朝イチ脳内再生曲:Danse Macabre(Camille Saint-Saëns)-PFM

おはようございます。朝起きた瞬間、周囲は無音なのに音楽が聞こえる現象、本日二回目です。

2018年8月19日はこの曲。

昨日の記事でも書いた、PFMによるサン・サーンスの「死の舞踏」のカバーである。最近作業中にこれを聴くことが多く、昨日もこの曲を聴いていたため、起きた瞬間から流れていたことにあまり不思議な点はない。

「直近で聴いてた曲が思い浮かぶだけじゃねーの?」と言われればそうなのだが、たまたまこの二日間がそうなだけで、全く知らない曲が思い浮かぶこともあるのだ。てか、全く知らない曲の場合どうやって紹介すればいいんだろう。SoundHoundやShazamに向かって鼻歌を聞かせてみるくらいしかアイディアが湧かない。ピアノアプリぽいものがあれば再現できるだろうか…。鼻歌を音声データでアップすれば誰か気付いてくれるだろうか…。ロバートのCDショップのコントみたいになっちゃうじゃん…。

話は外れるが、PFMで起きた直後、携帯を見て暗い気分になり(あれ、昨日も…?)気分を払拭するためにそのままヒプノシスマイクの曲をかけてみたが、余計鬱が増すばかりだった。もうオタクコンテンツはこっちに元気がある時じゃないと、とにかく憂鬱が増すばかりだ。憂鬱がひどいので、散歩をして外で志賀直哉の短編を読んだ。『城の崎にて』を読んでいたら、もし21世紀日本において『城の崎にて』を発表しても多分そんなにすごいことではないんじゃないか?!みたいな気になって、そっちの方が大きな思考課題として心に残ったので、憂鬱は多少楽になり、今またPFMの曲を聴いたら落ち着いた。

ポップカルチャーをバカにする気は毛頭ないし、私はそんな高尚な人間でもないし博学でもないが、正直、エンタメ的なものだけに囲まれていても憂鬱はちっとも良くならない。手術が必要な人間に栄養ドリンクを渡しただけでは根治どころか気休めにもならないのである。オタクコンテンツで元気になれる人と、文学で延命する人。この違いは結構大きい。だが、後者のタイプが難解なものを噛み砕く力がなくてオタクコンテンツにまみれていることもあるし、最悪なのは前者が文学を自己の利権のために利用する場合である。

話がすごくずれた。朝ごはん食べます。

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冬野(とうの)
あなたの感じたことって何物にも代えがたいよね、ってことを一人ひとりに伝えたい。感情をおろそかにしたくない。って気持ちでnote書いてます。感性ひろげよう。