今さら?「劇場版 鋼の錬金術師シャンバラを征く者」 から学ぶ、世界の受け入れ方。
※ネタバレ注意
まずこの映画は前作、つまりアニメ一期の完全続編であり、初見さんはお断りな作品です。
舞台は一次大戦後のドイツというまた暗い背景の設定ですが、エドワードの絶望感や諦観してしまっているような心境にマッチしたものであるとも言えます。
劇場版に至るまでの大雑把なストーリー。エドワードは訳あって消えてしまったアルフォンスをハガレン世界に呼び戻すために自らの肉体を使って錬成した。その代償としてエドワードは門を抜けて現実世界ヘ!(はしょりすぎてしまいました...)
*ハガレン世界 : アニメ一期の世界、つまりアルフォンスやマスタングが生きている世界。
現実世界 : パラレルワールド。門を抜けてエドワードがやって来た世界、 つまり私たちが生きている世界。肉体を失ったエドワードは、門を抜けて現実世界へやって来た。錬成に必要なエネルギーは、この現実世界から門を通って錬金術師によって使われているというエキセントリックな設定。
門 : 原作では真理の''扉''ですが、アニメでは門と呼称されています。
現実世界にはアルフォンス(小栗旬)やヒューズにそっくりな人間が存在し、エドワードはそんな世界に暮らしながら
「ここは俺の夢なのかも知れない」
なんてつぶやく。
こんなエドワード見たくない、こんなのエドワードじゃない!って拒否感を覚える人もいるかも知れませんが、でもこのエドワード、なんか儚げで、エロさすら感じるのは私だけでしょうか。(私は男ですが)
元の世界に帰ることを諦めて、夢の中で一生を過ごすことを受け入れようとしているエドワード。
初めの頃は一心不乱に帰り道を探して努力していたはず。エドワードはヘルマン・オーベルト(実在した人物)という宇宙工学の先駆者のもとでロケット開発の研究を行い、その頃は一番熱心だったと仲間も語っています。
しかしエドワードは理解してしまった。宇宙に飛んでも、もとの世界に帰れる望みは薄いということを。
望みを失い、自己憐憫にすらとらわれているようなエドワードに漂う未亡人感は正直エロい。(私は男だけど)
それはともかく、
本題 : 自分の世界を受け入れろ。
"等価交換"や"一は全、全は一"の話しでも取り上げたように、アニメ一期には非常に社会的なテーマが盛り込まれており、劇場版も例外ではありません。
この世界に現実感を持って生きることが出来ないエドワードは、友の死や、自分たちが引き金となって引き起こした二つの世界の戦争を経験します。
そういった出来事を経て、エドワードはここが夢の中の世界なんかではないことを悟ります。現に自分達の行動によって世界に大きな影響を与えてしまった。
脚本の會川昇さんはこう語っています。
今、この現実に生きている人たちが
世界に価値がないと感じていたり、あるいは別の世界を夢想することによって、「自分の世界で生きる辛さを忘れよう」としたとしても、
結局はこの世界で生きていくしかないだから、この世界で起こっているあらゆることは自分とは無関係ではないことに気付いて欲しい。
劇場版 鋼の錬金術師 ジャンバラを征く者 シナリオブック 會川昇
エドワードは、アニメばっか見て現実見てない(夢の中に逃げ込む)ような生活から、やっと世界との関わり方、世界とは無関係でいられないことを理解し、現実世界のなかで生きて行く覚悟をする。
現実逃避癖のある私にとっては本当に脇腹を持っていかれる位辛いメッセージ....。
結論 : ファンタジーだけどファンタジーじゃない!
作品に現実の問題をメタファーとして取り入れるのは、創作の常套手段だと思いますが、ここまで直接的に作っちゃった作品ってあまり見たことがありません。
しかもそれをハガレンでやっちゃうっていう...
語りたいことが多過ぎて長くなってしまったので、一旦この辺りで。