フリーランスと病気とメンタルと。
先月末から私を含めた家族が交代で熱を出していて、月末の忙しさも相まって点滴と筋肉注射で騙しだまし看病をしながら働いてました。
6月になり、長男が肺炎で入院したので付き添い入院をすることになり、高熱で寝返りを打ちまくる長男にずっと酸素を口元で当て続けなくてはならないという役を仰せつかり、私も熱があるのに毎日3時間程度の仮眠で過ごしてました。
そして、長男がようやく退院出来たと思ったら次は次男が交代で肺炎で入院へ。
体力的にももう限界でしたし、夫も肺炎と診断されたので夫に代わってもらうこともできなかったので、私も熱があって毎日病院に通ってるのですが、どうしても付き添いがないとダメですか?と食い下がってみましたがダメでした。
夜中ずっと口元に酸素をあてる生活2週目に突入し、高熱どころか嘔吐もするようになり、もうダメかもしれないと思っていたころ、個室はもう使わせられないので大部屋に移れと病院側から言われました。
今までは個室だったからなんとか隙間時間で仮眠もとれたけど、大部屋だとそれすら出来ません。
もちろん、大部屋では仕事も出来ません。
もう無理だなと悟りました。
大部屋に移るなら退院させていただくことは出来ませんか?と担当医に相談してみました。
担当医の先生は私が毎日憔悴していってる顔を見ているので、お母さんが倒れる前に退院しましょうと言ってくださり、早期退院に向けた計画を立ててくださいました。
晴れて退院してきた日、私は見事に倒れて寝込んでしまいました。
食事を受け付けず、水を飲んでも吐き、点滴を1日2回打っても熱も下がらず、かかりつけ医からは肺炎をこじらせすぎたとの診断を受けました。
すでに何度も点滴で押さえたものを無理してぶり返しているので薬が効かない、とにかく焦らずに休んで点滴を続けながら体力や自然治癒力が上がってくるように努力するしかないと言われました。
しかし我が家には3歳と0歳の子供がいます。
締め切りのある仕事も抱えています。
好きなだけ寝られるような環境はありません。
無理しないでって言われても、無理なんてしたくないと思っていても、無理しなきゃ生きていけないので無理しました。
そして私は今も夜になると発熱して嘔吐する日々を継続しています。
仕事を休めない夫の肺炎も一向によくならず、お互いにギリギリのところで支えあっています。
体調が悪いとどうしてもメンタルも引きずられます。
そして思うのです。
私はいつまでこんな暮らしをするんだろう?と。
何歳までしたくもない無理をして生きていかなくてはいけないのだろうと。
自己評価と他者認識。
そんな中、オンラインGYMの企画で今月にウェビナーが2つ開催されるので、その宣伝をしなくてはと思い久しぶりにTwitterをのぞきました。
すると、TLでフォローさんでもフォロワーさんでも無い方の、こんな感じのツイートが目に飛び込んできました。
「ワーママは好きな人と結婚出来てその人の子供まで作って、仕事も継続して、欲しいものなんでも手に入れてるくせにまだ周りに対して自分を気遣えっていうの何?なんでも持ってるくせになんで持ってないこちらが気を使わなくちゃいけないのか」
意識もうろうの中で見たので正確性には欠けていると思いますが、このような内容が書かれたものでした。
もちろんこれは私に向けられたツイートでは無かったのですが、私が、子供が肺炎で入院してて大変なんです・・・的なツイートをして、皆さんから温かい励ましを頂いていた一方で、世の中にはこういう風に感じる人も居たんだなと知りました。
好きで結婚したんだろ、好きで子供産んだんだろ、好きで働いてるんだろ、『だから文句言うな』これは確かによく言われることなのですが、そういう人からすれば、”なんでも持ってる奴”に見えているのだなと気付かせていただきました。
先日もGYM内で、「先生はスーパーウーマンなんだと思ってましたが案外普通のことで悩んでるんですね」というようなことを言われてとても驚いたことがあったので、特に響いたタイミングだったのだと思います。
私が本当になんでも持っているスーパーウーマンだったら、家族全員が肺炎になる危機なんて軽く乗り越えられると思います。
