見出し画像

『真夏のチョコレート』

登場人物
 引場秋空・白兼春花・井藤夏海
 他、声の出演が三人

一場

 引場秋空(アキラ)が神妙な顔で椅子に腰かけている。

面接官(声) では、最後に一つだけ――
アキラ それはあまりに予想外の問いだった。近頃の就職試験では相手の反応を窺うための突拍子もない質問が飛んでくることがあると聞くが、まさにそれだと思う。一瞬、頭が真っ白になって何も考えられなかった。
面接官(声) あ、はい。もう結構です。ではこれで面接試験を終了します。
アキラ すごすごと退室する俺の頭に浮かんだのは、以前、友人に言われた一言であった。
ナツミ(声) アキラ氏って頭はいいけどバカだよね。

 アキラが溜め息を吐き、分かりやすく頭を抱える。

アキラ ああー。

 改めて舞台を見ればアパートの一室――引っ越し荷物と分かる段ボールと生活感を出すためのちょっとした小物が置かれている。そこへ白兼春花(ハルカ)が上手側から入ってくる(上手が寝床、下手は水回りや玄関へ続くイメージ)。

ハルカ ……アキラくん?
アキラ ああ、ごめんハルカ。起こしたかな?
ハルカ ううん、起きてた。
アキラ そっか。
ハルカ 喉乾いたな。何か飲む?

 と、ハルカは下手側へ捌ける。

ハルカ(声) この時間にコーヒーはまずいよね……あれ、紅茶とか緑茶にもカフェインって入っているんだっけ?
アキラ ああ、まあ気にするほどじゃないよ。
ハルカ(声) でもコーヒーも紅茶もカフェインの量は大して違わないって、アキラくんから聞いた気がするんだけど。
アキラ それは……グラム当たりの含有量の話だな。
ハルカ(声) え、何?
アキラ そういうレトリックがあるんだよ。コーヒー豆と紅茶の葉で比べれば、カフェインの量はそう変わらない。でも、実際にはコーヒー一杯に使う豆と紅茶一杯に使う茶葉の量が違うから……結局はコーヒーがダントツ寝る前には向かない飲み物だって話。
ハルカ(声) ふうん。

 いかにも舞台っぽくアキラが語り出す。

アキラ 白兼ハルカは大学のサークルの同期である。二年前から付き合っている彼女と同居することになったのは、情けないことだけれど、経済的理由からだった。そうでなくとも親からの仕送りが途絶えたというのに、就職活動のために俺は意図的に卒業を一年遅らせた。新卒の肩書を授業料で買ったわけだ。ハルカは何も言わないけれど、この状況がよくないことは分かっている。
ハルカ(声) あ!
アキラ え?

 ハルカがカップを二つ持って戻ってくる。

ハルカ あのチョコレート。
アキラ 食べちゃダメだった?
ハルカ いや、それは別にいいんだけど。ただこの時期チョコは冷蔵庫に入れといてね。すぐ溶けちゃうから。
アキラ そっか、そうだね。
ハルカ (カップを一つ渡して)お茶にしておきました。でもさ、さすがにこの時間はきついかな?
アキラ 俺はカフェインのせいで眠れなくなったことはないと思う。
ハルカ いや、チョコの方。
アキラ へ?
ハルカ アキラくんが開けちゃうとあたしも食べたくなっちゃうんだよ。でも深夜にチョコレートは太るし、ニキビとか怖いし。ねえ? 
アキラ ……それ、都市伝説。
ハルカ え……?
アキラ 迷信だよ、夜中にチョコを食べたからニキビができるってのは。
ハルカ そうなの?
アキラ 正確には、食べたくなった時点でアウト……かな? 夜中に無性に甘いものが食べたくなるのにはストレスとか生活習慣の悪化といった要因があって、それはニキビができる原因とも近いから。
ハルカ 我慢してもできる時はできる?
アキラ そういうこと。ついでに言うと、ニキビは潰すなってのも正確じゃない。問題は衛生面であって、素早くきれいに潰せばむしろ痕は残りにくいんだ。
ハルカ ……ふうん。

