「おふでさきの物語」 第八章 その2
この世界の真実の元となる場所、神様が人間を創造した元なる場所というのはこの「ぢば」をおいてほかにありません。この話をどうして神様が説いているのかというと、どれもこれも、すべて、人々へ伝えたいことばかりだからです。神様がこの世界や人間をつくったという真実の話を世界中の人々か理解しないでいたならば、人類を救済することができないのです。人間の頭で考えて分かるようなことを説いているのではありません。今までに誰かが発見したようなことや、もう既に人々がしっているようなこと、そのような事を神様が人々に伝えたいのではないのです。今まで誰も知らなかったこと、神様しかしらない真実の話を説いて世界中の人々か救済するためにこうして話を進めているのです。
この救済というのはどういうことかというと、まず天然痘などの伝染病からしっかりと人間たちを護るということです。そうして次に、子供を無事に産ことができるようにするということです。早くなっても遅くなっても、一番人々が喜ぶ時期に元気な赤ちゃんが生まれてくるようにするということです。このようにいうと簡単なことと思う人がいるかもしれません。でもこの二つが人類の救済にとっては欠かすことのできない大きな問題であり、決して容易に実現できるようなことではないのです。
神様がどれほどまでに心を尽くして話をといても、世界中の人々は、みんな世間一般の常識で判断しようとするので、まったく神様の説く言葉を理解できていません。でも神様から見れば、この世界を創造した真実の話を説かずにいては、どのような救済もできないままでいるのです。ですからしっかりと聞いてもらいたいのです。
この「つとめ」を行う場所というのは人間を創造した「ぢば」なのです。そうしてこの人間を創造した人間の親である神様がこうして話をといているのです、これが真実なのです。この話を、そうだと疑うことなく信じる者は、まずいないでしょう。でもこのような今までに聞いたこともないようなことをいうのは、これがすべて真実だからなのです。神様が人類を創造した昔であっても神様は今までになかったことを造り出し、今までになかった守護を教えて育ててきたのです。そうして今回も人類が知らなかったことだけでなく想像さえしなかったようなことを説いて聞かせ、一つひとつ教えていくのです。これらは、どれ一つをとっても人間たちの知らないことばかりでした。このような難しいことを一つひとつ教える神様がどのようなことを考えて行っているのかを、しっかりと想像してほしいのです。
なぜ神様が今まで誰も知らなかったようなことを教えてまでも、人々をたすけようとしているのか、しっかりと考えてください。これほどまでに神様が人々の行く末を心配していることを、人々は何もわかっていないのです。神様は人間たちの真実誠の心さえ受け取ることができたならばどのような救済もできるのです。それはどのような救済であっても人間の真実の親である神様だからこそ、ここまで説いて聞かせるのです。神様は、人間を創造したもとなる地点「ぢば」やその根本となる深い因縁があるのでこうやって自由自在な働きを人々に見せているのです。なぜ、ここまで何度も何度も同じ話をするのかというと、これこそが神様が人間たちを救済しようとするその根本だからなのです。この「ぢば」以外のどこを尋ね歩いたとしても、この根本を知った者など決していないのです。
神様が人々の心を見極めて、良いものはよい、悪いものは悪いと見分けていくのです。どうして、ここまでくどくどと伝えるかというならば、神様は人々に災いが訪れることが気の毒でならないからです。しかし、人々の人生の中にあまりにも受ける恩が多すぎて、まったくかえすことができないようであれば、やがて、牛馬と言われるような道が見えてしまうのです。もちろん神様はそんなことになってもらいたくはありません。たとえどのような者であったとしても、その心の中にある誠真実をしっかりと受け取ることができたなら、心次第に救済していくのです。今まで神様がどのような話を説き聞かしても、人々は見えないことばかりだと疑っていたことでしょう。でも、今までのことも本当は見えていることなのですが、誰もその根本が分かっていないので、理解できていないのです。