しかし、私は凡人なのでこんなことでいっぱいいっぱいになって、メンタルも底まで落ちるのです。
自己評価と他者の認識があまりにもかけ離れているように感じました。
そして、そのことに気が付くと人の期待に応えたい病の私と、底辺メンタルの私がケンカを始めてしまったので、落ち着くまではあまり人と接しないようにしようと思い、必須ではないアポや私用の面談、TwitterやオンラインGYMさえも、しばらくコメントを控えてました。
そのせいでたくさんの人にご心配をかけ、お気遣いを頂きました。
本当に感謝しています。ありがとうございます。
メンタルが落ちるところまで落ちたら、自分が今モヤモヤしている原因は何か、今の自分が本当に求めているものは何か、その正体に近づけるかもしれないと思い、落ちるがままに落としたいという思いもあって、人との接触を避けていました。
そして、浮かんできたのは『もう試合終了でもいい』という言葉でした。
諦めたので、試合終了にしようと思った。
基本的に私はアニメ脳なので、例えばヒーローアカデミアを観て、ボロボロになったデクがそれでも前を見て努力する姿に励まされて私も頑張ろうって思ったり、スラムダンクの安西先生の「諦めたらそこで試合終了ですよ」の言葉が聞こえてきて立ち上がれたりします。
でも今回は、「もう試合終了でもいいかもしれない。いや、もう諦めてるから試合終了だねこれは。」と、本気で考えてました。
そして、試合終了にするためには何をしなきゃいけないかを考えました。
①今抱えている案件を全て納品する
②顧問客には適切な引継ぎ先を紹介する
③オンラインサロンを吉川さんに託す
なんだ、案外簡単にやめれるじゃん。
あんなに忙しいって思ってたのに、無理してでもやらなきゃって思ってたのに、私が必死になって守ってきた仕事は、たったこれだけで終了できる試合だったんだと気付きました。
悲しさを通り超えて、虚しさも過ぎて、もはや無になった頃、友人からLINEがきました。
「うい、元気?ではない?メアド教えて」
なんとも内容のよくわからないこのメッセージに、ひとまずメールアドレスを返信すると、ちょっと読んでみてと面白い読み物が送られてきました。
そしてLINEで一言。
「体調悪いとメンタルやられるよなー、体調悪くなくてもたまにやられるのになwしんどかったらいつでも連絡してー」
とあまりに軽く見える励ましにふっと心が軽くなりました。
そして、心が軽くなった理由について考えたら、そこに今私が欲しているものの答えが見つかったような気がしました。
『この人は私に何も期待していないし、何も望んでいないんだ』
軽い文面の中に含まれたたくさんの思いやりを勝手に読み取って、そう確信できたのです。
(真実は違うかもしれませんが、私はそう感じたということが重要なのでここでは真実はどうでもいいです)
本当にフラットに私を見ていて、”過度な期待”や”勝手な希望”を求めておらず、にも関わらず”私に仕事を手伝って欲しい”と言ってくれるって最高だなおいと思ったわけです。
だから試合終了にするのをやめることにしました。
試合終了を終了したら見えてきたこと。
試合終了するのをやめようと決めたらもう一段階心が軽くなりました。
結局、生きていくために”無理して働いている”んじゃなくて、働きたくて働いているというところを素直に受け入れることができました。
また、期待されないから楽と感じるのと同様に、期待してくれる人がいるからこそ今の力以上の力が発揮できることも大いにあって、希望に応えたいという気持ちが無ければ出来なかったことがたくさんあるのも事実です。
人から言われると悪意に感じる時は心が弱っている証拠で、こういうことは自分で気が付くしかないんですよね。
そもそも、無理しなきゃ回らない仕組みに問題があるのであって、その仕組みを改善すれば無理しなくて済む日は必ずくるわけです。
テンパってるとそんなことすら見えなくなってしまうから恐ろしいです。
無理をしなくても回る仕組み。
今現在私の抱えている仕事がとても属人的で、労働集約的になっていることが全ての元凶です。
これは小さい子供を抱えて、いつでも面倒を見てくれる身内がいるわけでもない私のような人間が行なっていい働き方ではそもそもありませんでした。