 中途半端な間ができる。

アキラ え、何?
ハルカ いや、相変わらず変なことばっかり詳しいなって思って。
アキラ 変かな?
ハルカ うん。
アキラ ……そっか。

 ちょっと長めの間。二人ともカップに口を付けつつ言葉を探している感じで、そこからそれぞれに語り始める。

ハルカ アキラくんはクイズ研究会部長にして雑学王だった。本当にたくさんのことを知っているし、幅広い分野に興味を持てる人である。本業の勉強だって、多分サークル内では一番熱心だったんじゃないだろうか。あたしはこの人の変な知識を得意げにひけらかすところが結構好きだ。時にしょうもないと自嘲して笑うところまで可愛いと思っているのだから、相当まいっている自覚がある。
アキラ 俺が大学で勉強していたのは主に哲学である。全ての学問の根源とも言われているのに「それを知って何の役に立つのか」と聞かれると難しい。俺自身、ただ面白いから学んでいた節があるだけに尚更だ。先人たちの思想に「なるほど」と感心させられる瞬間はもはやカタルシス――精神の浄化作用だったが、そう言ったところで面接官には伝わらない。言葉で上手く説明できないせいで、しまいには自分が学んできたものが自己満足のしょうもない知識ばかりだったのではないかと不安になる。
ハルカ 思うに彼は、本当は大学院に進みたかったんじゃないだろうか。企業に就職するよりも思索と研究の道の方が本人の適性にはよっぽど合っている気がする。無駄に常識があるからそういう選択をできなかっただけで……。あたしはこうして隣にいられるだけで幸せなのだから「なんなら就活はやめて院試の勉強に切り替えたら」なんて、ちょっと言ってみたくなる。さすがに言わないけれど。
(アキラに)それ、飲み終わったんなら片付けちゃうね。
アキラ ああ、ありがとう。

 ハルカは手早く二つのカップを片付けた後、ふと、という感じでアキラに話しかける。

ハルカ そう言えば、何してたの?
アキラ ん? いい加減この山片付けないとなあと思いながら開けてみたら……こっちの箱はいかにも学生生活って感じでさ。これは広げるまでもないなと。
ハルカ どれどれ?
アキラ あ、出すのね。
ハルカ あー確かに、懐かしい。

 ハルカが箱の中を覗き込む。アキラそっちのけで色々出しちゃう感じで、最後に現れたのが売り子の衣装である。

ハルカ これとか学祭で売り子した時のでしょ? 何でアキラくんが持ってるの?
アキラ 予算オーバーしたのは部長の責任だって、ハルカが買い取らせたんじゃないか。結構キツかったんだぞ。
ハルカ あ! アリスの衣装まであるじゃない。
アキラ 別に俺の趣味じゃ……。
ハルカ 分かってるよ。え? てかこれ、ナッちゃんが着てたやつ?
アキラ (頷く)だから、俺が引き取るしかなかったんだ。
ハルカ ……捨てなよ。
アキラ え?
ハルカ もう使わないものばっかじゃん。とっといても仕方ない……ていうか、本来なら引っ越す前にもっとちゃんと整理すべきだったんじゃないの?
アキラ ……ごめん。
ハルカ いや、別に謝ってほしいわけじゃないけど。
アキラ じゃあ、どうすれば?
ハルカ 片付ければいいんじゃないの? 前からちょっと思ってたけど、アキラくんの荷物さすがにこの量は多すぎるよ。
アキラ ごめん。
ハルカ だから謝ってほしいわけじゃなくて――
アキラ 捨てられないから、俺には。
ハルカ ……そっか。じゃあせめて、あんまり散らかさないでね。
アキラ 分かってる。
ハルカ じゃあ、あたしもう寝るね。
アキラ ああうん。
ハルカ アキラくんも、あんまり夜更かししないこと。
アキラ うん。

 と、ハルカは上手側に捌ける。

アキラ ハルカの言い分はもっともだ。これらはもう使うことのない、過去の遺物でしかない。けれど、そんなに簡単に過去は捨てられない。特に大学時代の思い出――井藤ナツミの存在は。

 暗転。

二場

 暗転中の舞台に学祭の喧騒が漂う。後夜祭会場の音声が流れている。

司会者(声) ――ということで、今年のミスターはエントリーナンバー三番、相沢冬樹くんでした。
相沢くん(声) どうも、ありがとうございました。
司会者(声) はい、ありがとうございました。というわけでね、今年の学祭も無事にフィナーレを迎えつつありますけれども。さて、もうすぐ花火の方が……あ、終わった? はい。準備が整ったようでございます。それではカウントダウンと参りましょう。十、九、八、七――

 花火とクロスフェードしていくイメージで喧騒は静まる。遠くに聞こえる程度になったところで舞台が明るくなる。とある大学内の倉庫、井藤夏海(ナツミ)が積まれた段ボールの一つに腰掛け、花火を見上げている。持ち手のついた看板が近くに立てかけてある。そこへアキラが入ってくる。二人とも売り子の格好。

