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「医療や介護の希望&計画と意思表示」の”献体”の意思表示について、体験から

ひとつ前の記事の「医療や介護の希望&計画と意思表示」の【献体】の意思表示についてですが、私自身の経験から意思表示は必須だと思いました。
一つの例でしかないので恐縮ですが少し耳を傾けていただけたらと思います。

15年前に母を亡くした際、意思表示がなされていなかったので、遺されたものの判断になり、とても迷いました。

なぜなら、母が生まれながら特別な心臓の形であったためです。

同じように生まれながらの心臓の病のお子様のために研究に役立てて欲しい、献体をと思う気持ち半分。

臓器移植のテレビ番組で、臓器移植された方が食の指向が変わり、実はその臓器の持ち主が好きだったもので「細胞にも記憶がある」(かなりうろおぼえでざっくりですが)というのをみたのが何故かサッと頭をよぎり、なぜかわからないけれど献体はできないと思ったのが半分。

母の生き方や考え方を尊重したら、おそらく献体すべきと本人も判断したと思います。
「しんでしまったらおしまいだから!」と明るく言い
「あなたのここ(私の胸をさして)にずっといるから」
と、形はなくなっても、私の心にいて、私が思い出して生き続けているかぎり自分はそこにいるのだから、形にこだわる必要はないということを言っていたからです。

しかし、、、、結果的に、献体は選べませんでした。

確実に言えることは、遺されたものはその場では冷静な判断はできません。

そして、遺されたものは、どのような選択をしても、これでよかったのだろうかと悩みます。

確実な意思表示と記録は必須だと思います。


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