もし私が今から東大受験をするなら(2.お金と卒業後の進路など)
前回記事はこちら
【再掲】以下の質問やご忠告にはお答えできません
なぜ今更大学に?それも全日制の。
出身大学で学歴は十分じゃない?
というか東大に行って何するの?何を学ぶの?
なんで東大?海外の大学や、日本の大学でもいろいろある中で東大って、結局学歴コンプレックスでしょ?
30代から貴重なキャリアを最低4年もストップするのはもったいない
というかいい年なんだから結婚は?子供は?
これらに関しては、本気で受験を目指すとなったらいずれ考えようと思います。
いわゆる社会人受験はそんなに甘っちょろくない!と、わざわざ私に言ってくるエネルギーを、それこそ大学受験に限らない、いろいろな勉強に使ってみてはいかがでしょうか。
資格試験、本を読み漁って教養を深めるなど、いろいろあると思います。
上記の前提をご理解の上、もしお時間があればご覧いただけると幸いです。
とはいえ、今回以降の記事では、それらについて自分から触れる可能性があります。
前回執筆時(2024年1月)から意思および状況は変わったか?
変わっていません。相変わらず東大への「未練」であったり、「異常なこだわり」から逃れられていません。
前回記事の初回公開日が1/19であることから、英検準1級の一次試験2日前に書いていたんですね。そんなんでいいのか、と今になっては思いますが、準1級には二次試験含めちゃんと合格しました。そのときの詳しい記事はこちら。https://note.com/sa13haru7nbv/n/n327df49bcb77
それはさておき。
英検の最上位である1級に合格したって、仕事でそこそこうまく行くことがあったって、プライベートで嬉しいことがあったって、どうしても煮え切らない。「東大には確かに(20歳前後の年のときに)入れなかったけど、出身大学でそれなりにいい教育を受けて、普通に生活できている今があるんだからいいじゃないか」とは、どうしても思えないのです。
前回記事執筆後にやったこと
英検準1級受験(2024年1月)→合格
英検1級受験(2024年6月)→一次試験不合格
英検の勉強はひたすら語彙に特化(最も「試験直前の付け焼き刃」が効かないのが、語彙のような地道な暗記物だと知っているので)
読書…東大に関する本、それも「日本型の学歴社会の観点から見た東大批判」の本を読みました。主に、私がここまで「東大」の呪いから逃れられない心理と向き合うための一つのヒントとするためです。類する本はもう数冊読んでみたいです。
高校国語…現代文単語集(頻出テーマ集でもある)を読み始めました(まだ途中)
前にも言った通り、「いざ撤退するとなった場合でも仕事につながるスキルとして役立つ、東大とか関係なく、今身に着けたい教養」から優先的に取り組んでいます。
「退路を確保しておく」というのがどうにもセコいように思えますが、勉強だけに打ち込めて生活のバックアップは親など誰かがしてくれる環境でない以上、それも一つのやり方として許してほしいです。
今回の主題・・・受かったところで、出られるか。出た後どうするか。
ところで東大のみならず大学というのは受かるだけではなく、(特別な事情がなければ)基本的にはそこで4年間、昼間の時間全てを使って学問に取り組み、それなりの結果を出して卒業しなければなりません。
在学中のお金と生活
あんまり自分の資産状況をネットに晒すのもどうかと思いますが、少なくとも「国公立大学の初年度の入学金と学費を払える」程度の貯蓄はあります。
ただ、その上で「賃労働なしで学業だけに打ち込んで、もちろん親などの援助も得ずに在学中…いや1年生の間だけでも一人で自活できるか」といったら、それは厳しいです。
バイトなどで生活費を稼ぐことになりますが、「再受験生・社会人経験者の大学生活におけるアルバイト事情」について、もう少しいろいろ情報を集めてみようと思います。
卒業後の進路
前回記事でも書いた通り、現実的なプランを考えても出られるのは40歳前後。普通に考えて、他の20代前半の卒業生と同じような新卒就活を戦えるわけではありません。
(いっそ40歳になった私が新卒採用に応募したらどんな反応されるか、見てみたいものではありますが)
そもそも、大学に入り直してまで実現したい将来の進路があるかといえば、ありません。
むしろ、「明確に学びたい学問分野・なりたい職業」がある人ほど、東大はやめた方がいい選択肢になります。それは「東大 進振り(正式には進学選択)」で調べてみればわかることです。とはいえ、だいたい何系統の学科に進みたいかという候補はいくつかあります。それについては機会があったら述べます。
しかしそれらにしても、「東大でなければならないか」といったら微妙なところで、例えば私の大好きな大型図書館に行けば「大学レベルの知識」だけなら学ぶことはできます。
(学術論文となるとまた話は変わってきます)
とはいえ、それでは今の仕事(会社)や、そこから転職できるそれに近い環境のまま定年まで勤めあげることが果たして私にとって幸せな人生なのかといったら、よくわかりません。
もちろん、今いきなり仕事を辞めて大学に通い直した結果安定した職業に就くこともできず、そうなってから「やっぱりあの頃普通に骨をうずめる覚悟で働いていればよかった」と後悔し、「相対的にはそっちの方が幸せだったし、私の人生で手に入る範囲の幸せなんてあれが限界だった」と思うのかもしれませんが…
結局こういう「やってみなければわからない系」の選択って、「やった結果後悔しないか・自分で責任とれるか」という観点で問い直すしかないのでしょうね。
それでも諦めきれないのはなぜか自分でもわからない
「前回記事執筆後にやったこと」の章でも述べた本を読んでみても、東大を出たからといってそれがそのまま「人生の成功」に直結するわけではないことが伺えましたし、実際に社会人を数年やった私の実感としても「(日本型の)高学歴だからといって上手くいくわけではない」ことは大いにわかっています。
それを踏まえてもなお大学での学び直し、それも「東大」という環境での学び直しを諦めきれず、毎日そのことばかり考えてしまいます。
まあ、ある意味「そんなこと」で悩んでいられるくらい、私の社会人人生は平和そのものなだけなのかもしれません。
今後について
本気で受験し、進学するとなったら退路を断って腹をくくる必要がありますが、「そこまでする」ことが本当に最善なのかという疑問を、自分の中で解消しきれていません。しかし、「だったらやめた方がいい。今できることを頑張った方がいい」となりません。もはやここまで来ると呪われています。
とりあえずは引き続き、英検の勉強を続けるのと国語(現代文)のテーマ集を教養として読み進めて行こうと思います。
まだ、第一の関門というか「勉強を頑張ってそこそこの結果を出せるかどうかの試金石」である、英検1級ですら達成できていません。
英検1級に合格したら、また「東大」について考えて記事にしようと思います。