アキラ あれ? ナツミだ。
ナツミ ああ、お疲れさま。
アキラ お疲れ。さっきからハルカが探してたぞ。
ナツミ そう。

 やや間が空く。花火の音が聞こえる。

アキラ 結構きれいに見えるんだな。
ナツミ え?
アキラ 花火。
ナツミ ああ。てか、むしろそれ目当てで来たんだと思ってた。
アキラ え?
ナツミ 去年もここから見たんだよ。片付けの準備のために倉庫に来たら意外ときれいに見えたって……そんなの忘れてるか。
アキラ いや、うん……覚えてる。確かに聞いた気がする。
ナツミ どっち?
アキラ ん?
ナツミ 確かなのか気がするだけなのか。
アキラ ああ、どっちだろう?
ナツミ (苦笑)
アキラ 片付けの準備って言葉もどっちだよって感じがしない?
ナツミ へ?
アキラ 準備なのか後片付けなのか。
ナツミ それは、後片付けの準備でしょう。
アキラ そうだけど……。

 再び間。頃合いを見て花火の音もフェードアウト。

ナツミ ねえねえ、アキラ氏は私のこと探してたの?
アキラ いや。俺は……どっちかと言うと逃げてきた、かな。
ナツミ え? ああ、あんた下手に絡まれると潰されちゃうもんね。さすがに明日は部長が二日酔いになってたらまずいもんなあ。
アキラ 俺が倒れても副部長殿が何とかしてくれるとは思ってるけど。
ナツミ 勘弁してよ。
アキラ まあまあ。えっと、ナツミは? 飲まないの? 
ナツミ 私はアルコールはなあ……むしろ疲れたから甘いものがいい。
アキラ チョコレートならいくらでも残ってるけど?
ナツミ いくらでもって。
アキラ 業務用のデカい箱で買ったから結構余ってるらしい。バナナの方が先になくなっちゃって、ハルカが頭抱えてた。
ナツミ マジか。
アキラ 価格設定の割に利益はトントン。
ナツミ 衣装にお金かけるからだよ。
アキラ でも評判は悪くなかったらしいぞ。

 突然、ナツミが看板を持って、小芝居っぽく。

ナツミ 「クイズ研究会のチョコバナナはいかがですか? 一本三百円、クイズに正解すれば二百円になります。は、写真? 握手? そういう商売はしてませんけど――」
アキラ 「(遮って)ミルクとホワイトの二種類ご用意しております。ホワイト? じゃあ、そんなあなたに問題です。ホワイトチョコレートはどうして白いのでしょうか?」

 ドヤ、とアキラが決めてから、

ナツミ って、誰がこんな問題分かるんだよ!
アキラ え、分からないかな?
ナツミ アキラ氏って頭はいいけどバカだよね。
アキラ ……。
ナツミ で?
アキラ え?
ナツミ 何で白いの?
アキラ カカオマスを使っていないから。
ナツミ ……は?
アキラ チョコレートの主原料であるカカオは大きく二つの成分に分けられるんだ。黒くて香りのいいカカオマスと、白くてコクが出るカカオバター。よくあるミルクチョコレートは両方を配分にこだわって使っている。そしてホワイトチョコレートはカカオバターだけで作られたチョコレートのことなんだ。
ナツミ 何でそんなこと知ってるの?
アキラ チョコレートの成分表示を見たら「カカオ」って言葉が二つあったから気になって。で、調べてみたらどっちも同じカカオから取れる成分だと分かりました。
ナツミ 好きだねえ。
アキラ むしろ俺ってそんなに変わってるのか? 大学のクイ研に入ったんだから、雑学好きはもっといると思ってたんだけど。
ナツミ それはさ、大学が高等教育を受ける場だと思っている人間と同じ考え方だよね。
アキラ ……え?
ナツミ もちろんそれが本来の姿だしそのために大学に行く人もいるでしょう。でも、大抵の学生は「就職するにはまだ早い」と思っているから進学するんだよ。学費で時間を買っているようなもの。学歴なんて当てにならないしね。
アキラ ナツミも?
ナツミ 私は半々かな、教員免許を取るには大学進学がマストだから。
アキラ ああ、そうだった。
ナツミ アキラ氏は?
アキラ ……俺さ、受験期の進路相談で「強いて言うなら博識になりたい」って答えて担任を絶句させたことがあるんだよ。
ナツミ 博識か、あんたらしいね。
アキラ でも進路を決める上では厄介な目標だった。結局、全ての知に通じるってうたい文句の哲学にしたけど。
ナツミ そしてクイズ研究会か。いいねえ、やりたいことがある人は。
アキラ それはむしろナツミの方じゃん。教師になりたいんだろ。
ナツミ 別に教職課程取ってるのと教員志望はイコールじゃないからさ。
アキラ ん?
ナツミ ……あれ、分からない? さては酔ってる?
アキラ 飲んでるけど。いや、言ってることは何となく分かるけど……。
ナツミ 納得できてないんだ。
アキラ そういうことかな。
ナツミ ふうん。

