届け。私の探究への想い
今回のnoteは前回の後編!!
今回はマイプロ、探究について。
探究活動を始めて約1年が経った。
たかが1年。だけど、探究によって間違えなく私は、人生が変わった。
明日、1ヶ月後、1年後、自分の考えは変わっているかもしれない。いや変わるはず。
だから、今の私はこう考えるということを残してみる。
ぜひ最後まで読んで頂けると嬉しいです。
前回のnoteはこちらから!
マイプロジェクトアワード
3月24・25・26日はマイプロ全国サミットに参加してきました!!
笑って、泣いて、いろんな感情に出会えた3日間。
私は「先生と生徒の対話から創る新しい授業の形」というテーマで発表した。
探究大好き人間と名乗りながら、どんな探究をしているのか、実はこれまでnoteでは詳しく発信してこなかった。
それは文章ではまとめきれないと思っていたから。
声で話した方が伝わると思って、これまでは1on1やプレゼンをする機会で探究活動の内容については発信してきた。
だけど、マイプロ・探究を語る上でどんな探究をしてきたかを書かなければなーんにも始まらないし、今後、受験勉強で忙しくなり1on1も出来なくなる未来もあるので、これを機に書いてみる。
私の探究
私が夢中になって取り組んだことは英語の授業の共創
私は、一方向の授業が受けていてすごく違和感だった。
受けてる時は先生が言っていることは分かるけど、次の日には忘れちゃう。
そして、とにかく睡魔がやばい。
さっきめっちゃ眠かったよね〜という会話が休み時間になると普通に繰り広げられる。でも、これって当たり前なのかな?って思ったの。
本来、学ぶことって面白いはず。なのに、眠いとつい言ってしまう私。
眠いって思うのは先生の教え方が悪いんじゃない?
正直、最初は思ってたし、文句ばっかり言ってた。
でも、文句だけ言っても当然何も変わらない。
英語の授業は週に6コマ。ただただ時間が過ぎていく。
テスト前に必死に勉強して点が取れても、すぐ忘れる。
何も身についてないのは1番自分が分かってた。
このままでいいのかな…
なんとかして変えられないかな??授業中ずっと考えてた。
すると…
私がこの授業変えちゃえばいいんじゃない!!???
って降ってきたの。確かに!!私が変えればいいだけじゃん!!結構本気だった。
だから、そう思った日に先生のところに1人で行って、もっと授業をこうしたいです!!!って交渉しに行った。
でも、正直怖かった。だって、生徒が授業に口出しするな!って言われそうだし、評定下がったらどうしようとも思ったから笑
でも、1時間くらい熱弁したら
「こんなに授業のこと考えてくれているんだね。これから一緒に頑張りましょう!!」って予想外の答えがやってきたの。
正直、先生が手伝ってくれたら、授業は絶対変えられるって思った。
だから、心の中は「授業絶対変えられるじゃーーーーん!!!!」って希望しかなかった。
だけど、考えが甘かった。
私は授業を、一方向な授業スタイルから先生と生徒が共に作り上げる授業スタイルにしたかった。
授業って先生だけが創るものって思ってたけど、いい授業って何なんだろうってずっっっっっっっっっっと考えていたら、生徒たち自身も先生に頼らず、自分たちはこうしたい!こうなりたい!って意思表明するとか、そんな要素も必要だなって思ったの。
先生だけでもなく、生徒だけでもなく、
先生と生徒が共に作り上げていく授業。
これこそ、お互いにとって良い授業だと私は思ってる。
そうなったら、あとは生徒側の意識を変えていくことが課題。
みんなで一緒に授業をつくっていこう!!!!って空気にしたかった。
だから、クラス内でワークショップを開いてみた。
「英語の授業で課題だと思うこと」
「授業をどうしたら、もっと良い学びができるんだろう」
そんなことをみんなに投げた。
「今の授業ってインプットばっかりだよね」
「受けてて楽しいとは思えない」
私と同じように感じている人はある一定数いることが分かった。
だから、授業変えられるかも!!?って期待しかなかった。
でも、話してて感じたことがあった。それは
授業に課題は感じているけど、私たちが何を言ったってこの授業は変わらない と思っている人たちがほとんどだということ。
そして、クラスの中には
別に授業変える必要性ってなくない??? って人も一定数いたということ。
そして、そんなめんどくさいことしないでよ。的な批判的な文章も読んだし、嫌な視線も感じるようになった。
ここからが地獄の始まり。
ワークショップを開いてから圧倒的に嫌われた。
文章に書くと100%私が被害者みたいに見えるけど、そんなことは思っていなくて、私の伝え方が悪かったところもあったな…とは思う。
だから、探究のことで色々言われちゃうのは仕方ないって思った。
だけど、全く関係ないことで、傷つけられることもあった。
学校の授業をもっとよくしたい!!!そんな思いから始まったはずだった。
だけど気がつけば、学校に行きたくなくなってしまった。
あのパワーはどこに行ったの?私、ポジティブなんだし、すぐ元気になるよね!!!
