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年末年始ランダム日記

12/30  実家に夜行バスで帰省。大阪駅着。
大阪に住んでた頃からキタ(梅田)の方は通わなかったからよくわからない。
すっかり変わってしまった梅田に着いたら「よぉ覚えてへんやろうな」と思っていたけど、案外方向感覚は覚えているもんでバス停から四つ橋線まですんなり行けて拍子ぬけした。子どもの頃に身に付けたことは身体が覚えているもんだなと感心する。
実家に帰って墓参りや買い物など済ます。

1/1  元旦は山に行くので31日はカウントダウンもせずに寝た。母と2人だし、親戚も多くないし、正月らしいことは特にしない。
父母私で過ごしていた子どもの頃の年末年始は、三人寄れば文殊の知恵、ならぬ、三人寄れば暴力沙汰ぐらいに、毎年家の中が荒れていたので良い思い出がない。家族で過ごすということがとても苦手な家族だったのだ。そして人の怒りは相手を殺しても治らないし反省もしないな〜と学んだ。
トラウマでもないけれど、大人になってからイベント事がさほど楽しいと思えないのは残念だと思っている。

山を登っている母を被写体にシャッターを切る。
虹の黄昏の「メイク前のババァ」やん、と思ってしまった。美しい人が老けていく様はどう見えるんだろう。
母も普通に初老だし、私と相性が良いわけでもないのだけれど、写真は撮りたくなるので魅力を持つ被写体というのは恐ろしい。

1/2  祖母に会いに叔父と従姉妹と母と4人で特養に行く。
もう私の事は覚えていない祖母だけど仕方の無いことだからショックは無い。
母たち姉弟の為に、長生きして欲しいなと思う。
お昼は叔父と従姉妹と家で蟹鍋。
昼食中の会話で母が「お姉ちゃんの方が可愛がられとったし!」と言い出して、きょうだいは平等に育てないと70手前になってもずっと根に持たれるな、と思うがやめてほしい。ここ最近やたらと言うようになったから何か不満が募っているのだろうけど。
ちなみに私はひとりっ子だから不平等に扱われるのに慣れてない。それもどうかと思うけど、仕方が無いからなぁ。
夜行バスで東京に戻る。でも高尾着にしているから、東京に着いたらすぐに山に登るのだ!

1/3  高尾駅に6時前に着。高尾駅のコインロッカーに山に必要の無いものはぶち込んで身支度をして、金毘羅神社経由で高尾山の方に向かう。
9時頃に山頂に着。世界で1番登られてる山なだけあって9時でもまぁまぁ混んでる。薬王院でお参りして下山。どんどん人が登ってくるので早朝に行って良かった。
Hさんに都写美無料だよ!と唆されたので、自分の体力にビビりつつ、そのまま恵比寿に。

葉山で観たソスは、写真がデカくてあっさりした印象だったけど(デカいことに何か見落としてないか?)、都写美のソスはシンプルで、眼の位置も安定出来て見やすかった。1枚、印象的で気に入った写真があったので満足した。
好きな作家はそこそこいても「好きな写真1枚あげてください」って私には結構難しい質問なんだよな。
新進作家は少し構えていたものの1人目から良くて安定して観れた。事前情報で観る前は構えてしまっていたけど「写真」として面白かった。
自宅に帰り、仕事終わりにすぐに実家に帰ってしまったので家の掃除や帰省の片付けなどする。
優秀過ぎん?!と思ってたら、案の定寝落ちしてしまった。

1/9   △magazine打ち合わせ。本当は会う予定だったけど、風邪などの事情によりLINE電話に変更。
打ち合わせからあつ森の話や都写美の感想など。私の人生相談までしてしまい、ついつい長電話をしてしまう。
つらつらと生い立ちを含めて悩みを相談をしていると「写真があって良かったね」と言われて、とても腑に落ちた。
「写真に生かされてる」とか「写真があるから生きている」とか「写真しかない」は、大層過ぎだし随分特別なように聞こえるし写真に頼りすぎてねぇか...と全然ピンと来なかったけど「写真があって良かった」は本当にその通り。良かったのだ。
私にとって「写真があって良かった」は事実だし、写真をやっている人たちそれぞれにきっと「写真があって良かった」は存在していると思う。
私なんか写真がなかったら友だちなんてひとりもいないだろうしな。
年末年始に実家に帰省すると家族のネガティヴな部分をみて、落ち込みやすくなってしまうのだけど話を聞いてもらったらとても安心した。

なんでこんなアンダーなん?!って思ってたけど、設定がアンダーになってた。半年間気が付かなかった写真4枚。

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