 少し持ち無沙汰な間。アキラがふと気付いたように。

アキラ その格好さ。
ナツミ ん?
アキラ ナツミには似合わないな。
ナツミ (若干嬉しそうに)そう?
アキラ なんかいかにも女の子って感じで……あ、別にナツミがどうだって言うわけじゃないんだけど。
ナツミ ハルカなら似合うだろうね。
アキラ え、ハルカ? ダメだよ、あれは。
ナツミ そっか、他の野郎には見せたくないか。
アキラ え……?
ナツミ いやあ、私もさっさと脱ぎたいんだけどさ。ハルカが後で写真撮りたいって言ってたから着といてやってるの。どうせアキラ氏もそうでしょ?
アキラ あ、いや。写真に関してはもう散々撮られたんだけどさ、誰かさんのせいで俺の私服がチョコレートまみれになりまして。
ナツミ ああ、あったあった。そんな事件。
アキラ まるで他人事だな。まあ、そういうわけで今日は帰るまでこの格好。
ナツミ そうなんだ。まだ着てるんなら私も後で写真撮ろうかな。
アキラ やめてくれ。……もしかして、こんな所で一人花火を見てたのはハルカから逃げてたから?
ナツミ はあ?
アキラ だってナツミって写真とか苦手そうじゃん。しかもそんな格好で、ホントは撮られたくないんだろ?
ナツミ だったらさっさと着替えてるでしょ。
アキラ そこはハルカの頼みだからさ、最終的に撮らせてやるつもりはある。
ナツミ ……。
アキラ まあまあ、俺も一緒にいてやるから。
ナツミ 余計ヤダよ。
アキラ やっぱり嫌なんだ。ナツミって思いのほか優しいよな。
ナツミ ああ?
アキラ ハルカ限定で。
ナツミ ……こいつバカなくせに頭いいんだよなあ。
アキラ (聞こえた上で)え、今なんて言った?
ナツミ (切り返すように)アキラ氏って、ハルカと付き合ってんの?
アキラ ……は?
ナツミ まああれで付き合ってない方が驚きだけど。
アキラ ええ?
ナツミ いじられるのが仕事の部長がしっかり者の会計に愚痴をこぼすのはあるべき姿かもしれないけどさ、黙って聞いてあげてるハルカの気持ちは一目瞭然でしょう?
アキラ いや、ナツミにも話は聞いてもらってるじゃん。
ナツミ ハルカとご飯の時は奢ってあげるんでしょ?
アキラ あれは迷惑料込みっていうか――
ナツミ 私には一円だって奢ってくれたことないのに?
アキラ だって、ナツミが嫌がるから。
ナツミ ハルカって可愛いよね。まさに女の子って感じで。
アキラ え? いや。それは……。
ナツミ (睨む)
アキラ 否定しないでおくけど。
ナツミ ちゃんと幸せにしてあげるんだぞ。
アキラ ……。
ナツミ ……何さ?
アキラ 何って、むしろこっちが聞きたいところなんだけど。
ナツミ ハルカは可愛くて、女の子で、アキラ氏にぞっこんだから幸せにしてやれって話だけど。
アキラ 何で急にそんなこと――

 アキラはナツミの真意を問い質そうとするが、その声はハルカの登場でかき消される。

ハルカ ナッちゃん、こんな所にいたの?

 ハルカは酔っているのか、かなりの勢いでナツミに抱きつく。

ハルカ アキラくんも、ナッちゃん探しに行ったっきり帰ってこないんだもん。
ナツミ え、あ、そうだったの?
アキラ だからそういう口実で抜け――
ハルカ 何さ、二人でラブラブしてたの?
二人 どこが!
ハルカ ふーんだ、お二人さん気が合うのは知ってるんだからね。
ナツミ あーあー。だいぶ酔っ払ってるな。
ハルカ ねえナッちゃん写真撮らせて。
ナツミ はいはい。

 ハルカ、ナツミに向けケータイを構える。が、隣に立っているアキラに気付いて。

ハルカ アキラくんも入って。
アキラ 俺?
ハルカ うん、お揃いっぽくていいじゃない。
ナツミ いやいや、私とこいつって意味分からないから。
アキラ じゃあ、なあ? 三人で撮るか。うん、それがいい。
ハルカ でも自撮りじゃ衣装まで上手く入らないよ。
ナツミ いけるいける。