そう信じても、お腹は痛くなるし、食欲もなくなる。
とにかく暗闇にどんどん吸い込まれている気がして、この闇をいつか抜けられるのかな??って怖かった。毎日が不安だった。
そんな精神状態が少し軽くなった夏休み。
私に合う世界はもっと外にあるんじゃないか?
そう思って、SNSを始めてみた。
自分が特に考えることが好きな教育について、発信してみようって思った。
twitterを始めた初日。
教育を変えたいという同じ夢を持つ一人の同級生と繋がった。
それから、いろんな人と1on1したりして、心から尊敬できる人や、私を応援してくれる人、いろんな人と出会った。
たくさんの優しさをもらって、気づけばたくさん救われていた。
そして、私は心に余裕を持つことができた。だから次は私が周りに優しさを与えたいと思うようになった。
特に私が頑張ったことは、私のこと絶対嫌いだろうな〜って人のために動くってこと。
まず、その人のことを知りたくて、話しかけてみた。だけど、最初は結構無視されがちというか、流されてた笑
でも、これしたら私の味方になるだろうみたいな企みは何1つなくて、その人が困ってる時に率先して助けたり、その人の役に立てることをやりまくった。
すると!!!!!ある日、向こうから話しかけてくれるようになったの。すっっごく嬉しかったの今でも覚えてる。
そして気がつけば、あんなに居心地の悪かった教室が、すごくあったかい雰囲気になったんだ!!!!!(友達も最近クラスの雰囲気いいよね!ってしれっと言ってたから感じたのは多分私だけではない)
これが私の探究であり成果だ。
このような内容をマイプロで発表した。
今回マイプロに参加した理由
私がマイプロに参加しようと思ったのは、賞が欲しかったとかそんな理由じゃない。
理由は主に2つあった。
1つ目は、私が取り組んできた探究の楽しさをより多くの人に伝えるため。
2つ目は、一人でも多くの人が幸せに生きていける社会を創るために教育を変えるという夢を叶えるため。
まず、1つ目について。
私の探究活動は辛いことがたくさんあったし、そこだけを切り取ると楽しさはどこにあるの?と思われるかもしれない。
確かに、苦しいことはたくさんあった。
だけど、この苦しみがあったから今の私がいる。
苦しんで、居場所が欲しかったから、Twitterを始めた。
Twitterを始めたから、いろんな人と出会うことができた。
いろんな人と出会えたから、自分は自分でいいと思えた。
たくさんの人から優しさを頂いたからこそ、周りに優しさを与える人になろうと思えた。
人に優しくなれたから、人間関係が良くなった。
私を苦しめたのはこの探究。
だけど、人生を変えてくれたのもこの探究。
自分の中での変化と周りの変化を感じることができたこの探究はものすごく楽しかった。
ずっとみんなが笑顔!!!の楽しさではなく
マイナスからプラスの世界を見る楽しさを知ることができた。
この楽しさを伝えたかった。
次に2つ目。
私には教育を変えるという夢がある。
私はこの探究で、行動に起こすと良くも悪くも周りは変化するんだと知ることができた。
そのとき、夢も今から叶えられるんじゃない?と思ったんだ。
今、探究をどうしていくべきかということが話題だけど、
ある程度、探究のあり方が浸透してきたときの次の課題は、いかに授業を探究的な学びにするか。だと思う。
私のやってきた探究は、次の課題に向けてのヒントになるんじゃないか?っても思ってる。
授業って生徒が変えられるものじゃない。
多くの人がそんな固定概念を持っている気がする。
だけど、その固定概念を無くして、授業をもっとこうしたい!!と思う生徒が増えれば、間違いなく教育は少しづつ変わっていくと思ってる。
探究で授業を変えるという選択肢もあるんだよ!!ってことを伝えたかった。
そんな理由があってマイプロに参加した。
私の探究には結果はない。成果ならある。
私はこのようなプレゼンをするといつも聞かれることがある。
それは、英語の授業の共創は成功したの?失敗したの?という質問。
正直に言います。失敗しかしてない。
成功したなんて1ミリも思ったことはない。
だけど、すごくこの探究活動を誇りに思ってる。
それは授業を変える以上に自分の成長、学び、変化があったから。
私は結論、賞を取ることはできなかった。
賞を受賞したプロジェクトのプレゼンを見ていると、私の探究活動が他のプロジェクトに比べて圧倒的に足りていないものが見えてきた。
