Serenity -静寂- (8) おじ様
お店に宗方が来た。綾香が先日のお礼を言う。
「宗方さん、先日はありがとうございました。また、お願いします。」
「ああ、また行こうよ。俺、一人暮らしで、休みの日の飯、困ってるからさ。」と、いつもの笑顔でお尻を触られた。
その日は雨で、客足も鈍く宗方とカウンターに一人くらいになった。他のホステスさんも来なかったり、早く帰ったり。
綾香は先日の食事以来、宗方にある種の感情を抱いている。
父親とも違う頼り甲斐なのか、高橋医師への男性としての好意と同じとも言えないし、良く分からない。人生の師匠とでも呼ぶのが適切かと綾香は感じていた。
「綾香ちゃんは友達は?地元でしょ、ここって。」
「あまりいません。高校の時の連れが二人いるくらいで。中学校、殆ど行ってなくて。」
「行ってなかったの?何かあったの?、、、あ、ごめんな。嫌な事だったら話さなくても良いからね。」
「ありました。不登校になるくらいの、、、話してもいいですか?聞いてもらえます?」
中学校1年の時のイジメの数々。
高校は通信制で、月一度の登校を女子生徒の制服で通い、友人も出来た事。
工場勤務半年で上司に襲われ、汚れたまま歩いて帰った事、翌週には退職した事。
父親と一緒に来たこのお店で、ママから働かないかと誘ってもらえた事。
今までの事を話した綾香。
宗方には自分の事を知っていて欲しいという思いと、これからどうするのが良いのかアドバイスを貰うにも、過去を話したほうが良いと思ったので、綾香は話した。
宗方が泣いている。声を出さず泣いている。
宗方が綾香の肩へ左手を回し引き寄せた。
綾香の顔が宗方の胸に寄りかかる。
宗方の右手が綾香の頭へ、そっと置かれる。
「辛い思い、したね、、、生きるのが嫌になる位の事だったんだね。でも、良いお医者さんと高校の時の友達と、良いママさんに出会えたね。
辛い思いは幸せな時が来る前にあり、幸せな時の後には辛い時もあるものだ。人間万事塞翁が馬って言うんだ。
綾香ちゃん、、、、手伝わせてくれ、このおじさんに、、、、出来ることは必ずするから、、、、」
綾香は宗方の胸の中で、頷いた。
宗方の土曜日曜は、取引先との接待で予定が埋まる事が多い。
年末年始などの長期休暇は、東京の自宅へと帰る。
綾香と宗方のデートは、祝祭日となる場合が多い。
食事へ連れて行って貰い、夜景のきれいなラウンジでお酒を飲んだり、きれいなお姉さん方が居る高級クラブへ行ってみたり、綾香は楽しかった。
今後、夜のお仕事でしか生きていけないとすれば、お姉さま方の所作や会話は勉強になった。
例え知っている事でも詳しく知らないと言い、相手に教えを乞う。場合によっては無知を装い、わざとらしくなく驚嘆の声をあげる。
「自分の立ち位置を持つの。店の中での位置や、他のホステスとのバランスを 弁 えてね。」とアドバイスを貰った。
宗方の部屋にも泊まることもある。しかし宗方は誘ってはこない。
綾香が「セックスは嫌い。トラウマになって、、、」と受け入れないせいでもあるが、それらしい雰囲気にもしようとしない。
まるで親子を演じているかのようだ。何も話さない時間もあれば、ダジャレに腹を抱えて笑う時もある。
ある夜、何かしてあげないと悪いかと思い、宗方の寝床へ潜り込んだ夜があった。
寝ていた宗方の横に寄り添い、そっと手を胸に置く。
気が付いた宗方が、枕となる様に腕を回し綾香の頭が乗る。
「パパが大好きな小学生じゃね。」と綾香が言うと、
「俺も女の子が欲しかった。小学生迄でも良いからこうしてみたかったんだ。願いが叶って嬉しいよ。ありがとうな、綾香。」
「息子さんでしたっけ、お子さん。」
「ああ、今は一人だけのな。」
「え、、、、今は一人だけって、、、、前は?、、、二人だったの?」
「うん、話したことは誰にも無いが、、、、もう一人いたんだ男が、、、」
「どうしたの?もう一人の男の子。聞いても良い?」
宗方は話してくれた。
もう一人の男の子は、19歳の時に自殺した。
元々宗方は九州出身で、「男子たるものは、強くあるべし。」をモットーに二人の息子さんを教育していたそうだ。
しかし、30代半ばで各地の支店へと出向する転勤族となり単身赴任が続くようになる。
自殺した子は長男であった為、宗方の教育を真正面で受け止めていたそうだ。
野球を辞めたい。勉強したくない。イラストの仕事に就きたい。かわいい服が着たい。男でも女でもない自分が理想。
宗方の方針と食い違う長男の希望、意思、生き方。
思春期を父親のいない家庭で過ごし、自分を優先で生きようとする長男に対し、たまに帰る宗方はそれを鉄拳で修正しようとした。
そして、高校を卒業し大学進学をしたと思い込んでいた家族に対し、長男はアニメーションスタジオで働き始めていた。
嘘をついていた長男に、宗方は絶縁を言い渡す。資金援助も無し、2度と帰るなと追い出した。
その1年後、仕事にも生き方にも行き詰まった長男は、借りていたアパートで首つり自殺をした。
「こうなる前に、相談してほしかった。」と呟いた宗方に対し、次男から、、、鉄拳が飛んできた。
「パパは、相談する前に、話をする前に、兄さんを殴っていた。自分勝手もいい加減にしろっ! 人にはそれぞれ生きていく道を選ぶ、、、自由という誇りがあるんだっ! 小さくても消せない灯りを持ってるんだっ! 」
次男からのその言葉で、宗方は後悔した。何日も泣きながら、骨壺の前で謝っていた。
それから宗方は、すべての人の自由という誇りとは何かを見つけようと、探しながら生きている。と話してくれた。
「ねえ、ママさん。老後どうするの?、、、一緒に居ようか?」
「まあ、新君。おむつの交換してくれるの?嬉しいわ〜。でも良いの。私は死ぬまでこのお店に立つからさ。」
「ハイハイ。じゃ、、また来ます。」
「ありがとうございました。又のお越しを。」