 ナツミ、ハルカのケータイを奪うようにして写真を撮る。シャッター音が何度か。

ナツミ ね、これでいいでしょ?
ハルカ (確認しながら)うーん……。
アキラ ああ、じゃあ俺が撮るよ。てか、最初からそうすりゃ良かったんだ。
ハルカ え? うん。

 促されるままアキラにケータイを渡し、再び撮影会。

アキラ ほら。
ハルカ アキラくんとナッちゃんのは?
ナツミ あーアキラ氏、チョコレートの在庫でも見てきて。
アキラ ……は?
ナツミ 後で食べたいから。

 ナツミがアキラを粗雑な感じで追い払う。それを見たハルカがニヤニヤと。

ハルカ ホント可愛いなあ。
ナツミ なに衣装のこと? じゃあハルカが着れば良かったじゃん。私はこういうの、似合わないし。
ハルカ そんなこと――
ナツミ あるの。アキラ氏も似合わないって言ってた。
ハルカ 意地っ張りめ。
ナツミ どっちが。
ハルカ ……。
ナツミ まあ私のことは置いといてさ、二人は? どうなの?
ハルカ どうって?
ナツミ 実際に付き合い始めてさ。
ハルカ 付き合ってる……のかなあ?
ナツミ (ハルカに泣きつかれて)まったくもう。きっかけがないと動けないのはアキラ氏らしいっちゃらしいけど、それにしたってじれったいな。
ハルカ アキラくん、きっと迷惑してるんだよ。
ナツミ それは絶対ない。大丈夫。
ハルカ ホントに?
ナツミ うん、あいつのことは私が一番分かってる。
ハルカ 一番……。
ナツミ そういう意味じゃなくて! ああもうハルカはもっと自信持たないと。
ハルカ ……。
ナツミ ホワイトデーも誕生日もちゃんとプレゼントくれたでしょ? 奴は今頃クリスマスをどうしようか考えているわけよ。そんな先のこと考える暇がったら「今」一緒にいてやれって話だけどね。
ハルカ だからやっぱり、本当は面倒くさいって思ってるんだよ。
ナツミ 違うって。うーん、あいつ頭いいけどバカだからな。やっぱハルカから――
ハルカ ムリムリ!
ナツミ 分かってるよ。バレンタインのチョコも相当偽装したもんね。アキラ氏、一週間くらいしてから私に「あれは本命なのか義理なのか」って聞いてきて、おかげでホワイトデーまで返事のタイミングがなくなっちゃったんだよ。あいつのことバカだって思ったの、あれが最初だったかも。
ハルカ ……でも確かに、今思うとあたしこそバカみたいにあちこちチョコばらまいてた気がする。
ナツミ ハルカのトリュフ美味しかったな。……ねえ、これもアキラ氏マメ知識なんだけど、チョコレートって媚薬らしいんだ。
ハルカ え?
ナツミ だからお菓子業界は「愛の告白にチョコレートを」って、売り出したのかもね。
ハルカ ……もしかして、ナッちゃんもあの中に偽装チョコがあったの?
ナツミ は?
ハルカ だって、キャラじゃないって言いながら一緒にばらまいてくれたじゃない?
ナツミ 考え過ぎ。ていうか、私が配ってたのあんなんだよ。
ハルカ ならいいけど……いや。いいけどって言うかね、あたしはアキラくんと同じくらい、ナッちゃんのことも大好きだから。
ナツミ はい?
ハルカ ナッちゃんに好きな人がいるなら応援したいの。
ナツミ (笑って)ああ、ハルカはホントに可愛いなあ。
ハルカ だって、いつもあたしばかり相談に乗ってもらっちゃって――
ナツミ うんうん。
ハルカ ナッちゃん!
ナツミ だから言ってるじゃん。
ハルカ え?
ナツミ ちゃんとアキラ氏に幸せにしてもらいなさい。
ハルカ ……ナッちゃんは?
ナツミ 私は、それが一番だから。

 ナツミがハルカを抱きしめる?

ナツミ 二人が幸せならそれでいい。
ハルカ 何で、そんなこと?
ナツミ ……アキラ氏が頭のいいバカだから、かな?