それは結果だ。
マイプロに出ている多くの子達は、地域の人々との関わり、商品をつくるなど、とにかく結果・形があった。
私はそれを見ていて、こんなことしたの!?こんなもの作ったの!?とか本当にすごいなと思った。
でも、私は授業を変えたとかいう結果は何一つない。
そりゃ、賞を取れるはずはないと納得した。
こんなに賞ばっかり言ってるけど、賞を取るつもりはほんとになかった。
だけどね私、6プロジェクトに選ばれなかったとき号泣したの。
悔しいでもなく、悲しいでもなく、まだ言語化できない
初めましての感情だった。
泣いた時に真っ先に浮かんだのは、ずっと探究の相談に乗ってくれていた恩師だった。その時、先生がたまーーーーーに言う
「あなたは神様から愛されてるよ」って言葉を思い出したの。
もし賞が取れていたら、今より授業を変えやすい未来があったかもしれない。受験にも有利だったかもしれない。
だけど、あえて楽に生きていける未来を与えてくれなかったと思うと
これでいいと思えた。自分の力で、未来を変えていこうって思えた。
探究活動において大切なこと
マイプロが終わって、約1週間。
賞は取れなかったけど、探究から学んだこと、探究への想いは1位なんじゃない!?ってくらい今の私は自信に満ちてる笑
私、思ったんだ。
探究において大事なことは自己評価なんじゃないかって。
もちろん、他人からの評価も必要だとは思う。
でも、他人からの評価が必ずしも正しいとは限らないじゃん。
甲子園なら、みんな野球という種目で競う。
だけどマイプロは、みんなやってきた内容が違う。
これを平等に評価するって無理な話だよねっても思うの。
私の場合、探究を通しての結果はないし、賞ももらえなかった。
だけど、この探究をしてみたからこその自分の変化・周りの変化という私だけのドラマがあった。人生を変える学びができた。
この自己評価は、賞よりもすごく大きな財産になると思ってるんだ。
社会に疑問を持ち、「こんなことあったら面白いのにな!」と考えることはとっても大切。
理想を追い求めて、社会を変えることができればそれはとってもすごいことだし、今回受賞したチームのように、讃えられて当然だとも思う。
だけどさ、形とか結果をみんなが最初から求めてしまう探究はおかしいと思う。
私もだけど、高校生は社会のこと良く知らない。
理想を語ると、大人は「そんな簡単じゃない」と言う。
私は授業を変えたい!!と思った。
だけど、何も変えることはできなかった。
大人の言う通りだった。
だけど、そんな大人に伝えたいことがある。
それは、理想を追い求めて行動すると、成功とか失敗とかそんな言葉では片付けられない、想像以上の学びを得ることができるんだということ。
そして大人は、若いうちにたくさん失敗しなさいってよく言う。
でも、そう言う割に結果を求めるのは何なのでしょうか。
前のnoteにも書いたけど、失敗ってみんながみんなできるわけではない。
失敗した〜!!!と感じる人はどんな人か。
何かを本気で実現させようとしている人だ。
そして、そのような人たちの失敗はいつか、成功の一部になる。
私が考える探究活動を始める以前の生徒の課題
・同じ高校生なのに、理想を語る人が少ない
・自分の置かれた環境に疑問を持つ感覚が失われている。
・疑問を持ったとしても、人のせい。
・自分は何も変えられないマインド。
これは私の個人的な意見ですが、この状態なら失敗もできないと思いませんか??だって、諦め癖がもうついちゃってるから。
でも、みんな生まれた時からこうだったのでしょうか?
幼稚園→小学校→中学校→高校 を生きてきたどこかで、
「こうだったらいいのに!」と思っても行動させてもらえなかったり、挑戦して失敗した時のフォローがなかったり。
そんな子達が大人になり、子供にまた同じことをしてしまう。
教育の負のループは続いていく。
だから私は、失敗できる環境をつくりたい。
言い換えるなら、チャレンジしまくれる環境をつくりたい。
私が探究で失敗しても、失敗で終わらなかった理由は、
先生が失敗を褒めてくれたからだ。
大きくても小さくても、やりたい!!と思うことを後押しできる、そして上手くいかなかったら、一緒に悩む、そしてまた踏み出す、そんなサイクルを、そんな場所を作りたい。
でも、この場って特別につくる必要があるのかな?
