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なぜ人は生きるの?(その6)
その頃からでしょうか
自分の身体の異変に気付いたのは
肥満の傾向、頭髪の抜け毛、記憶の欠落が顕著になってきました
ネットで調べると公式には発表されていませんが鬱病の薬を服用する方には肥満の傾向がある事がわかりました
抜け毛は遺伝です…が、今回はそれに加えてストレスが影響しているようです
記憶の欠落は妻に指摘されるまで自覚がありませんでした
けれど言われみればあの時の記憶が無い
これには少し焦りましたね
その後は気をつけていましたが飲酒をすると薬との反応で記憶がぶっ飛ぶ事が増えました
蛇足ですがネットといえば今は光回線がごく普通になりましたね
でも当時はダイヤルアップと言って家の細い電話回線を使っており「ピーヒョロロー」って音が鳴ってネットが繋がっていたんです
途中で電話がかかってくればネットも切れるし従量課金制でしたからWi-Fiで何処でもネットと繋がるなんて夢の様ですよ笑
そんな時代ですからネット検索しても情報量は少ないし「ネットサーフィン」なんて言葉も生まれて次々に関連サイトを閲覧しているうちにエ◯画像のウィンドウが連鎖反応してウイルス感染なんて事もザラでした
今はLINEを使う方が多いですが当時はメールです
インスタとかXではなくブログで交流していました
僕は車仲間とブログで交流し、月1回オフ会を開いてチューニング情報やパーツ交換などしていました
オフ会に参加される方々の殆どは平日は仕事をし、月の第一週の日曜日に柏のスーパーオートバックスに集まってきました
オフ会も事前にお店に予約するんですよ
僕は初めは参加するのみでしたが、次第にオフ会依存となり主催者側になった事もあります
やっと自分の居場所を見つけた気がしていたんですね
しかし僕は人とは違ったみたいです
特に悪気があって発したわけではない言葉も相手を傷つけたり怒りをかってしまったりする事が増えました
自分でも理由がわかりません
でも確実に僕の周囲から距離を置く人が増えていったんです
きっと言葉に棘があったのでしょう
聞く側にとっては耐えられない言葉だったのでしょう
自分で自分の居場所を無くしてしまったのですね
仕事の面も不動産販売の会社を辞めてから体調の波が激しく、フルタイムでの就労ができませんでした
アルバイトをして体調を整えてから就職活動
でもなかなか決まりません
結局、建築CADの経験を活かして設計の仕事に就きました
この時も病気の事はクローズでしたので「普通」を装うのにかなり苦労しました
まず朝が起きられないのですから笑
3ヶ月の研修期間中は設計する製品を知るために工場での製造作業がメインでした
中途採用でしたが同期が10名程いたでしょうか
僕が一番年長で、工場から宿舎までの送迎車の運転を任されました
寝坊してはいけないというプレッシャーもあり、やはり徐々に不眠になっていきました
それでも週末の休日には片道3時間かけて子供と一緒に実家に戻っていた妻の元に帰りました
それが何よりも楽しみでしたから
漸く研修が終わり幡ケ谷の本社で設計の仕事が始まりました
CADで作図する事は大変です
少しのミスがあってもそれが製品として出来上がってしまうからです
以前の会社でもCADは使っていましたが、実はこの会社で使うCADとは異なるソフトでした
ですから研修の担当をしてくださった先輩には事情を話していましたが、研修期間中に新たなCADを0からマスターしなければならないという課題ものしかかっていました
幸い基本的な操作はどのCADも似ているのである程度は追いつけましたが、やはり実戦となると重圧がもの凄いのです
それでも徐々に経験を重ね上司の信頼も得られる様になりました
社内のCAD利用者実技試験ではトップの成績で優秀賞もいただきました
少し緊張も解けてきた頃です
忘年会で皆さんと飲んでいた時に意識が飛んでしまったんです
僕は当然記憶にありません
後に聞いた話では先輩が慌てて対処して下さったそうですが、結果的にそれが会社に僕の病気をカミングアウトすることになってしまったのです
そのあとはまあ色々ありました
でも張り詰めていた糸が切れたといいましょうか、体調もまたグダグダになり、休職の後に退職となりました
(その7へ)