だからどう改善すればいいかを考えました。
①フローの細分化とアウトソーシング
②事務所の指針に合わない人への迎合を一切やめる
③自分の分身を作る
当事務所の問題は、大きくわけるとこの3つで改善出来ると考えています。
事務所改善へ向けての一歩。
まずはフローの細分化です。
うちはゼネラルに業務を請け負っているので、いつも同じ仕事がくるわけではありません。
なので、例えばオンラインGYMのメンバーにこの部分を徹底的に教え込んでその部分を外注するということは不可能だと思っていました。
しかし、ちゃんと考えれば切り出す方法はあるんです。
例えば、利用契約書と重要事項説明書の作成。
障がい者福祉サービスを行なうためには新規の指定をとるわけですが、その際に、どのサービスを行なうにしても、利用者との間で重要事項説明書を用いて概要をご案内し、利用契約書にてご契約いただくというステップを踏まなければなりません。
これらは提供するサービスによって形式は異なりますし、市によっても推奨している形式が異なります。
その指定を受ける市の推奨するひな形に、依頼者の条件を当てはめてながら作成するのですが、これはある程度障がい者福祉事業について学んでくださっている人へは切り出し可能です。
この件に関しての不安要素は、一度依頼をしてみないことにはどの程度の業務知識があり、どのような仕事を収める人なのかがわからないということです。
本人はめちゃくちゃ勉強していて知識はバッチリと思っていても、現場レベルでは全く使えないなんていうのは本当によくある話です。
何度もチェックしてはやり直しをさせるとなると、自分で作成した方が圧倒的に早いので、良い人が見つかるまではお金も時間もマイナスになることを許容する勇気が必要です。
遠方の方には無理なことで言えば、事業所の写真撮影と計測、平面図の作成もそうです。
これも指定の要件についてある程度勉強してくれている方で、図面の作成に長けている人であれば、どのような写真が必要でどのような平面図を作成すればいいかはわかります。
最悪、要件については理解していなくてもこちらが細かな指示書を渡しておけば、図面の作成が出来る人であればある程度のものは納品可能ではないか?というところまでは想定しています。
この件の不安要素は、外注先が依頼者と顔を合わせる必要があるというところで、図面は問題なくかける人でも依頼者に対して失礼な行動をとってしまったり、余計なことを言ったりしてしまわないか?という不安はつきまといます。
あくまでも外注側の人からすれば、アルバイトの内の1つ程度の仕事です。
当事者意識でプロとして働いて欲しいなんていうのはこちらの願望の押し付けであり、土台無理だと思った方が間違いないなと感じています。
何の気なしに話したことがとてつもなく余計な一言で、そのことにより元請けである当事務所が信用を失ったり、その依頼そのものがご破算になる可能性があります。
書類作成に関しては不利益を被るのは私自身だけのことなので覚悟を決めて耐えればいいだけのことなのですが、こちらはそうではありません。
依頼者と接触しなければ完了できない業務は外注に出すのは不可能と私は判断しています。
ではどうすべきか?
これも答えは簡単で、雇用者に動いてもらう案件にすれば解決します。
雇用者であれば事務所のお客様に安易な発言はしない可能性の方が高いです。
もちろんそれでもダメな人も居ますが、そういう人を雇ってしまったとすれば自分の見る目の無さを恨むしかないですよね。。。
フローを細分化して本気で切り出しを考えれば他にももっと切り出せることは見つかります。
そして、切り出した業務を処理するベストな先は業務によって違うというところをしっかり考えられれば、雇用したい人材像や提携したい外注先も明確になってきます。
そうすれば、GYMメンバーにはこういう業務について勉強する機会を提供してみるのはどうだろう?等と、オンラインサロンの方への新たなフィードバックも浮かんできます。
ここについてはオンラインサロンの発展のためにも、もっと時間をかけて可能性を深く探っていきたいなと考えています。
事務所指針とはなんのためにあるのか?
