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高校卒業の日
大学に入学して、約2ヶ月。
結構、濃い時間を過ごしている。
誰かに話したくてたまらないことがたくさんある。
それで、久々にnoteを開いてみた。
すると、卒業式の日に書いた下書きを発見!!
今更感はあるのだけど、下書きの存在を思い出しちゃったのでこっそり投稿してみる。近々、書きたくてたまらない大学生活のnoteも上げる予定!!
ぜひ、最後までご覧ください!!
2024年2月29日、純心女子高等学校を卒業しました!!
いろんな思いを持って、選んだこの高校。
入学した時には想像もしていなかった、
喜怒哀楽がぎっしり詰まった、濃すぎた3年間だったように思います。
高校卒業という一つの節目として、今の気持ちをシェアしてみます。
3年間を振り返って
この3年間を改めて振り返った時、真っ先に頭に浮かんだのは、感謝したい人たちの顔でした。
恩師をはじめ、お世話になった先生方、家族、クラスメイト、去年卒業された先輩方、可愛い後輩たち。そして、SNSを通して出会った人たち。
この人と出会って、私は変われたんだったな。
この人には、たくさん話を聞いてもらったな。
この人には、この人には、この人には、、、
色々なことを思い出しました。
そんなことを考え始めると、涙で溢れていました。笑
私の成長をそばで見届けてくれた、先生、家族、友人たちという存在がいる一方で、住んでいる場所が遠くても、対面で会ったことが一回しかなくても、ずっと心のそばにいてくれる存在がいたことは、かけがえのない宝物だと思っています。
これを読んで頂いてる皆さんは、お分かりでしょうが
私はどこにでもいるような、至って普通の高校生です。
何か、特別なプログラムに参加したこともなければ
何かの団体の代表でもない、所属すらもしていない、そんな人です。
だけど、そんな私に唯一あったものは、学校の探究活動でした。
具体的に言うなら、日常への違和感と、その違和感をどうにか解決したいという想い、だけど全く上手くいかないモヤモヤばかりでした。
今では、心の底からこの学校で良かった!!!と思っていますが
学校に行くことが怖くてたまらない、そんな日もありました。
だけど私には、学校を辞める勇気もなかったし、
「辛いと感じる現実と向き合うこと」しか選択肢はありませんでした。
学校を休んだこともありました。現実から、逃げたこともあります。
でも、学校を休んで、家で泣いていたあの日々は、自分と、そして周りと向き合う大切な時間だったと今では思います。
「自分はどうしたいのか」「自分はどうありたいのか」頭が痛くなるくらい、たくさん考えました。だけど、考えれば考えるほど、「どうして私の周りはこうなの?」と周りを責めることしかできませんでした。
社会を変えるような、大きな取り組みをしているわけじゃないのに。
ただ、置かれた場所、周りを変えたいだけなのに。
学校なんて、小さな世界。
すぐ変えられる、そう思っていたはずなのに。
私は、そんな小さな世界さえも、変えることはできませんでした。
だけど、この苦しみのおかげで、私は人に助けを求めること、弱さを見せることが少しずつできるようになりました。
周りを変えることはできなくとも、自分を変えることはできたのです。
小さな違和感から始まった探究は、想像以上に私を苦しめました。
だけどその苦しみが、SNSではあるけれど、私にとって大切な人たちと出会わせてくれました。
近くにいるわけでもないのに、私のことを心配してくれる人、言語化できない私のモヤモヤを聞いてくれた人、色々な方が私のために時間を割いてくれました。それが、本当に本当に嬉しかった。
自分のことを思っての行動はこんなに嬉しいものなのかと思ったのと同時に
私がこれまで、周りにとってきた行動が「周りのため」と言いながら、自分の正義をただ貫き通してきたものだったのではないかと反省しました。
「どうして、周りはこうなの?」
その答えは、自分自身に原因があったのだと、少し腑に落ちたんです。