 想定外の答えにハルカはキョトンとして。

ナツミ ハルカってミステリーとか読む?
ハルカ (首を横に振る)アキラくんなら好きそうだけど。
ナツミ 同感。私ね、最近アガサ・クリスティーの『アクロイド殺人事件』を読んだんだ。それで、なんか、衝撃を受けた。
ハルカ どんな話?
ナツミ 話としては簡単だよ。アクロイド氏が殺される事件が起こって、名探偵ポアロがその犯人を推理する。でも……いや、あの結末を読んでいない人に説明しちゃうのは勿体ないかな。
ハルカ 大丈夫。あたし絶対読まないから。
ナツミ うーん、じゃあ、犯人とトリックは伏せとくね。私が衝撃を受けたのは、ポアロの推理じゃないの。事件の真相が語られた後で、犯人が最後にとった行動なんだけど。
ハルカ 何?
ナツミ ……やっぱり読んでよ。
ハルカ え、何? 気になるじゃん。あたしミステリーなんて最後まで読めないよ。
ナツミ それで私さ、ポアロって頭のいいバカなんじゃないかと思ったの。
ハルカ ……そこに繋がるの?
ナツミ そう。まあ読んでみて。
ハルカ うん……読める気がしないけど。
ナツミ ねえ。それよりさ、あたし余ってるチョコレートもらいたかったんだ。
ハルカ あ、それはホント食べて! 一回溶かしちゃった奴なんかすぐ食べないとダメになっちゃう。

 二人連れだって出ていく。しばらくしてナツミが椅子を持って入ってくる(一枚コートを羽織るなどして着替えた感を出す。あと靴は裏で脱ぐか)。その椅子の背もたれに頬杖をつくようなイメージで、独白。

ナツミ 二人に話した言葉に嘘はない。私は本当に彼らが幸せになればいいと思っているし、彼らならば幸せになれるとも思っているのだ。アキラ氏はバカだけど頭はいい。だから私は、彼がいつか私の本心を見抜いてしまうのではないかと、恐れると同時にどこか期待している。ハルカはただただ純粋で可愛らしい。あの子は何も知らなくていい。あの子の幸せを壊すことなど私には考えられないのだから。

 ゆっくりと椅子に上る。

ナツミ 本当のところを言うと、私にも私の本心など分からないのである。知りたくもないのである。だから私は、自分の心を知る前に逃げ出そうと思う。その方がきっと私は幸せだ。あなたの心を手に入れたいと思い悩むよりも、ただあなたたちの幸せを祈ることの方が……。

 ナツミが椅子から飛び降ると同時に、暗転。

三場

 一場と同じアパートの一室、ただし一場の時より荷物が少し整理されている。ハルカが椅子に腰かけている。その手にはアガサ・クリスティー『アクロイド殺人事件』

ハルカ ナッちゃんが……井藤ナツミが自殺を図ったのは、大学祭から何日か経った夜のことである。その日あたしたちはサークルの役職の引き継ぎを済ませ、二人で慰労会のごとくお酒を飲んでいだ。これからなかなか会えなくなるね。なんて、しんみりしていたのはあたしの方で、ナッちゃんはむしろ「教育実習の申請が……」と次に向けた話をしていた。それなのに、彼女はそのわずか数時間後に自宅の窓から飛び降りたのだ。何が起こったのか、未だにさっぱり分からぬままである。

 ドアが開閉する音。下手よりアキラが入ってくる。

アキラ ただいま。
ハルカ お帰り。
アキラ (ちょっとわざとらしく驚いて)ハルカが小説なんて読んでる。
ハルカ あたしを何だと思ってるの?
アキラ ……フェミニズム理論におけるサイレントマジョリティ?
ハルカ ?
アキラ ごめん、忘れてくれ。
ハルカ よく分かんないけど絶対バカにしてるでしょ。
アキラ いや、男が惚れるのはこういう女だって意味だよ。
ハルカ ウソだぁ。
アキラ 嘘ではないよ(それとなく「では」を強調)。
ハルカ (溜め息)まあ確かに、本なんて読めなかったわけだけどね。
アキラ え?

