APUで過ごした私の半年
APUに入学して早5ヶ月。
本当は、何か活動する度noteを更新したかったのだけど、気がつくと夏休みに突入していた。
そしてその夏休みも半分が過ぎてしまい、あと1ヶ月。
流石にそろそろ書かないと次に進めない気がするので、この5ヶ月間私はどんなことをして、どんな感情に出会ったのかを記録として書いてみる。
入学前〜
みんなからは意外とよく言われるけど、私は入寮した日、すごく緊張していた。これからの大学生活にワクワクする期待感もあったけれど、お昼ご飯を食べると吐きそうなくらい、不安感も混じっていた。
一番気にしていたことは、「私に、友達ができるのか」
実は、そんな当たり前のことだった。
小学校から中学校、中学校から高校。
新たな環境になるたび、次こそは気が合う人と出会えるんじゃないか?と期待して。でも、いつも置かれる場所に納得がいかなかった。
すっと、周りや環境を責め続けていた私。
だけど、高校時代学んだことがある。
それは、置かれる環境に期待しても無駄だってこと。
一番必要なことは、周りの環境に期待することではなく、出会いたい人がいそうな場所を探すこと。気になる人がいたら話しかけること。
待つんじゃなくて、とにかく、自分から掴み取ること。
だから、大学という新たなステージに期待はしなかった。
どれだけAPUが魅力的に見えたとしても、全ては自分次第だと言い聞かせた。
だから、これまで以上の緊張感があったのかも知れない。
過酷な1ヶ月半限定サークル【アカキャン】
3/23に入寮し、授業が始まったのは4/8。ガイダンスまみれの2週間。
正直、毎日が暇だった。
熱中できる何かが目の前になくて。あれ?ない。みたいな。
自分が少し空っぽになった気がして、怖くなった。
この怖さに向き合った時、嫌な記憶が蘇った。
私は、精神的に不安になると体調を崩しやすい。
高校時代、特に受験期は、よく吐き気に襲われた。
ひどい時は、突然目の前が見えなくなって、動悸がしたり、手が硬直してしまったり、立ち上がることができないくらい寝たきりの日があったり。
自分の弱さを責めて、また体調を悪化させる。そんな自分が嫌だった。
卒業式の日に、先生から
「あんまり追い込み過ぎんとよ。健康第一やけんね。」と言われた。
心配の言葉だって分かってたけど、私は弱い人間なんだって思われてる感じが少し悔しくて。だから、大学生は絶対強くなるって決めた。
さぁ、大学1年生1発目。何をしよう。
現れたのは、アカデミックキャンプという1ヶ月半限定サークル。
通称、アカキャン。
このサークルでは、各グループに分かれてそれぞれ文献を読んで、論文を作成し、最後は教授の前で発表というようなことをする。
過酷なサークルで体調を崩す人が多いとは知っていたので、体調を崩さず1ヶ月半を乗り切ることを私のミッションにした。
私は、国民班を選んで「想像の共同体」という本を読んだ。
一回だけ読むと意味不明すぎたけど、みんなで音読したり、解釈を合わせていく時間が新鮮で。大変すぎたけど、楽しかった。
通常の課題に加えて、書評の提出。
週に1回の勉強会(気づいたら週2になってたけど笑)
勉強会は18:00-22:00。
最後の方は24時までライブラリーに籠り、寮に帰ってスタディールームで2:00過ぎまでやってたことも。
そう。結構、過酷。
でも、こんな変なサークルに来る人は、自分の限界に挑戦したい!みたいな変人ばかり。笑
気づいたら、尊敬できる、大切な友達がそばにいてくれた。
そして、一時的に自分の空っぽを少しだけ埋めることができた。
体調を崩さず1ヶ月半を乗り越えるという私のミッションも無事達成。
途中、声がガラガラという日もあったけど、とにかくスキマ時間があれば寝て、ご飯を作る元気がない日は、納豆キムチ卵かけご飯を食べてた。
そんな感じで、体調が悪くても60%の力で動けはしたし、3日で体調も治していた。笑
自分の弱さと向き合った日々は辛かったけど、弱い自分を認めることが出来たから、前より自分をコントロールできるようになった。
これでもかと苦しめられた高校時代の日々が、少し報われた気がした。
こもる生活は飽きた!タイへ行こう!
