたいで、初めて訪れる人には難解な場所だと思う。よく地図やスマートフォンを見て、キョロキョロする人を目にする。
そういう人に声をかけられない。
声をかけたら自分が問題を解決できる自信はある。なにかしらの助けになれる確証がある。
きっと相手の人も安堵した顔をしてくれる気がするし、迷う気持ちが少しだけでも晴れるのではないかと思う。
もちろんエゴでしかない。でも1人で迷っているなら、誰かの知恵があったほうがいいだろうし、ましてや私は駅周辺で3年も過ごしているわけだから、初めて駅を訪れる人よりも土地勘がある。私自身、そこまで方向音痴ではないと思う。
だけど声をかけられないのはなぜだろう。
さて最近あった嬉しかったこと。
某衣料量販店「ユ○クロ」に行った。
私は暖かくなるインナーを選んでいた。期間限定で値下げされていて、その日が値下げ対象期間の最終日だった。
仲良しなおばあさまたち(めちゃ元気)が、私と同じエリアにいらっしゃった。目的は私と同じで、期間限定値下げのインナーを購入したかったらしい。
でもあまりお詳しくなく、違いはなにか、わからないとお話なさっていた。
「下の段は、ふつうのやつ。上の段が、布が首まであるやつって分け方みたいですよ」
私はおばあさまに、おしゃべりの一石を投げていた。迷いはなかった。
「今日まで値下げよね」「私もおなじこと思って、急いで買いに来たんです」「お身体お互いに気をつけましょうね」
そんな話をしたと思う。久しぶりに、誰かと、他愛もなく話した気がした。本当に嬉しかった。ホクホクした気がしたのは、きっとあったかいインナーのおかげではない。温かい会話が気持ちをホクホクさせてくれたんだと思う。
嬉しかった。
駅でキョロキョロしている人に、私は声をかけられるだろうか。
どこに行くんですか?、お仕事ですか?、寒いですのでお気をつけて。
そうやって笑えるのだろうか。
私が勇気を出せば、誰かを助けたり温かくできるかな、私も温かくなれるかな、見たい景色は見れるのかな。
私は見知らぬあなたとお話がしたい。
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