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才能とは?努力とは?

アメトーークのネタ書いてない芸人を見ていました。
最初はなんということはなく普通のバラエティとして楽しく見ていたのですが、ネタ書いてる芸人とネタ書いてない芸人のそれぞれの言い分を聞いている内に、「これ、よく言われるやつや!」と思う発言が多くあり、また、それに対する反論も、わかるわかると・・・。

そうして客観的に双方の意見を聞いている内に、そういう風に思ってたんだ、とか、自分もこういう風に相手に対して強めの言葉を言っていたのかもしれない、とか、思うところがたくさんありました。

客観的に自分を見直すって本当に大切ですね。
私の場合は特に、責めるつもりはないものの相手の言葉に理詰めで返してしまうことがあり、時には相手の逃げ場を塞いでしまっていることもあるなぁと。

私は基本スタンスとしては、逃げ道はあってもいい、逃げることもあってもいいと思っています。
しかしフリーランスで、しかもそれなりにお金も稼ぎたいと思っているなら、逃げきることのできないイヤなことや苦手なことに山ほど遭遇すると思います。

ここから逃げ続けてフリーランスとしてそれなりに贅沢に楽しく暮らしていける人はよほどの才能と運や、よほどの人脈やコネがないと成り立ちえないのではないかと。

それらを持っていない私のような一般人は、逃げるならばそれなりの贅沢を諦めるか、フリーランスでいることを諦めるしかなく、諦めないのであればほとんどのイヤなことに歯を食いしばって耐性をつけていくしかないのではないか?と今のところ考えています。

しかしそれは私の個人的な感想であって人に押し付けるものでもない。
ここをしっかり線引きしないとなと感じました。
イヤなことから逃げきれて、楽しくお仕事が出来ている人を見ると心底羨ましく思ったりしますが、本当のことなんて外から見ただけではわかりませんしね。


才能ってなに?

では、それらを可能にするよほどの才能ってなんでしょう?
アメトーークではネタを書いてない芸人の中に、なぜネタを書かないのか?という問いに、『才能が無いから』という返答をしている人がいました。

そして、ネタを書く芸人さんがそれを受けてこう返事をしていました。
『我々は才能があるから書いているんじゃない。才能が無いけど何度も書いてスベって書き直してそれをずっと繰り返して今があるんだ!』

これを聞いた時に、まったく同じことを吉川さんが言っていたなぁと思いだしたのです。
『僕だって既存の知識でサクっとブログを書いているわけじゃない。法改正があれば必死で読み込みして、誰よりも早くブログに書くために寝ないで書いてる。これだけの記事でも4時間かかってるんだ!』

これらが重なったことで、色んなことが頭の中で繋がりました。
自分の甘えにもです。

(※注釈)
吉川さんはブログによる集客で障がい者福祉専門行政書士として活躍されており、新人さんに対しては、時間がある内に毎日ブログを更新しましょうという教えを説かれている先生です。
詳しくは吉川さんのnoteを読んでいただければと思います→行政書士ヨシカワ事務所 note支部


私はアナログ集客がメインですが、不定期で事務所のHPブログの更新もしています。
しかし、当事務所のブログは圧倒的に物量も更新頻度も足りていません。

忙しくて書く時間がなかなかとれないから。
ブログに書くとなるとしっかりソースや法令を確認してからじゃないと書けないから時間がかかる。
うちの事務所は専門ではなくゼネラルだから1業種だけ研究してブログを量産できないのでコスパが悪い。

こういう言い訳をして、なかなか書かないわけです。
そして、ネタを書いてない芸人も揃いも揃って似たような言い訳をしていました。

不思議なもので、自分のことだと気付かないのに人が言っていると言い訳だとわかる。
そしてようやく吉川さんのあの言葉の意味が本当に理解できました。

私も心のどこかで、専門家なら勉強したことがそのまま全部仕事で使えるんやから勉強し甲斐があるしブログの量産もしやすいやん。
というようなことを無意識にでも考えて自分に言い訳してた部分があったんじゃないかと気付きました。
実際、ブログ書く暇が無いといいながらアメトーーク見てますしね。

つまり、”死ぬ気で勉強して命削ってブログを量産している”という部分を見ないフリをして出来ない理由探しをして言い訳をしていたわけです。

そしてアメトーークでは、才能ではなく努力であるというコメントに対してネタ書いてない芸人がこう答えていました。
『それをする才能が無いんだよ』

努力を続ける才能が無いから出来ない。
出来ない理由をあれこれ言い訳しても結局はここに帰ってくるなぁと思いました。
とはいえこれを才能とひとくくりにするのはダメだと私は思いますが・・・。


努力ってなに?

私は努力が苦手です。
努力と根性という言葉は本当に好きではないです。
根性論を適用しなくてはならない状況を回避したいがために日々工夫を凝らして生きているような感じです。

努力ってなんでこんなにしんどいんだろう?と考えてみたら、しんどいから努力と感じるんだなと気付きました。
しんどくないことなら最初から努力してるとは思いもしないからです。

吉川さんが、これ書くにも4時間かかってるんだと言ったということはしんどいと思っている何よりの証拠で、しんどいと思っているのなら才能で書いているのではなく努力の賜物ということです。

では自分は今、仕事に対して何を努力しているだろう?

行政書士として開業して5年、なんとか生活出来るレベルでの仕事はあるし、仕事が無いかもしれない不安に潰されそうになることももうそんなにありません。

許可が下りれば嬉しいし、依頼者のために出来る最善手を考えるのは楽しい。
これをしんどいことだとは思いません。
日々の業務は私にとっては努力ではないわけです。

私は倦怠期を良いことに、新たな苦しみを伴う努力を無意識に放棄していたんだなぁと気が付きました。

では、日々の業務のこと以外で努力していることはなんだろう?と考えると、明確に1つ頭に思い浮かぶことがあります。
それは、とある団体での活動です。

3月から加入して、向き合い方がわからないままあーでもないこーでもないと時間を使ってきたわけですが、正直めちゃくちゃしんどいです。
来年はやめよう、いや、もう1年は頑張ってみようか、と目下の悩みの種です。

※ここから先の記事は全て、私が所属している某団体についての現在の考察になります。


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