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文学フリマ東京40に参加予定。

去年の12月、文学フリマ東京39に参加した。
文フリは10年以上昔に参加した記憶があるが、
規模がとても大きくなっていることにびっくりした。
オープニングの事務局代表による開催宣言、
「ついにビックサイトが埋まるに至った」という言葉は、
出戻りの自分にも感慨深いものだった。
私は笙野頼子先生のファンだし、同時に大塚英志先生からも学ぶことは多いので、文フリの開催経緯や意義についてはよく思いを巡らしていたのだ。

また文フリに出ようと思ったのは、小説の個人誌を出したいからだった。
別に個人じゃなくてもいいのだが、とにかく小説が書きたかった。
それでも出来上がったものは評論、というよりは感想文だった。

以前もそうだった。
小説を出そうとしたが、他の人にも寄稿をお願いして、
自分が書いた原稿は結局小説にならず、雑誌になった。
まだZINEという言葉がなかった頃だ。
私は長らく小説を書きたいと思っているが、
結局出来上がったものはそういうものだったのだ。

去年は月一くらいでいろんなお笑いライブに通い、
激キモ感想文をnoteの下書きにしては公開せず眠らせていた。
そんなものをあてもなく書き溜めている状態だった。

公開しなかったのは、まず芸人さんのエゴサーチに引っかかりたくなく、
また私が書いている内容がネット上のお笑い談義ともズレている気がして、
(だからnoteにもほとんど書いていない)
発表場所はWebではないと考えていたのだ。
そこで、文フリで『芸人幻想』という冊子を出すに至った。

個人サークルの意味不明お笑いレポだったが、
手に取ってくださる方がいて、本当に嬉しかった。
「こんなに安くていいのか」と値段を問われたが、
二次創作同人誌の頒布価格が身に染みていた自分からしたら、
「好きに価格設定していいんだ」と、
文フリでの自サークルのあり方を考えさせられた。

会場を歩いてみると、自分が理想とするようなサークルさんもあった。
小説サークルさんで、世界観が全ての表紙から立ち昇ってくるような、
出店者さんも含めブース丸ごとサークル自体が一つの表現、といった佇まい。
憧れるなぁ〜と「小説」のエリアを眺めていた。

でも、帰宅してから、私のブースの写真を見直すと、
そこにもある種の世界観が立ち昇っていた。
一貫しているのは「ワーキャー」「リアコ」「女性ファン」であることを
絶対に意識しているということだった。
(ネットで「論じ」たくないのも、このスタンスにあると思われる)

何より小誌タイトルに『幻想』と冠しているところが、
自戒であり注意書きなのである。

私は読者の性別を限定したいわけでは全くない。
ただ、私の視点を共有することで読み手の分かりやすさになればと思うし、
私が見せてもらっているものはあくまで幻想なのだ、ということを
強く自覚した文章を書いていこうとしているだけである。

芸人さんたち本人に取材することもない、
かっこいい写真を使うこともできない(あれは個人にはできない)、
あくまで自分の目で見たものを中心に書く評論誌であることを強調したい。

それは『芸人幻想』vol.1の冒頭にも記したことだったが、
もっと詳しく書けば良かったな、と後から思った。
例えば「アニメ」=ファンアートという用語の解説など。
「アニメ」を使った表紙は今後も続けていくつもりで、
次号の題材はもう決まっている。(1月は大変盛り上がった月だった)

ということで、次回の文学フリマ40も『芸人幻想』を出そうと思う。
『芸人幻想』Vol.2、副題はおそらく「Youtubeコタツ記事」。

無理をして憧れに近づくより、
自分がすんなりとできることに注力していく。
このnoteも、そんな感じで更新できたらと思っている。


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冬野(とうの)
あなたの感じたことって何物にも代えがたいよね、ってことを一人ひとりに伝えたい。感情をおろそかにしたくない。って気持ちでnote書いてます。感性ひろげよう。