真夜中乙女戦争
『真夜中乙女戦争』という本を読んだ。
真夜中に魅力を感じるのは若者の証拠だ、という言葉を耳にしたことがある。
深夜のドライブ、丑三つ時の線香花火選手権、街灯だけを頼りに歩くコンビニまでの数メートル、工場夜景という名の埋立地での唯一の光源、そして真夜中の恋人たち。
暗闇を愛おしいと思うのは、暗闇が飾らない等身大の自分の時間と隣り合わせだからだと私は思う。数時間後にはまた踵を鳴らしながら忙しい街へ繰り出す。かなりの高確率で起こる指先の未来が見えているからこそ、今だけ、ほんの少しだけ、堕落した自分を許してあげられるという甘えが隠し味。
背徳感というスパイスをほんのり効かせて。
するとまた更に、全てを飲み込みそうな圧倒的なエネルギーを持つ夜に愛着が湧く。
だから私は真夜中が大好きだ。
この本には好きな言葉が沢山ある。
真夜中が永遠に続けば、人類の不幸や幸福の総量は変わるだろうか。
真夜中を愛するものも、また憎むものも乙女であると冒頭で著者は言ったが、わたしはこの人までに"真夜中"が似合う人を知らないとさえ思う。
あと季節の変わり目の表現もとても好き。
四月の空、その青をもう一度見上げる。その狂暴な純度に殺されそうになる。
五月の夜は間抜けな春の熱を失いかけ、知らず識らず私の手を震わせる藍色に落ちていた
全く凡庸な六月の夜が、永遠のような風情をして、私の目の前に拡がっている
とにかく抽象的でしかないこの表現が、なんとなくニュアンスで伝わってしまうのは、この本が持つ言葉の魔力とでも言えるのだろう。
失恋と夜更かし、廃墟侵入、映画鑑賞は、我々学生の必須科目である。
「百貨店に左足から入る女は、この世に絶望しているよ。」
室内の水場という水場に乾燥ワカメを敷き詰め一時的に水場全てを使用不可にした上、から続く私的な嫌がらせ(無意味な暴力)という表現。
こんな概念が存在するなんて、生きている中で考えたことなんてない。思いつきさえしない。
随所随所で堪らないな、と悔しいながらにワクワクさせられてしまう。
でも感想なんて話せばチープになるのはわかっているので、最後にわたしの一番好きなフレーズだけご紹介。
全311頁の中で最も著者らしい表現だと思う。
「空から降る三千のピノがあなたに墜落しますように。良い夜を。」
もう何度読んだかわからないほど好きな作品。
間もなく劇場で公開されるということで、公開前に再読したのだが、語彙力の権化みたいなこの世界観が、どのように映像化されるのか、今から楽しみで仕方ない。