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「おふでさきの物語」 第十三章 その3

 今回、神様が直々に人々の前に現れてさまざまなことがらを話をして、どのような働きもしていくのですから、人々の心も自然と澄み切っていくことでしょう、今まで人間たちは人間の心だけでさまざまなことを考えてきたのですがこれからはその判断を神様の心に基づいて行うことが大切です。決して人間の自分勝手な考え方で判断してはならないのです。そのために神様は少しずつですがどのようなことも説いて聞かせているのです。決して神様の言葉を嘘や間違いなどと思ってはなりません。
 たとえば社会の天辺でどのような人が自分勝手に行動しているのかも、その真実の状況や原因も決してだれも理解できていないでしょう。しかし神様はたとえどのような所に住む人々であっても、その心の内をすべてしっかりと見ているのです。心の内にある誠真実が神様の心に適うならば、神様は何時までもしっかりと頑張って働いていきます。しかし神様がどれほどに急き込んで周囲の人々に働いても、周囲の人々はまったく神様の心を理解しようとしません。神様の急き込みというのはたとえばどのようなことかというと、たたえは農家の者が作物を作ろうとするならば、水が必要になります。そのためには、その農作物の成長に合わせて、遅れないように雨を降り注いでしいかりと神様は働くのです。同様に人々の心の成長に合わせてしっかりと話を説いて行かなければならないのです。しかしこの神様の話を人々はどのように思って聞いているのでしょうか。神様の心はまずこれをたすけたいと願っているのです。それでこのように様々なことを説いて聞かせているのです。しかし神様がこれほどまでに話を説いて聞かせても、真剣に誠真実の心で聞いてくれるものはいません。ですから神様の心には残念で腹立たしい、もどかしい気持ちが山のように積もり重なっているのです。
 今まではまだその時期が来ていなかったので、神様はそれでもじっとして、ただ見守っていたのですが、今回は、もう既に時期が到来しているので、どのような働きもすぐに始めることにします。ですから、これから先、どのような道を通るにしても、決して他人を恨むようなことが合ってはなりません。それはすべて自分がその道を通るような生き方をしてきたからなのですから。もし恨むのであればこれまでの自分の通り方を恨むべきなのです。この話は、決して人間や墓所を限定してのはなしではありません。たとえ社会の情rふうに澄むような人であってもあるいは社会の底辺に暮らすような人であっても、全ての人間にあてはまることなのです。
 神様はたとえどのようなことを話すにしても、それは全て世界中の人々を救いたちという一心からなのです。ですからこうして何度も何度も同じことを説いて聞かせているのです。これからさきは決して何も説いて聞かしたとしても、たとえそれがどのような内容のことであったとしても、決してそこには人々に災いを起こすようなことはないのです。神様は本当に心の底から世界中の人間を救いたいだけなのです。そうして早く人々を救いたいと急き込む心から、こうして厳しい意見をするだけなのです。人々の心が澄んで誠真実の心になったならば、神様は人々に対して本当の救済方法を早く教えて生きたいと思うのです。
 この救済というのはいったいどういうことなのかというと、それは、まず世界中から伝染病をなくしていくということです。そのためのつとめを教えていくのです。それから病まず、死なず弱らないという証拠守りを出していきたいと思うのです。どのようなことも全てにおいての救済を神様は急いでいるのですから、神様は人々の心さえ受け取ればどのような働きもしていくのです。ですから人々からみればどのようなことであっても、その心次第でどのようなことであっても適わないということはないのです。たとえば雨乞いであっても神様が本当にどういうものであるかと説いてきかしたことはないですが、今回からはどのようなことであっても本当に心から願いそうして神様の元へ尋ねて来るならば、どのようなことであっても、しっかりと説いて聞かせるのです。神様から見れば、この世界に不可能なこと、出来ないことなど何一つないのです。すべては人々の心通りの働きをしているのです。
 

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