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哲学の道

「吉村君!例の同窓会の件だけど、どこまで進んでる?」

武田先生からの携帯電話だ。そもそもの発端はこうだ。私が京都の某小学校五~六年生の時の担任、武田正幸先生は当時二十四~五歳の熱くて優しい青年教師だった。我々も還暦を迎えようとしている訳だから先生も七十歳代半ばになっておられるはずだ。一年程前に電話があり

「同窓会を計画して貰えないか?」

と言われた。私が連絡を取れる同窓生は限られていて

――果たして自分に出来るのだろうか?

とは思ったけれど、久しぶりに会ってみたいお目当ての人物も脳裏に浮かび、

「働き掛けてみます」

と応じた。その頃連絡先を知っていたのは幼小児期からの初恋の女性、速水(はやみ)香織を含めて二人だけ。但し彼女はお目当ての人物では無い。早速その速水さんに武田先生の要望を伝えると

「いいよ、知り合いを当ってみるね」

との返事。しかしその後の経過報告では

「吉村君が当時学校で記念切手を盗まれた件を気にしている人もいてあまり関わりたく無いという声も聞こえて来る」

という最悪のものだった。

 そう、あれは小学校六年生の頃、切手収集の流行(はや)っていた時代だ。「写楽の市川海老蔵」、額面十円の記念切手だが昭和四十六年当時の価格で五百円程。丁度自分の一ヶ月分の小遣い程度だったから決して子供にとっては安い品物では無い。祖母にねだって買って貰ったのだが自慢気に学校に持って行ったのがいけなかった。その頃の小学校は今程規制が厳しく無かった。切手や紙石鹸、メンコや変わり消しゴムなど各人色々な物を持参しては見せ合ったり自慢したりもしていた。その日の体育の時間が終わった後、切手帳を見てみると「写楽」が無くなっている。目の前が真っ白になり狼狽(うろた)えた。友人や武田先生にその旨を訴えるとクラス内は結構な騒ぎとなった。挙句学級裁判の様なものが開かれて盗んだ当事者である南君が白状したのだった。翌日切手は返して貰えて、自分としては少し後味の悪さはあったもののそれ以上気にしていないつもりであったが四十年近く経っても蟠(わだかま)りは残っていたのだ。

そこへ武田先生からの今の電話だ。先生に切手事件のことを伝えると先生は

「そんなことが未だ蟠りとして残っていたなんて全て担任だった自分の責任だ。南君とは連絡が取れるので是非会って話をしよう。吉村君もいいだろう?」

と言われた。

――そうか、確かにこういう事は盗んでしまった本人の方が余程心の傷を背負って来たに違い無い。

自分は中学以降神戸に転校したので京都の友人達とは疎遠になっていて思い出す事すら無かっただけに甚(いた)く反省した。数日後南君と電話で話す機会を得た。武田先生が「同窓会を開きたい」と言っておられる事、君との間にあった事を僕は全然気にしていなかったけれど軽率な行動をとったのはむしろ自分であり、きっと君の方こそ傷ついていたのではないか、そしてそれらを解らなかった自分が未熟であり申し訳無かったと思う事などを正直に伝えた。南君は口では

「そんなこともあったかな?僕も気にしてへんよ」

と言ったが私から直接話を聞いて幾分たりとも気持ちが楽になった様な印象はあった。そしてお互いに連絡先を知っているクラスメイトを挙げていったが合わせてせいぜい六~七人。元々三十数名のクラスだったから二割にも満たない事が判明した。

「少しずつ人づてなどで探して行こう」

と一致し武田先生にも伝えていたがそんな時、世の中を新しいウイルス感染症が襲って来た。武田先生は

「自分もそこそこの年齢(とし)だから少人数でも早めに一度集まろう」

と言っておられたが多人数での会食は戒められる世の中となり実行出来ずに月日は流れた。

 

さて、同窓会を開催することの大きなモチベーションであるお目当ての人物とは大学生時代にほのかな想い、と言うより自分ではかなり真剣な想いを寄せて一年ほど交友を深めた千堂めぐみだった。彼女とは疎遠になってしまっていたが

――もう一度会えたらな…

という気持ちはずっと持っていた。未練とは少し違う。純粋に縁のあった素敵な女性と再会したいという思いだが生憎めぐみの連絡先は知らない。昔彼女が住んでいた実家の電話番号は知っているので試しに掛けてみたが現在使われていないとの事だった。

 

