情報は得るだけのもの?
毎日、色々な情報に私たちって当たりますよね。
テレビのニュース
新聞
書籍
オウンドメディア
オンラインスクール
動画サイト
SNS
このnoteだって、ある意味、情報を得られる場所であったりします。
その中には、事実であったり、解釈であったり、個人の意見であったり、
様々なレベルでの情報があるわけです。
これだけ(とはいうものの、あまりに膨大過ぎて、個人では絶対に把握しきれないわけですが)あったら、様々な情報に触れるだけで、1日が終わってしまいます。
私も結構情報にあたるのは好きで、書籍を読んだり、
オウンドメディアやYahoo!ニュースをサーフィンして、
面白そうと思った記事をまじまじと読むんですよね。
で、読んでみると、
「あっ、この記事面白いな!」とか、
「全然知らなかったから、ためになったなぁ~」とか、
「これ、同じような内容読んだことある」とか、
記事や情報にあたると、そんな感想を抱きます。
でも「それで終わっている」のも確かなんですよね。
知らなかったことを知れて、得した!
自分の意見と同じような情報があって。満足!!
自分とは違う意見の記事や情報で、内容が頭に入らない・・・。
確かにそうやって思うんだけど、そこからもう一歩踏み込んで、
「なぜ?」とか「どうして?」という感想は出てこない。
情報を、噛むことなく、そのまま飲み込んでいる感じ。
それが良いのか悪いのかは、今の私にはイマイチわからないのだけど、
改めて考えてみると、なんだか、ちょっと気持ち悪い。
「この情報は私にとって、どうだったのか?」
「どんな意味をもたらしたのか?」なんていう思いや疑問を、
すべての情報に問いかけることは現実的ではないけれど、
時にはその意味を、自分の中で考えるもの大事なことなんじゃないかな?
そんなことを考える夜なのでした。
タカハシ サトル (。-`ω-)
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