徒然
切迫早産で寝たきり生活、今日で何日くらいかなと数えてみたら、ちょうど100日目だった。
連絡をくれた友達に話したら、「頑張ってますね」と言われて、自分でもびっくりするくらい一人で泣いてしまった。
もしかしたら今の状況に対して「大変だね」「頑張ってね」と言われたことはあっても、「頑張ってるね」なんて言われたの初めてかもしれなくて、ずっと誰かにそんな風に言われたかったのかもしれない。
昨日、家の中なら歩いていい許可がやっと出て、でも同時に妊娠高血圧症の疑いが出てきたことに絶望して、またいろんなことが不安になった矢先にかけてもらった言葉だった。とにかく泣いた。
寝てるだけで良いのだから贅沢な状況なのだけれど、正直とてもつらい。
身体と精神は繋がっていて、ポジティブになるには身体を動かせと言われるけれど、動かしてはいけない身分。
この機会に意志を持って勉強を……と思っても、寝たきりの体制で意志を継続させるのは恥ずかしながら難しかった。
(私の意志が弱いだけかもしれないけれど、人間横になってる体勢の時は脳がアクティブにならないようにできていることを実感。信じられない人は試しに1日23時間、50日間でいいのでベッドや床にパタリと横になる生活を送ってみて欲しい)
もう常に無気力で、何かがプチンと切れたらこのまま精神がおかしくなってしまうのではと何度思ったことだろう。
身体の筋力もほとんどなくなっているので、もはや5分間立ち続けることもできない。
でも切迫早産で何よりつらいのは、何の役にも立てないことだ。
家の中ではもちろん、社会の役にも立てていない。28週を越えたあたりから精神的に余裕が出て仕事のメールに返信したりできるようになったけれど、それでも周りに強いている負担がすごい。
家の中では役に立たないどころか、両親にどれだけの負担をかけているかが目の前でわかるのでよりつらい。
かつて寝たきりで介護されていた祖母が、何の役にも立てないのがつらい、死にたいと言っていた気持ちが良くわかる。動けていた時は生花の先生で、家事をとても丁寧にこなす凛とした祖母だった。
私は今、高齢の両親に自分の介護をさせている。
人前では笑顔でいるけれど、70歳近い両親がどれだけ疲弊しているかがわかる。
二人でのんびりしたリズムの生活を送っていたところから、家族が増えると、楽しい気持ちとはまた別に、疲労は溜まっていくものだ。
周りを楽しませるためなら自分が犠牲になってもいい精神の持ち主の両親なので、疲労は相当なものだろう。
時々死んだような顔で、「もうダメ…もう頑張れない…」と呟いている母を見た。そしてゲーゲー吐いて救急車で運ばれた母を見た。その数ヶ月前には倒れて手術した父も見た。
お腹に赤ちゃんを宿した今年、父と母、両方の死を意識した年だった。
なのに父母を助けるどころか、負担しかかけられない今は相当つらい。
目の前で飢えて死にそうで倒れている人がいるけれど、「そいつに食べ物を与えたらおまえの子どもを殺すぞ」と脅されているようなつらさ。
赤ちゃんが生まれるまで、父母は生きててくれるだろうか。生きててくれますように。
そんな日々を送る中で、私に芽生えた感情は、言わずもがな両親への感謝の気持ち。両親に尽くして、彼らが倒れた時には介護したいという気持ちだった。
自分の子どもには、これから何十年と、意識しなくてもとにかく尽くしていくだろうけれど、親には意識しないと何かしようと思わない上に、恩返しできる期間は限られている。
無事に赤ちゃんを産めたら、人の役に立てる人になりたい。早く何にも怯えずに自由に動けるようになりたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?