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ちくしょう!やめてやる!の話

何事も、はじめることは割に簡単なんですよね。
そういう時っていうのは、何か突き動かされる大きなものを持っているから、この先訪れるいろんなことに対して「やってやらぁ」感、ある。
はじめる時っていうのは、勢いと希望が味方になるわけで。

問題は、やめるときなんですよね。
もうこれがいろんな問題を引き連れてきて、それは他人との関わりだったりしがらみだったり、はたまた自分との兼ね合いだったり。
「やめる」ってもうめちゃくちゃ。勢いもないし希望もないしモチベーションもないし、なのに疲れる。どういうことなの。

まえおきはさておき。
先日、利用頻度の低いツイッターのアカウントが何者かによって不正利用され、英語圏のアカウントのツイートに対し、いいねとRTを無双していたことが発覚。もちろん全く心当たりがありません。
もともとツイートを見るためだけのアカウントだったので、フォロワーもおらず、迷惑をかけることもなかったのですが、二週間ぶりくらいにログインしてその惨状、最初は苛立ち憤慨したものの、だんだんと「大して利用しないアカウントを持っている方が悪い」と思い始めました。

そう、あれは10年ほど前のことです。当時、作ったばかりのフェイスブックのアカウントを乗っ取られ、美人韓国人女性に顔のサムネイルを差し替えられ、大人向けな情報を発信する内容(しかもハングルで投稿されていたため翻訳して初めて内容を把握)に書き換えられたところ、それに反応した男性にひたすらフォローされ通知が止まらず、怖くなってフェイスブックのアカウントごと消したことがありました。
そう、その時に思ったのです。勢いに任せて特に発信することもないのにアカウントを作るから、こんなことになってしまうのだと。
それから二度とフェイスブックのアカウントを作ることはなく、キラキラした世界のインスタのアカウントなど論外、趣味の文具と絵本作家さんの情報を得るためだけに数年前に作ったツイッターのアカウントだけが、唯一私と世の中を繋ぐツールだったのに。
そのツールも、とうとう乗っ取られてしまった。

パスワードこそ変更しましたが、またいつ同じことになるかもわからないことを考えれば、もうアカウントは持たない方がいい。面倒でも、フォローしていたアカウントはひとつひとつ検索していけば最新は見に行ける。
なんだか言葉にできない気持ちになりながらアカウントを削除しました。

あーあ、本当になんて面倒なことをしてくれる輩がいるんだよ。
ちくしょう!もうSNSなんてやめてやる!

あと、8月末に今の仕事も。


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