私は、学校こそ、そのような場であるべきだって思ってる。
こんなことを書くと、「そんなの理想の話」って思われるかもしれない。
そんな人に言いたい。
じゃ、それやってみたことあるんですかって。
絶対無理って証拠はどこにあるんですかって。
すごく煽ってそうで、めんどくさ〜って思われるかもしれないけど、
もし、過去に挑戦したことがある人だったら「理想の話」では終わらないと思うんだよね。
「前やってみてこんな結果だったよ。だからすごく難しいって思う。でも、ここを改善したらもっと上手く行ったと思うんだよね。」
のような、ヒントをくれるはず。
私ね、別に一人で成功する必要ってないと思うんだ。
一人一人が実現させたい未来を追いかけて、失敗を経験する。
だけど、それを共有することで、誰かの失敗が、成功につながる。
そうやって夢は叶うはずだと思う。
仮説は何の証拠にもならない。
行動に起こすからこそ、見える世界があるんだと探究を通して私は学んだ。
これから私は
高校3年生。受験生ってことも分かってる。
だけど、今の高校にはあと1年しかいれない。
あと1年、高校生の私だからこそ出来ることは何なのか。
それは、私の学校を変えることだ。
これから入学してくる未来の高校生が、チャレンジしまくれる環境の土台をつくりたい。
だけど、思うだけじゃ変わらない。
仮説だけでも変わらない。
だから動くし、それを見た誰かが私も挑戦しよう!って踏み出して欲しいんだ。
探究は人生を変える
学習指導要領で、今ではみんなが探究をすることができる。
だからこそ私は探究を始めようとしている高校生に言いたい。
探究の内容は
地域創生が全てじゃない。
起業が全てじゃない。
社会問題を解決することが全てじゃない。
もちろん、やりたい人はどんどんやってください!!
だけど、探究はこうだ!!という内容に縛られる必要はないということを伝えたい。
どうか、自分のワクワクする気持ちを大事に、実現したい未来を、理想だらけの未来をつくるチャレンジをしてみて欲しい。
もしかしたら、反対されるかもしれない。
だけど、あなたがやりたい!と熱を持って取り組む全てのことは、自分の、そして誰かの未来に繋がる。
実現させたい未来なんてないよって人。
すごく気持ちはわかる。今は私、こんなこと書いているけど、探究を始める前、心からやりたいものなんてないし!!!!状態の人だった笑
もし、そんな状態の人が読んでくれていたら、
日々生活している中で、「もっとこうだったらいいのにな〜」というものを見つけてみて欲しいんだ!!
私にとっては「いつも受けている授業」が探究の原石だった。
探究のヒントは意外と近くに隠れてる。
学校の授業を変えるぞ!!!という探究は、自分が行動することで常に周りが変化していくし、面白いのは事実。
せっかくの探究。より多くの人に楽しんでほしい。
とは言っても、私も新しい探究を始めているのでまだまだこれから!
私にとって探究とは
生きる原動力であり、一生そばにあるもの。
最後に
私の恩師へ
10年前、周りの先生に批判されながらも、これからは探究だ!!って貫いてくれてありがとうございました。先生が辛い思いをしながらも、生徒のことを第1に考えてくれたから、今の学校の探究があるし、今の私がいます。
この探究は辛いことがたくさんありました。
先生にはたくさん愚痴を聞いてもらいました。
たくさんの人に助けられたから頑張れたのも事実ですが、
今当たり前にある探究、人生を変えてくれた探究が、先生の努力のおかげであると思うと、この私の辛さも経験も未来に繋がるのではないか?と思えたんです。
10年前の先生の行動が10年後の私を救ってくれたように、この探究も未来の誰かを救えるかもしれないと、諦めたくない!って思ったんです。
「人がどう言おうと全ては自分次第」
帰り際、ボソッと先生が言ったこの言葉がずっと私の心には残っています。先生が言ったこの言葉はすごくあったかくて、ずっしりした重みがありました。
先生にこのnoteを見られる日が来るのかは分かりませんが、私は先生と出会えてとても幸せです。
自分次第で、未来は変えられる。
先生。私変えてみせるよ。