千堂めぐみとは小学校五~六年の二年間同窓だったが特に大きな接点は無く言葉を交わした事も少なかった。私は神戸の県立高校を卒業後、一年浪人して京都の某医科大学に入学した。その一回生の夏に千堂めぐみらクラスメイト三人が世話人となって同窓会を開いてくれた。中学一年生の時以来の会であり、私はいずれにも参加したが今回も当初は初恋の相手、速水香織に会いたい気持ちが強かった。しかし会場で千堂めぐみを一目見た瞬間、まるでルノワールの描いた美少女「イレーヌ・カーン・ダンベール嬢」がキャンバスから飛び出して来たかの様な気品ある可憐さに眼も心も一瞬で奪われてしまった。一目惚れという事を他にした事が無いのでよくは解らないが、以前から知っている相手ではあったけれど一目惚れとはこういう感覚なのだと思った。何を話したかも覚えていないが連絡先を聞いて翌日には電話して二人で会おうと伝えたと思う。同窓会から下宿に帰っても興奮醒めやらず曲にしたい歌詞が溢れてきた。

 

貴女の瞳

 

貴女の瞳が眼に焼き付いて今夜はきっと眠れない

貴女の瞳の向こうには美しい湖が広がっている様

憂いを秘めた貴女の瞳が微かに微笑み浮かべるとき

僕は貴女の瞳に飛び込んで向こう岸まで泳いでみよう

僕は貴女の瞳に飛び込んで貴女の優しさ掴んでみよう

 

めぐみの展開するウイットに富む会話や芸術、文学、自然といったものへの彼女の感性も刺激的で、会う程に私の想いは膨らんでいった。数日に一度は電話をした。もっと掛けたかったがあまり押し過ぎるのも恋愛のノウハウには適っていないなどと変な打算もあった。そして月に二~三度程哲学の道や植物園などの散歩、あるいは美術館巡りといった極めて健全な、デートとも言えないような二人の時間を楽しんだ。もちろん自分の心の内は恋心で一杯だ。友人達には「めぐみちゃんという好きな女の子ができた」と話さずにはおれなかった。彼女は名門女子中女子高経由の文系大学の二回生、こちらは一年遅れの未だ先の長い医学部一回生。当時であるからこのままお付き合いを続けるには将来のことも考えないといけないなどと律儀な発想をし始めてぎくしゃくした。翌春一度神戸の実家に彼女を招いた処、何と彼女は友人の藤子ちゃんと一緒に現れたのだった。彼女にまだ何も気持ちを伝えていなかったにも拘らず、私は

――そういう相手としては見て貰えていなかったのだ。

と傷ついた。その後もどことなく余所余所しい雰囲気が続き、結局告白することも無く、二回生の六月に全てを封印するための歌詞を書いて自分の中で無理やり終止符を打ったのだった。

 

ひき潮

 

吹き抜ける潮風が ふたりの隙間を

凍えそう夏なのに もう逢わないわ

 

満ち潮も時経てば 砂だけが残る

寄せては返す波 もう待てないわ

 

あなたの心が水平線の向こうのほうで揺れてぼやける

明日からもう一人の私になり歩いてゆく

 

口づけなどもうしないで この心の堤(つつみ)壊れそう

もうこのまま歩いてゆく 振り向かないわ

 

照らしては遠ざかる 燈台は走馬燈

一度だけ叫ばせて もう泣かないわ

 

これらの歌詞はその当時友人達と始めたアマチュアバンドで親友が創った曲に合わせて演奏した。「貴女の瞳」はギターとドラムス主体のアップテンポに、「ひき潮」はシンセサイザーでの波の音をバックにピアノ弾き語り風にアレンジした。何かに熱中してこの失恋を忘れ去りたい気持ちで一杯だった。そしてその後私も別の恋をして今の妻と結婚もした。

 

さて、そんなめぐみともう一度会えたなら四十年も経っているのだからこれらの歌詞を

「あなたのことをイメージして書いたのだ。当時きちんと伝えられなかったけれど僕はあなたのことが好きだったのだ」

と伝えることが出来る様な気がしていた。伝えたからどうこうなるもので無いことは百も承知だが自分の思いを他人に、それも想いを寄せていた女性に理解して貰うことは無条件で幸せなことだと思えた。

