「写真」が好きなんだよね?!
何だか、最近、写真を撮ってて、いや、「写真」を取り巻く状況に多少の疑問を抱くようになった。
私も多少なりSNSで、写真のことについて書いたりしているので、SNS自体が「おすすめ」とか言って、「このコンテンツを見ろ」的に押し付けてくるのだが、「写真」的に控えめに見ても「なんでこんなモンを」というのが大多数で辟易する。
どれを見ても同じ感じのフワフワかキラキラで、ピントが外れてるの?それともソフトのかけすぎ?みたいに見える。
フィルムに変な目覚め方をしているのも気に入らない。
レトロなカメラが、カッコいいの?まぁ、そうかもね。
20代の頃、撮りたい写真をしっかり撮るために、Canon New F-1 を買った。
必要な測光方法とピント合わせができるカメラが、それだった。
当時、ASA400 のフィルムが簡単に手に入るフィルムだった。
今のデジタル一眼では、ISO10000を超える感度で撮れる。
このほうが、写真を撮るうえでは、アドバンテージが高いはず、と思うのは、おかしい?
また、フィルムの粒子感がいいとか、なんとか。
それは、認める。
でも、それを述べられるような写真じゃないだろ、それ。
投稿には、写真に寄せて言い訳めいた文が付く。
これは要らない。
写真だけで勝負できないものか?
先日、娘を会社まで車で送っていくまでの間に話したことの中で、「近頃の連中は、力(リキ)入れてなんかをやるのはカッコ悪いと思っている」との議題だった。うちの娘は、25だ。その娘は、リキ入れるほうなのだ。
娘は、ぜんぜん立派ではない。定職についていて、仕事にはリキ入れるが、休みの日は、12時くらいに起きてきて、定位置のリビングのソファーからトイレの時以外降りないようなヤツだ。
「それは、失敗するのが嫌だから、最初から逃げを打ってるんだよね。」と。
私の机の上には、New F-1で撮った、今の妻のポートレートが、当時のプリントのままで置いてある。特にラボで、焼き方を指定したものではない。
半逆光で、光に髪が透け、そして、風に少しそよぐ。顔には、余計な影は落ちず、目にキャッチが入っている。背景には、遠景の木の葉の玉ボケがある。
今でも十分通用する一枚と思っている。
当然、フィルムで撮った一枚だ。