 ハルカは『アクロイド殺人事件』を掲げてみせる。

アキラ おお、クリスティー。
ハルカ おーって、アキラくんの荷物から見つけたんだけど。
アキラ そうなの?
ハルカ ホントに何でもかんでも詰め込んでるみたいね。
アキラ ごめん。
ハルカ まあいいけど。これ見てちょっとナッちゃんを思い出したんだ。
アキラ えっと、アクロイドを見て?
ハルカ うん。実は学祭の夜にね、ナッちゃんがこの本の話をしたの。だから読んでみようかと思ったんだけど、全然ダメ。登場人物が多すぎて誰が誰だか分からないの。
アキラ 最初に人物紹介があったと思うけど。
ハルカ いちいち確認するから疲れちゃったんじゃない。
アキラ ……で、どこまで読んだの?
ハルカ アクロイドさんの家に行くところ。
アキラ ポアロが?
ハルカ 違う、主人公の(本に目を落として)シパードさんが。
アキラ 主人公はあくまでポアロだろうけど、まあいいや。……もしかして、アクロイドが死んだところ?
ハルカ まだ死んでないと思うけど。
アキラ ……。
ハルカ ああもう、だから読むんじゃなかったって思ってるんじゃない。
アキラ そっか、なんかごめん。
ハルカ もういいよ。ねえ、これ結末はどうなるの?
アキラ (一瞬キョトンとしてから)それを言っちゃおしまいじゃないか!
ハルカ ああ、そうなんだっけ。ナッちゃんも話しといて教えてくれなかったんだよね。
アキラ 当然だよ。特にアクロイドは、単純なフーダニットとは違うから。
ハルカ フーダニット?
アキラ フー、ダーン、イット。誰がそれを行ったのか。つまり『アクロイド殺人事件』には、犯人は誰かってこと以上に読者を驚かせる仕掛けがあって……。
ハルカ 結局話したいんじゃない。
アキラ うう……何と言っても世界が衝撃を受けたトリックだからさ。
ハルカ 衝撃を受けた……。
アキラ そう、この小説をきっかけにミステリー論争が始まったとまで言われている。まあ正確にはクリスティーが最初ってわけでもないらしいんだけど――
ハルカ 違うと思う。
アキラ へ?
ハルカ ナッちゃんは犯人の最後の行動に驚いたらしいの。それこそ、衝撃を受けたって。
アキラ ……。
ハルカ だから、トリックは別にいいの。推理の後に犯人がどうしたのかだけ教えて。
アキラ ちょっと待って、思い出すから。
ハルカ それを読んで「ポアロは頭のいいバカだと思った」って。
アキラ 頭のいいバカって……。
ハルカ (頷く)だからちょっと気になったんだよね。
アキラ ……。
ハルカ どういう意味か分かる?
アキラ (首を横に振る)
ハルカ そっか。で、犯人はどうしたの?
アキラ まあ、いいじゃないか。何だって。
ハルカ え?
アキラ どっちにしても、ナツミの言いたいことは分からないと思うよ。
ハルカ 何それ?
アキラ ところでさ、この部屋暑くない? 何でエアコン切ってるの?
ハルカ え、ああ。片付けの途中だったから、ホコリっぽくならないように窓開けてたんだけど。
アキラ アクロイドを読み始めた、と。
ハルカ ……もう、元はと言えばアキラくんが片付けられないからじゃん。
アキラ ごめん。
ハルカ だから謝る前に片付なさいっての。

 「確かに暑いね」でも「何か飲む?」でも、適当なことを言いながらハルカが下手側へ捌ける。

アキラ ハルカが『アクロイド殺人事件』を読み切ることはないだろう。それでいい。ポアロは犯人を推理で追い詰めた後「たった一つの逃げ道」を示唆して出ていったのだ。犯人がそれを、自殺を決意したところで物語は幕を閉じる。ポアロは自殺教唆の罪を犯したことになる。ナツミが俺とポアロに同じ評価を下したということは――
ハルカ(声) あ!
アキラ え?

 ハルカがチョコレートの袋を持って出て来る。

ハルカ チョコレート。
アキラ ええ?
ハルカ 出しっ放し、溶けてる。
アキラ あ、そう。
ハルカ そう、じゃないよ。アキラくんでしょ。
アキラ へ? だって俺、今帰ってきたところだよ。
ハルカ だから、アキラくんが出掛ける前に食べたんでしょ?
アキラ そんな前のこと言われても。
ハルカ そんなに前だからデロデロなんじゃない。
アキラ あ、思い出した。ハルカに聞いたら食べるって言ったからそこに置いてったんだ(ハルカの表情を窺いながら)……けど、あれだよな? 出したらしまえって言われてたんだから、俺がしまうべきだったんだよな。ごめん。
ハルカ (苦笑)
アキラ え?
ハルカ まあ、お互い様ってことだよね。
アキラ そうだな、うん。