しかし残念ながら先述した通りめぐみに連絡する術がない。その時ふと思い出したのが藤子ちゃんだ。彼女とはめぐみと一緒に実家に来た時の他にも私の友人も交えて四人で遊びに行ったこともある間柄だった。もちろん向こうは覚えていないかもしれない。老舗の洋菓子店のお嬢様だったから洋菓子店で尋ねれば何か分るかもしれないと思って藁(わら)にも縋(すが)る思いで同窓会にかこつけた手紙を店に届けた。すると何と藤子ちゃんが現在の店主だったことが判明。

「めぐみさんは時々うちの店にお菓子を買いに来てくれます。生憎今は連絡先が分らない状況ですが今度来られたらお伝えしておきますね」

と快く請け負って貰えたのだった。それから一年近く、時折その洋菓子店の前を通ると思い出していたが「やはり連絡はつかないのかな」と半ば諦めかけていた。

藤子ちゃんに手紙を託けて丁度一年経ったその日、本田めぐみという人からのメールを受け取った。読んでみると旧姓千堂とある。心の中で躍り上がって歓喜した。ついに一念が叶ったのだ。そして返信で簡単な経緯を説明して

「良かったらお茶でも」

と如何にもベタな誘いを持ち掛けたところ何と快諾が貰えたのだった。

 

 

四十年ぶりの待ち合わせ。心地よい午後の日差しを受けた晩秋の東山、ガソリンスタンド併設の喫茶店前で、思いの外お互いを直ぐに見つけ合うことが出来た。こういう再会は時間というものの概念を根底から覆す。本当にまるで昨日のことの様なのだ。カーキ色の暖かそうなジャケットに包まれためぐみは、自然な年月の推移は感じさせても気品や可憐さは色褪せることを知らない。相変わらずの「ルノアール」ぶりだ。

「吉村君久しぶり!すぐに分ったわ。ここからだとすぐに哲学の道に出られるのよ。私、自宅のリフォームでこの近くのマンションに仮住まいを始めて最近知ったの」

軽い挨拶の後、屈託なく話し始めるめぐみ。あれ?最近会ったことあったっけ?と勘違いする程自然に会話が始まる。哲学の道は大学生の頃めぐみと何度も散歩した思い出の道だ。だから今回の行先に私が提案したのだった。こちらはまだ緊張が解れない。ウイルス対策のマスクで眼鏡が曇るので余計にどぎまぎする。

「まずはなぜ実家のマンションに戻ってるの?」

と昨日交わしたメールで感じた一番の疑問をぶつけてみる。

「いきなりそこを聴く?メールの差出人の名字が色々あることで察してよ」

確かにめぐみのメールはパソコンからのものは本田で届いていたがスマホからのものについては私の方がガラケーなので差出人名は表示されていない。

「色々なんて知らないよ、ガラケーだからかな?」

「なーんだ、それなら言わなきゃ良かった」

「そんなことを言わずに教えてよ」

「色々あったのよ、熟年離婚」

「幾つの時?」

「四十代半ばかな?」

「熟年という事も無いでしょ?ある事なんじゃ無いの?」

「吉村君だから話すけど実はDVだったの。それで家から逃げ出したのだけど、置き場所に困った私の四百ccのバイクを預かってくれたのが今の旦那さん。そんな事で簡単に決めてはいけなかったのかもね。でも誰かに居て欲しかった」

「そうなんだ。お母様はどうされてるの?」

「母は二年前に亡くなったの。今から思えば良い時代の内に寿命が全う出来たなと思ってる。お葬式も皆に大勢集まって貰えたし…あっ、疎水にいろんな色の紅葉が流れてる!竜田川だね」

不意に疎水を覗き込むめぐみ。

「山茶花(さざんか)も咲いてる。良い日に誘ってくれて有難う。いろんな土地でも暮らしたけど京都ってやっぱり良いね。この奥に狛ネズミさんのいる神社があるのよ」

こじんまりした神社に参詣してお賽銭を投げ込む二人。この時期の哲学の道は普段なら観光客で一杯だがウイルス感染症の影響で人出は少なめである。

「離婚して何かしないと暮らして行けないから教育関係の仕事を始めたの。そのご縁で今は高校で教員をしてる。山奥の高校だから生徒も皆純粋で可愛いわ」

「離婚までは専業主婦だったの?」

「そうよ。私達ってもう余生よね。私は今まで何かして来たのだろうかって思った時自宅のリフォームを思い立ったの。吉村君は自叙伝を書くんですって?」

「僕も還暦を過ぎて自分を振り返って色々なことを感じるよ。残された時間は有限なんだ、とかね。だから自叙伝ということを思い付いたんだと思う。だけどまだ中学生位迄しか書けていない」

