シンデレラガール
小説『おちくぼ姫』を読んだ。
落窪物語という御伽噺を現代風に訳したものである。
まあ言うなれば「王朝版シンデレラ」。
高校生の頃に読んでからずっと好きな小説なのだ。が、毎度毎度思うことがある。
私なら急いでる時に階段の途中で靴が片方脱げたら両足捨てていくし、例えそれが王子様だろうと、魔法で変わった程度なら思い入れも無いんだから置いて行ったはずのガラスの靴は、ご丁寧に自宅まで持って来て頂かなくていい。
時代が変われば12時にならずとも魔法は解ける。
かぼちゃは化けたってランタンが限界だし、魔法使いが来なくたって財力権力でドレスが用意できる時代にもなった。
今まで夥しい数の文学に触れてきた所以であるだろう。
この類の話を読むたびに毎回思うのが義理の親族に虐められ、最後はハッピーエンド。
読者サイドとしては先の見える、よくある話だよなということ。
けれどそれと同時に毎回思うのがシンデレラは自分が主人公になれるなんて幸せになれるなんて想像だにしなかったのだろうなということ。
『恋に苦しんだのは、
あなたがはじめてです。』
帯にもなっている、本文よりから抜粋した一節。
盲目的な恋がしたい。
何度思ったことだろうか?
実際の恋愛なんて、建前と現実と、ほんの少しの妥協と浮遊感で構築されている。
誰だって幸せの絶頂期は自分が主人公になれるはずだが、所詮井の中の蛙でしかない。
いざ解散して1人になった途端、あのときの幸せはほんの少し遠くに霞んでしまう。
物語として、昔話として、ファンタジーとして。
そうして存在するから美しいものだってある。
まあ某アイドルが歌っていた現代版シンデレラも個人的には好きだったりするが。
ただ歌の中にあるように、23時間近になっても賑わう街や長い階段を駆け上がって駅の人波に消えるような都会の別れ際。
そんな時代で生きている私には、まだ生活の中のどの部分を抜粋しても映画やドラマになるようなあり得そうであり得ない設定が皆無。ファンタジーには程遠い。
まだまだ私には物語の主人公になる資格はないみたい。
さあ、今日はどんな世界に旅に出ようか?
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