九州男児という民族性によって吸収男児にされた被害者について
近年、テレビや恋愛コラムニストの影響か、他人のことを「九州男児」よばわりする世俗が多すぎて気分を害されることがよくある。九州で育ったというだけで「他人のことを九州男児とか言っちゃうやつは死ねばいいのにっ」って思ってしまうほどに、ぼくは九州男児が大嫌いだから記事に書き起こした。
そもそも男子はなぜ「男」というだけで好きな髪型をする権利、おしゃれをする権利、憲法13条で保障された幸福追求権を侵害されなければならないのか。なぜ男というだけでこんな屈辱を受けなければいけないのか。
学校からの散髪指示で髪の毛を刈り上げられ、当時16歳にして短髪のチー牛に落ちぶれた自分の姿が泣くほど情けなくて、悔しくて、人前に出るのも恥ずかしかった。もともと東京生まれで、見ず知らずのエホバカ証人から九州まで嫌々連れてこられた身として、「九州男児」という異国の民族性イデオロギーを植え付けられる感覚はナチ党の捕虜となってアウシュビッツに収容される屈辱だ。
九州男児は「男ならシャンとしなさい」という頭の悪い馬鹿親どもによって育てられる。
ぼくが学校から散髪指示を受けたとき、児童養護施設のオバサンどもは、「あら頭サッパリして〜九州男児じゃないの〜」とかほざいてたが、そうして量産された哀れな九州男児は自尊心も低く自己主張の少ない弱者男性へと仕立て上げられただけだから、恋愛どころではないし、恋愛の場では圧倒的に不利になる。
だからぼくにとって「九州男児」とは、学校や会社、馬鹿親ども大人たちから男らしさを要求され、散髪指示され、尊厳的な何かを吸収されてしまった搾りカスの男児「=吸収男児」なのである。
学校や会社、馬鹿親ども大人たちから「男ならシャンとしなさい」と立ち居振る舞いまで強制された吸収男児は同時に自己の主体性まで奪われているから、『男らしく認められよう』『自尊心を取り返そう』と必死であるから、おとなしい同級生や下級生に対してマウントをとりたがる傾向がある。それは女性に対しての男尊女卑的なマウントと同じであり、そうやって周りを巻き込んで吸収するという意味でも、ぼくは〝九州男児〟という悪弊のもたらす民族性を〝吸収男児〟と蔑称している。
冒頭でも書いたが、ぼくはテレビや恋愛コラムニストらの影響をうけた馬鹿親どもから「あら〜九州男児じゃないの〜」とかもてはやされると、『この世俗が死ねばいいのに』とブチ切れそうになる。どうせ呼ばれるなら「草食系男子(装飾系男子)」と呼ばれたほうがまだマシである。
九州男児イデオロギー
続いて、九州男児イデオロギーは何によって刷り込まれてきたのかを考えてみよう。
テレビ・ニュースメディア・恋愛コラムニストらがいかに「九州男児」という謎の民族性を美化して人々を洗脳にかけてきたことか。検索してみればわかるだろう。
九州の男子の特徴は?
恋人&夫に最適!九州男児の魅力
・ 男らしさがある
・ 包容力がある
・ 行動力がある
・ 太っ腹
・ 亭主関白
・ 情に厚い
・ お酒好き
・ 気が短い
この検索結果からは、「男らしさ」という魅力は伝わってくるものの、どうも男の性格面を抽象的かつ客観的に書き出したような中身のない男のイメージしか伝わってこない。つまり、男らしさばかりが追求され、人間本来の個性や主体性の部分が欠如してしまっているように感じてしまうのはぼくだけだろうか。