だから、人に変われと言う前に、
自分に矢印を向けて、自分が変わる努力をしました。
自分1人でやった方が早いと思うことも、任せてみる。
「自分とは合わないから」と言う理由で関わらないのではなく、話してみる。
周りのために私ができることはないのか、自ら手を差し伸べてみる。
本当は隠したい、自分の弱さを、悩みを口に出してみる。
これまで、できなかった/したくなかったことを、ある日突然始めました。
そんなことを地道にやっていると、2ヶ月ぐらい経ったある日、楽しく学校に行けるようになりました。過去の私には見えなかった、私にはない、相手の素敵なところが見えるようになりました。
周りがどうこうの前に、私自身がまず、生きやすくなりました。
そして
周りは、「さくらはさくら」私は、「あなたはあなた」と
良いところも悪いところも含めて、お互いの受け入れ体制が整った感覚が全員ではないけれど、数名に感じるようになりました。
探究によって、何かを生み出したわけじゃないし、結果もない。
だけど、自分が悩んだことも、勇気を出して一歩踏み出した選択も、全てが今に繋がっている気がして、全部引っくるめて良かったと思えたんです。
他者が私をどう評価したとしても、私はこれで良かったと思っているし、
自分の人生を、他者ではなく、自分のものさしで測れるようになれた。
高校生活3年にしては、
人生という冒険において、良いアイテムたちを得られたと思います。
だからこそ、これからの大学生活では、周りの期待の少し先をいけたらなと。
この3年、色々な人に出会いました。
全ての人と、分かりあうこと、気が合うことはないけれど、
人生の中の高校時代というページに、「この人と出会えて良かった!」と心から思える人がいること、本当に幸せです。
恩師と出会えただけでも満足だったはず。
環境のせいにして、周りを責め続ける選択肢もあったのかもしれない。
だけど、私の欲張りの性格が、「先生だけじゃ物足りない!!」
「どうしても仲間がほしい!!!」ってなっちゃって
色々考えてたら、Twitterを始め、
学校から帰ってきたら、誰かとzoomで1on1することが日常になった。
課外活動という枠では、スタートダッシュはかなり遅かったかもしれない。
イベントに行くことさえもビビり散らかして、「参加する」という一つのボタンを押すにも、一週間くらい「どうしよう」「私には似合わないんじゃないか」とか、グズグズ考えないと踏み出せなかった。(高2の9月まで)
空回りしすぎたし、たくさん遠回りもしたんだと思う。
だけど、今、頭に浮かぶ人たちは、遠回りした中で出会ってきた人たちばかりなんだよな。
今の私が誰かに伝えたいこと
未来の私が、何に苦しむかも分からないし、
後輩たちにも、偉そうなことなんて何一つ言えない。
だけどこの3年、一生懸命、生きた自信がある。
DMで話かける人は絶対仲良くなりたい!って思うからそこだけ自信はあるけど
それ以外で、何かを選択するとき、自信を持って選んだことは数少ない。
ほとんど、悩みながら、自分にどうしたいのか問い続けてる。
でも気がついたら、時間はすぐ迎えにきてしまう。
そして、私はいつも「えいっ!!」って選んできた。
その時は、不安で仕方ないし、眠れない日も、食欲がない日もある。
でも、必死に生きてたら「この選択をして良かった」って心の底から思うことが本当に多かった。
だから、これからどうなろうと、周りからどう思われようと、期待に応えられなかったとしても、自分らしく、一生懸命、生きようって思う。
そう思えたのは、表の自分だけではなくて、弱い自分でも受け入れてくれる存在が家族以外にできたからなのかもしれない。
とある人が送ってくれた
「この先のあなたも、きっと大丈夫!」というメッセージ。
ほんの少しだったけど、すごくあたたかった。
きっとこの言葉が、未来の私のお守りになるんだろう。
大学生活、どんな人たちと出会えるんだろう。
ワクワクと不安が混じった感情。
でも、きっと大丈夫。
やったようには、なるんだから。
これからもあたたかく見守ってくださると幸いです。
2024.3.1
さくら