「武田先生にお会いしたいわ。お世話になった先生だしもう永らくお会いしていないもの」

同窓会企画の経緯を話す。先生からの依頼、速水さんからの情報、南君との和解、ウイルス感染症流行による延期…切手事件についてはめぐみははっきりとは覚えていない様だが加害者の方がより大きな傷を負って来たであろうことには同感してくれて

「それは良い話が聴けたわ」

との反応。同窓会は世の中が平穏になったら是非企画したいと伝えた。

「私、速水さんとは同じ女子中女子高だったのよ。でも彼女は派手組、私は地味組…女子校ってその二つに分かれるのよね」

その地味組の女の子が四百ccのバイクを操っていたという所が興味深い。

めぐみが何やら大きな紙袋を提げている事に今更ながら気付いた。

「何を持ってるの?僕が持とうか?」

「お茶とお菓子、どこかで座って戴けるかなと思って。藤子ちゃんのお店の特製のバウムクーヘンもあるのよ」

手頃な石のベンチを見つけて

「ここにしましょうか」

とめぐみ。私がカバンの中に持っていた老舗旅館の手拭いをめぐみの座る場所に差し出して敷くと彼女は

「有難う」

とにっこり微笑んだ。

――この微笑みにぞっこんだったよな…

と昔の感覚が甦ると同時にコーヒーを飲むためにマスクを外す瞬間がやって来た。マスク越しにも美少女は健在だったが全貌が露(あら)わとなって感動はひとしおだ。

「全然変わらない!相変わらず美少女だね。ルノアールの描く少女を観るたびにイメージの重なる千堂さんのことを思い出していたんだ」

正直な気持ちだ。

「美化しすぎよ」

「そんな事はないさ。実は昔言えて無かったけど僕は千堂さんのことが好きだったんだよ」

極めて自然に言葉になった。

「聞いてないよ」

にっこりしながら彼女が返す。

「当時はそういう事を言うからには将来の事も見据えて目処を立てて言わないといけないと考えていた。ご自宅に伺った時お母様は何だか僕を敬遠している様に見えて遠慮が立ってしまった」

「私、吉村君には悪かったなと謝りたいのが半分、後の半分は私も結構傷付けられた。あの頃吉村君はとっても怒っていて怖かった。私がいけなかったのだけど…」

怒っていた?という記憶はない。しかし怒りに似た感情が無かったと言えば嘘になる。

「怒っていたつもりは無いけど一生懸命自分の心に踏ん切りを付けようとしていたと思う。その時に書いた歌詞と同窓会で再会した日の夜に書いた歌詞を渡すよ。恋に堕ちた日と踏ん切りを付けた日の作品。バンド仲間と曲にして歌ったCDも。他も何曲か録音してあるけれど」

昨日一日かけて録音したCDと歌詞を綴ったA4判のプリントを小袋ごと手渡す。受け取りながら

「後でその通りだと判ったのだけど吉村君に『女子校病だ』と言われたわ。小さい頃から歳の離れた父を除けば女ばかりの中で育って来たから男性との距離感が判らなかったのね」

「そんな事言ったんだ…怪しからん奴だね僕は…」

「いいえ、でも後で吉村君の言った通りだと自分で判ったのだからあなたは正しかった」

「会わなくなって一年位した頃、葵橋の袂(たもと)で偶然出会ったよね。覚えてる?」

私の中では最後にめぐみを見た場面だ。

「もちろんよく覚えてるわ。あの時もあなたは怒っていて怖かった」

「そう言えばその少し後あなたは葉書をくれたんだ。『大人の入り口で落ちこぼれそうになっている』と書いてあったから、もしかしたらまた僕との縁を回復させたいという様なニュアンスを勝手に感じた。でもその時はもう別の女性と付き合っていたから…」

「それでいいのよ…お互い子供だったのよね」

少しの沈黙の後

「良かったら今、歌詞読んでくれる?」

「ちょっと恥ずかしいね…」

小袋から取り出した歌詞に恐るおそる目を通すめぐみ。

「素敵と思う。こっちは日本海の感じがするね。吉村君はロマンチスト…私は人生に失敗してるから…」

――人生に失敗?そんな事を思ってしまう程彼女には辛い事も多かったのだ!