APUに祝日はないため、その代わりにセメスターの中間にクオーターブレイクという1週間半くらいの休みがある。
ライブラリーにこもっていた生活も楽しかったけど、もうそろそろ外に飛び出したいと思った私は、QBの予定を周りに聞きまくった。
私が聞くのが遅かったのか、みんな結構予定が決まっていた。
予定が決まっていない人がいたら「海外一緒行かない?」と聞いてみたり。
すると「え、アリ。」という即レスが意外と返ってきた。
最初は、台湾とかにしよっかなーなんて思っていたのだけど、往復4万円のタイへの航空券を見つけてしまい、タイに決めた。
さぁ、どこに行こう。何をしよう。と考えていたらLINEの通知。
「もう1人、女子増えることになりますー」
名前を聞いたら、学部も違うし、会ったこともない子だった笑
「いや誰〜?」となったけど、友達の友達は仲良くなれるっしょ!マインドで、事前打ち合わせ3回でタイへ行くことになった。笑
タイでの1週間生活。
元々仲良かったよね?レベルで気が合う子だった。
旅を通して、また大切な友達が増えた。
帰ってきたと思いきや
日本に帰国後、3日後に控えていたものは
東京で行われる、在学生副学長サミットメンバー任命式だった。
わー!久々の東京だー!なんて思っていたが、まさかの日帰りだった笑
気づいたら東京にいて、気づいたら別府にいた。
そして、次の日は家を6時半くらいに出て日帰りで福岡へ。
気づいたら福岡にいて、気づいたら別府にいた。
短期間で色々なところへ行くと、自分次第でどんな世界にだって行けるんだと実感した。
もう少しここにいたかったなと名残惜しさを感じながら、移動する。
音楽を聴きながら、窓からの景色を眺め、
自分だけの空間で、色んなことを思い出しては考える。
誰にも邪魔されない、あの感じが好きだ。
2月から準備してきたイベント
高3の2月。APUの先輩、はるなちゃんから電話がかかってきた。
内容は「さくらさ、一緒にイベント作らない?」だった。
迷うことなく、一緒にやることを選んだ。
学籍番号もない頃から、APUの先輩たちだらけのミーティングに参加していたのだけど、Zoomの画面越しでしか知らなかった人たちと、キャンパスでお昼ご飯を食べている6月。なんとも不思議。
イベントの認知を上げるために、友人に将来の夢をインタビューしてみたり。食堂ブースでも、みんなに将来の夢を付箋に書いてもらったり。
今回は、世界一周3回目の旅人、高橋歩さんをAPUにお呼びし、トークショーを開催した。
迎えた当日は、これだけ多くの方が来てくれた。
1人でも多くの学生に、挑戦するハードルを下げてアクションを起こしてほしい。はるなちゃんは、そんなアツい想いを持って、参加費を学生からは取りたくないからと協賛を集め、いつでも全力だった。
自分のやりたいという気持ちを理想で終わらせず、実現させる。
その姿をずっと近くで見ていて、たくさんのエネルギーをもらった気がする。最高の先輩であり、最高の友達。本当に出会えて良かった。ありがとう。
2024年春セメスターを終えて
一言でまとめると、幸せを感じる時間がすごく多かった。
自分の周りが自分の鏡というのなら、ニヤッとしてしまうくらい素敵な友人に出会えた気がする。
4月から(高校時代からお世話になっている)ウィルドアでボランティアスタッフを始めた。新しい環境で不安も感じていたけれど、いつものメンバーとオンラインで毎週話せたことは、私にとってすごく安心できる時間だった。
高校生の時、「今やりたいことは、大学生になってもできるんだから。」色んな大人にそう言われた。
でも、そうでもないんじゃない?って大学生になった私は思う。
ウィルドアでインターンをするようになったのも
APUで在学生副学長サミットメンバーになったのも
一見、大学生になってから始まったように見える。
確かに、これらの選択をしたのは大学生の私だ。
だけど、ウィルドアでインターンしたいと選択できたのは、高校時代に「仲間に出会いたい!」「教育を変えたい!!」とか足掻いて、SNSを始めて、自身のビジョンと似過ぎているウィルドアと出会えたから。
在学生副学長サミットメンバー選考での面接で、米山学長や副学長の皆さんに想いを伝えられたのも、高校時代、泥臭く挑戦した過去があったから。
幸せだと思える今は、全部過去の私の点と点が繋がってできていると思う。
しかしその一方で、過去の自分に縋り過ぎているんじゃないか?と思う自分がいるのも事実。
何度も言うけど、高校時代の私は体調すぐ壊すし、すごい弱かったよ。
でも春セメスター、1回も体調崩さなかった。
よく、頑張った。よく、守った。
自分の体調も、自分のメンタルも。
満足してる。
でも、ちょっと刺激足りないんだよね。
なんかもっと、前に進みたいんだよね。
それが、1回生春セメスターで感じたこと。
だから、秋セメからは、もう少しストッパーを外して走ってみたい。
もちろん、やりたいことを見つける努力も。
明確にこれがしたい!とか、夢とかないけど
無いならないなりに、探す努力はし続けたい。
今は、繋がってないようで、遠回りに見えたとしても
きっとそれが、未来のわたしの幸せに繋がると信じて。