事務所の指針に合わない人には迎合しない。
これって簡単なようでとても難しいです。
フリーランスで働く人間は、ワガママになろうと思えばどこまでもワガママになれます。
自分に合わない人間を排除したコミュニティの中で生活することは自分の成長もありませんし、恐らくどんどん腐っていきます。
組織にとって敵対勢力があるというのは悪い事ばかりではなく、別の意見があるから活性化するというのは明確です。
だから、自分と意見が合わないから排除、というのはしてはならないと考えています。
では事務所の指針に合わない人に迎合しないというのはどういうことか。
主体が『私』ではなく『事務所』であるということ、感情ではなくこちらの業務のフローに乗るか乗らないかで判断することではないかと考えます。
相談者と相性が悪いから断る、これは私の感情なのでこれを理由として断ってはいけない。
相談者が入金期日に入金しなかったり資料提出期日に提出しないから断る、これは事務所フローに乗らないので断ってもいい。
簡単に言うとこういうことです。
これを行なうためには、明確に事務所の指針を提示しなければなりません。
事務所の指針が明確に提示されればそもそもそれが気に入らない人が相談してくることは考えにくいのでスクリーニングになります。
また、それだけではなく、従業員や外注先の人に対してもこれらを徹底して伝えることで回避できるトラブルも増えるのではないかと考えます。
この指針に則って業務を遂行すれば良い、指針にないものが問題になれば相談すればいい、というわかりやすいルールがあると安心できる人も多いのではないでしょうか。
自分自身が迷いそうになった時も、事務所の指針を掲げておけば惑わされることが減ります。
これだけ大々的に言ってて、周囲にも徹底させておきながら自分が守らないなんてありえないよね、と自分を縛ることができます。
人は自由過ぎると間違いや迷いが生じやすく、適度なルールで縛られることで精神の自由を手に入れられるという側面があるものだと思います。
少なくとも私はそういう人間なんだろうなと自覚しています。
コピーロボットを作るのは不可能。
自分がもう一人いればいいのに。
誰もが思うことですが、絶対に不可能です。
そんなに忙しいなら自分の分身となる右腕を育てなきゃ。
よく言われることですが、右腕や左腕として自分の特性を活かして活躍してくれる人を育てることは出来ても、”分身として”の機能を兼ね備えるのは無理でした。
当たり前ですが、誰かは私ではないですし、誰かと私の思考を同じにするなんて不可能です。
分身なんて作れるわけがありません。
自分と同じように考えて同じような働きをしてくれる人を育てるには、同じような感性を持った同じようなキャラクターの人なら可能ではないか?そう考えてチャレンジしてみたことがありましたが、ダメでした。
また逆に、とても従順で私のことを慕ってくれている人ならば可能なのではないか?というのもチャレンジしましたが、ダメでした。
コピーロボットを育てることは不可能です。
しかし、行動をコピーしてもらうことは可能です。
業務の切り出しと同じ、事細かな指示書を作成すればいいだけです。
この業務のこのフローではこう動いてもらう、こういうことが起こったらこう対処してもらう、『超詳細とくとめ事務所マニュアル』を作り、それに従って動いてくれと指示すればいいだけです。
しかしこれは、何も自分で考えなくていい、むしろ、あなたの意見は何もいらないので余計なことは考えずに従ってくださいと言っているのとイコールではないか?という葛藤がありました。
私には、自分の目の届く範囲の人ぐらいは、その人の良さを十二分に伸ばして充実した職業人生を歩んで欲しいという理想がありました。
しかし、考えずにただ指示されたことを実行する方が生きやすい人もいるということも最近になってわかってきました。
みんながみんな、職場で自分を主張したいわけじゃない。
業務改善のことを考えたりするのが好きじゃない人もいる。
仕事はあくまでも給与を稼ぐための手段に過ぎない人もいるのだと。
つまり、視野を狭めていたのは自分。
勝手に決めつけて可能性を追求せずに諦めていたのも自分。
何が充実した職業人生かなんて私が勝手に決める事ではない。
それはすなわち、私自身が他者に対して勝手な期待をして希望を押し付けていた行為に他ならなかったわけです。
だから、これもやめます。
私はワガママに事務所の指針に従って、当事務所が依頼者や関わってくださる人のために利益をもたらせるような充実した事務所になるために行動します。
利害が一致する人だけが当事務所を選んで来てくださればいい。
というわけで、少しだけ視野が広がったので、ストライクゾーンを絞りに行きます。
まずは体調と家庭内を整えながらなので行動に移せるのは少し先になるかもしれませんが、考える時間はまだまだあります。
知恵熱が出るぐらい考えて、また行動と共に共有していけたらいいなと思っています。
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