 アキラが溶けたチョコレートを見て。

アキラ あの時さ、全然熱くなかったんだよね。
ハルカ へ?
アキラ 沸騰してるお湯じゃないから不思議に思わなかったけど、言っても湯煎って六十度くらいはあったはずだろ。鍋ごと被って平気なもんかね。
ハルカ ……学祭の時の?
アキラ そう、俺がチョコレートまみれになった時の。全然熱くなかったんだ。
ハルカ 良かったじゃない。ナッちゃんもホッとしてたよ。
アキラ そこなんだ。
ハルカ え?
アキラ 売り子の衣装、誰が着るか地味にもめてたじゃないか。でも、あの時あれしか着替えがなかったから。
ハルカ ……ナッちゃんがわざとひっくり返したとでも?
アキラ 可能性は、ゼロじゃないと思う。
ハルカ で、アキラくんに売り子をさせようと?
アキラ いや……あの時、俺はハルカをかばったつもりだったんだ。それってつまり、わざとだとしたら――
ハルカ 狙われたのはあたしだった。え、何で?
アキラ だから、衣装だよ。
ハルカ ナッちゃん、そこまで着たくなかったってこと?
アキラ まあそれもあるかもしれないけど、どちらかっていうと……ハルカが着たところを見たかったんじゃないかな?
ハルカ え?
アキラ ナツミはハルカのことが大好きだったから。

 間。

アキラ 何となくだけど、そんな気がするんだ。
ハルカ いやいや、ちょっと待って。意味が分かんないから。
アキラ ナツミ言ってたじゃないか、絶対ハルカの方が似合うって。ハルカが着ればいいのにって。
ハルカ それは、謙遜みたいなものでしょ。
アキラ どうかな。

 たっぷり間を取って、会話ではなくそれぞれに語っていく。

アキラ ナツミは俺に「ハルカを幸せにしてやれ」と言った。今となっては遺言に近いその言葉を俺は守れていない。だからこそ思ってしまう。自分で幸せにしてやれば良かったじゃないかと。
ハルカ ナッちゃんはとても優しい女の子だった。その優しさに、あたしは甘えていたのだろうか。幸せにしてもらえって……ナッちゃんは? アキラくんは? あたしだけ幸せになるわけにはいかない。
アキラ けれども、ナツミはもういないのだ。今更名探偵を気取って推理をしても披露する相手はいない。それに『アクロイド殺人事件』のポアロは真犯人を友と認めて、その名誉と秘密を守ろうとした。追い詰めるだけではなかったはずだ。
ハルカ (ハッとしてチョコレートの中身を一つ取り出す)あの年のバレンタイン、ナッちゃんが部室で配っていたチョコレートも丁度こんな感じだった。愛情を欠片も感じさせない、けれども甘い……媚薬。

 手にしたそれをじっとじっと見つめて、アキラに。

ハルカ 酷いね、これ。ベタベタ。
アキラ ずっと放置されてたからな。でも、食べられないことはないだろ。
ハルカ え、やだよ。そんなの。
アキラ じゃあ捨てるのか? さすがに勿体ないよ。
ハルカ そうだけど。
アキラ ……それじゃいっそのこと、全部溶かしてやろうか。
ハルカ え?
アキラ だから、全部鍋にぶち込んで作り直すんだ。
ハルカ 何言ってるの。そこまでする?

 また語りの調子に戻って。

ハルカ あの時……そうだ!

 ハルカが崩れ落ちる。が、それぞれに自分の世界にいるのでアキラは気付かない。

ハルカ ナッちゃんは部員に一通り配り終えた後、残りを一人で黙々と食べていた。そして、余っているなら引き取ろうかと申し出たアキラくんには、渡すのに難儀していたあたしの本命用を受け取らせたのだ。思い返せばナッちゃんは皆にチョコレートを配っていたのに、あたしだけがそれを食べていない。
アキラ そもそも俺にナツミの心の奥底まで突き止められるとは思えない、思わない。それでもポアロと同じ評価を拝するならば、俺が負うべき役割は彼女の最後の願いを聞き届けることだろう。俺だって、ハルカを幸せにしてやりたい。
(ハルカに)とりあえず冷やしてからか。どっちにしてもこのままじゃ、なあ?

 と、アキラがチョコレートを持って下手に捌ける。ハルカが手に取っていた一つだけが残されることになる。

ハルカ あたしたちの仲は最初から、ナッちゃんの犠牲で始まっていたのかもしれない。それなのにあたしは、勝手に一人幸せだと思い込んでいたのかもしれない。

 ハルカがチョコレートを口にする。ゆっくり咀嚼して。

ハルカ 溶けてぐにゃぐにゃになったチョコレートは、ひどい味がした。甘ったるくて吐きそうだった。

 暗転。

※売り子の衣装は男用と女用がはっきり分かる同系統のコスプレであればなんでもよいです。(僕らの舞台ではアリスとピーターパンになったので台詞にもそれが反映されています)
※アガサ・クリスティの『アクロイド殺人事件』は『アクロイド殺し』という翻訳の方が有名です。用意した小道具に従ってください。

いいなと思ったら応援しよう!