多職種連携の軌跡は奇跡!③
往診が訪問診療という形に進化し、ようやく回り始めたかに見えたが、一向に件数は増えない。そればかりか対象者の死去に伴い件数は安定せず。0だったのを1にするのに6年もかかった。じゃあ2にするにはどれだけの年数がかかるのだろうと途方に暮れた時期もあった。
今振り返ると無理もない。訪問口腔ケアの必要性とかの啓発活動など、ベースとなるものが全く普及してなかったのだから。
退院時カンファレンス事業も次第に下火に
最初のスタートアップ3か月間は10件だったこの事業も2年後には年4件まで落ち込んでいた。理由は複数あるしデリケートな部分もあるので書かないことにするが、委員の立場から見ても仕方ないであろうと思った。
しかし、「どんな時でもウチは依頼を断らずお受けしよう」と思ったのはこの頃からだ。
それは今と当時とでは意味合いが違く、当時は「とにかくやれるところまでやってみよう!」という意味合いだったが、今は「自分で困難ならばほかに繋げればいいや」という意味合いに変わっている。それだけ自分自身も成長したと言えるのだろうか。
おかげ様で今では「困った時の歯苑先生」なんて病院の連携室の人から言われるようになった。嘘でもリップサービスでもそんな存在になったのは素直に有り難いと思った。
医科歯科連携から医療介護連携へ
2012年在宅医療連携拠点事業がスタートした。
それに伴い2013年にこの地区で地域連携ネットワークなるものが行政のモデル事業からスタートした。当初はそれに歯科は入ってなかったが、某MSWに思い切って声をかけてようやく参画できた。当時はまだ歯科医師会の委員をしてたのでその肩書を利用した。もしこの肩書がなかったらウチのことを受け入れてくれただろうかと今でもふとした瞬間に思う。
ちなみに当時はMSWなんて言葉は知らなくて、ただ病院の人ぐらいにしか思ってなかった。
そこには内科医×2、薬剤師×2、訪問看護師、ケアマネ、MSW、行政の人、何だかよくわからないリハビリの人(後にPTとわかった)×2がそのメンバーだった。歯科関係者はウチの他に病院歯科の歯科医師1名と一般開業医勤務ではない歯科衛生士2名がいた。
これで仕事が増えるぞなんて、またそんなことばかり考えていたことは否めない。
そのネットワークが主催する研修会には企画会議から会場設営まで色々やってきた。しかし一番重要なのは懇親会。やはり酒の席ではその人となりがわかるので、それが当院の宣伝となるだろうと思った。
2次会でカラオケに行ったこともあった。職種を超えてカラオケに興じるのは、何だか予備校時代に仲間とカラオケに興じた頃と似ているところがあって、正直楽しかったな。
実際の懇親会や2次会の席は当院の宣伝などどうでもよく、ただ単に楽しい時間が過ぎて行った。正直歯科医師会の飲み会よりも数段楽しいものであるし、今でもそう感じている。
こうして顔の見える関係は着々と作られていった。(続く)
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