なぜ人は生きるの?(その11)
ODしたのは死にたかったからではない。
誰にも必要とされず、どこにも居場所がなく自分が無価値に思えた。
正確に言えば生きているだけで家族や周りの人に迷惑をかけてしまう現状に嫌気がさし、この世から消えたかった。
発病前からふと気づくと
「あの車が僕を轢き殺してくれないかな」
「どういう方法が綺麗に死ねるかな」
などと考えている自分がいた。
我に帰ればヤバかったと多少は焦るのだが、自分の意思とは関係なくメトロノームのように刻々と時は進んでいく。
どこかで終止符を打ちたかった。
既に痛いとか苦しいとかの感覚もなく、生きていて嬉しいという感情さえわかなかった。
唯一、息子と妻への申し訳ないという懺悔の思いだけ。
時間を少し遡るが、以前の投稿に僕が車仲間とブログでの交流があった事を書いた。
同じ車を所有しているというだけで親近感が湧くもので、ブログに僕の病気や仕事に就けない状況なども綴った。
ある日ハンドルネームしか知らない仲間から「障害年金」という制度がある事を教えてもらった。
加えて申請に詳しい先生も紹介してくれた。
病気になってから担当医や区役所などに生活の補助が無いかを尋ねた事があったが、自立支援制度のみで障害年金については一切聞かされていなかった。
障害者手帳も特別メリットは無いとまで言われていた。
藁をもつかむ思いで先生に電話。
すると数日のうちに現状確認や発病原因など様々な問い合わせがあり書類作成に尽力してくださった。
そして障害年金の受給証が送られてきた。
同時に障害者手帳も取得。
暫くののち年金が支給されるようになった。
何故主治医も役所もこの制度の存在を教えてくれなかったのか。
それはいまだにわからないが。
就労できず給料が入らない状況の中での子育て。
妻には本当に苦労をさせてしまった。
年金は数年分は遡って支給されたため、やむなくカードローンで抱えていた負債も全額返済できた。
その額1000万円。
もしブログで知り合った車仲間がいなければ、この時点で破産していただろう。
僕も家計は全て妻に任せていたが、もっと早く気づいてあげなければいけなかった。
皮肉なもので、実はこの安堵感がODのトリガーをひいた。
もう僕がいなくなっても大丈夫かもしれない。
そう感じてしまったからだ。
(その12につづく)