と震撼した。咄嗟に

「失敗なんかである訳無いよ、大切な子供さん達もいるんでしょ?」

「そうかな?そう言って貰えると救われるな…実は吉村君のこと二十年くらい前だったか父が大学病院に入院していた時偶然見掛けたのよ。忙しそうで声も掛けられなかったけど…後姿だけであなただと判ったのには自分でも驚いたわ」

――そんな所で接点はあったのか…こちらが気付いていなかっただけで。

「小学生の時に吉村君が黒板に書いたものを私がうっかり消してしまった事があるの。その時あなたは一瞬ムッとしたけどすぐにニコッとして『いいよ』って言ってくれた。あの時から私の中でこの人は良い人だというポジションができたのよ」

その話は多分大学生の時めぐみから聴いた気がするが現場は覚えていない。記憶というのは人それぞれポイントが違うものである。

「当時の話に戻るけど僕はかなり真剣にあなたを好きだった。周りの友人にも僕の好きなのはめぐみちゃんだと話さずにはおれず皆知っていたよ」

「その中に私は入り損ねたのね…」

少し意味深な言葉に耳を疑う私。

「一度神戸の実家に来て貰ったよね。その時あなたは藤子ちゃんを連れて来た。あれで全然自信が無くなってしまったんだ。僕はそういう対象じゃ無いってね」

「だから謝ってるじゃない。私もどうして良いか判らず藤子ちゃんに相談して付いて来て貰う事にしたの。本当、女子校病だよね」

「でも今こうしてあなたに当時の思いを正直に話せてあなたからもお話が聴けたのは本当に幸せな事だと思うよ」

「私もこんなふうに吉村君とお話ができて今日まで頑張って生きてきて良かったと今は思えるわ」

決して多くは語らないが過酷な過去を背負っているであろうことが言葉の端々に感じられる。もし今日私と話したことで彼女の生きている事の充実感、肯定感が増したならば私の存在価値もあると思えてこれは心から嬉しく思う。

少し身体が冷えて来た。気が付けば十六時近い。もう二時間以上も経ったとは驚きである。

「少し冷えて来たね。そろそろ歩こうか」

哲学の道の紅葉の中を銀閣寺道に向かって歩き出す。話はお互いの家族の事に及んだ。私の妻が元教師で元保育士だった話をすると

「子供さんが好きなのね。私に似てるかも…」

少しはにかんだような表情が印象的だ。めぐみには孫もいて現在の夫は二十歳以上歳下だということも少し抵抗しながらも教えてくれた。若い男性から見ても年齢差を感じさせないオーラがめぐみにはあるのだろう。夫の気持ちには何となく共感出来た。

「でも子供が一番大切、あなたは一番にはなれないのよっていつも言ってるんだけど解ってくれない」

「そりゃまだ三十歳代の相手にそれを求めるのは酷でしょ?あなたの気持ちは僕は理解出来るけど受け入れられない彼の気持ちも解ってあげないと」

少し説教がましいアドバイスをする私。

「あつ、綺麗!私、紅葉は真っ赤よりも緑が入っている方が好きなの」

緑と赤と黄色が見事に調和した背の高い紅葉の前でめぐみはスマホで撮影を始めた。私はそんなめぐみをフォトに収める。気付いためぐみははにかんではいたが嫌がる素振りは無かった。

「そういえば二十歳(はたち)のお誕生日プレゼントにあなたからブローチを貰ったわ。お花の」

「えっ、それって今も持ってるの?」

「持ってるわ。断捨離出来なくて…」

「今度見せてよ」

「いいわ。探しておく」

 

晩秋の疎水沿いの哲学の道は程良くそんな三色が調和した風景が広がっている。その中で無邪気にそれでいて品良くはしゃぐめぐみに私は見とれていた。

人生で最もと思える程ピュアな好意を寄せた女性だからといって、今となっては自分だけで幸せになど出来ない。その女性に幸福になって貰うことが一番で、それこそが自分にとっても大切なことだと思える位には私も大人なっていた。

残された人生の中で少しでも彼女の力になれたら嬉しいなと思う。夕焼けを背に、手を振りながら仮住まいのマンションに去ってゆく彼女を今一度振り返って私は今日の日に感謝した。

 

翌日めぐみからメールが届いた。

 

――CD聴かせて貰いました。本当は聴いていて照れるかなと思ったけど、聴いてしまうと自然に入って来てあの日に帰りました。音楽って不思議、聴いたことが無いのに懐かしい。気持ちがふんわりして自分に優しくなれた様な気がするの。本当に今日まで頑張って生きて来て良かった。有難う、吉村君。

 

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