つまりは地震であってもカミナリであっても大きな風が吹き付けるのも、洪水になるのも、これらの自然災害はすべてこの神様の残念な気持ちのあらわれなのです。この真実をだれもが理解していないので、今回、そういったことのないように神様がしっかりと伝えようとしているのです。この神様から見れば世界中の人々はすべて可愛い子供なのです。本当に可愛いと思ってはいるのですが、その世界中の人々の心の中にはたくさんのホコリが積もっているのです。このホコリをしっかりと掃除しないことにはどんなに神様が人々を救済したいと願っても、どんなに人々が行く末にある怖い、危ない道に足を踏み入れるのを案じていても、その神様の心を人々は誰もしらないのです。
人々は、自分たちの世界に身分の高低があると思っているかもしれません。でも、どのように身分の高い人だと言っても、この神様からみればみんな可愛い子供なのです。人々はそれを知らないで、神様がすることを止めようとしています。そうして人々が捧げる神様への祈りをも取り払うのです。ころが神様にとっては非常に残念でしかたがありません。この神様はどんなに残念に思っても、この世界の人々に直接その思いを伝えることはありませんでした。しかし、今回心の中の残念な思いも伝えないことには、世界中の人々を救済することはできません。神様はこれからもずっと人々を救済する方法ばかりを考えているのです。ですから今後神様がしっかりと人々を救済しようとするならば、たとえどのような者であっても心が元気に勇んでくるだけなのです。そこまで言うと、神様の声に疑いの心を持つ人もいるかもしれません。でもたとえどのようなことでも、この神様が一度でも伝えたことにはどのようなことであっても決して間違いはないのです。人々はずっと同じことを伝えているように思うかも知れません。でも人々は心から理解をしていないので、何度でも同じことを説いて聞かせているのです。
しっかりと聞いてほしいのです。
この神様の言葉を、自分たちと同じ人間の言葉だと思っているかもしれませんが、それこそが大きな間違いなのです。たとえどのようなことを教えるにしても、この世界を創造した人間の親である神様でなければまったく意味がないのです。
今まで、どのようなことを人々に教えるのであっても、すべて同じように親である神様がこうしてひとつひとつ教えてきたのです。もし、人間を創造した親であるというものが、他にもいるとしたなら、もしそういう者が他にも存在するとしたならば、どうぞ其処を尋ねて見るがよいでしょう。どちらが本当の親であるか、すぐに分かるというものです。このような人々がしらないことを説いて聞かせていますが、この神様の言葉が本当の真実なのです。そうして人々が知らないことを日々、少しずつ教えていって人間たちを育ててその成長を見守るのが神様のこの上ない楽しみなのです。
この世界を、この人類を創造した真実の親であるから、その「天の与え」というものがあると聞いたものもいることでしょう。でもこの天の与えというものがなにか、きっと人々は分からないことでしょう。それは神様が直々に宝物を人々に与えようというのです。そのために「かんろだい」の上に平鉢をのせるのですが、その前に、人間たちのあちらこちら、体中にさまざまな障りやしるしがみえることでしょう。それらはすべて神様が人々の心をしっかりと掃除しているからなのです。自分自身の心遣いと自分自身の身上をしっかりと見比べた人々は、早くても遅くても結局は同じことなら、早く掃除をするべきだと悟ることでしょう。そうして掃除したきれいな心で歩き、そうして立ち止まった場所。それこそが人間を初めて神様が人間を創造した「ぢば」なのです。その「ぢば」に甘露台をたてるのです。そこで定められた人衆がかけることなく、誠真実の心を一つにしてつとめをつとめることが大切なのです。この勤めに早くかかってもらいたいのです。そうすることによって、世界中の人々の心が勇んでくるのです。このぢばやかんろだいは、世界中のどこを探しても見つかるものではありません。これこそ、この道の中心となるものなのです。このぢば・かんろだい、そうしてそこで勤められるつとめができてきたならば、もうどのようなものでも恐ろしいことはありません。しんかりと神様が働いてゆけるのです。
神様がどのようなことを説いてきかしても、証拠がなければ誰も信じないことでしょう。その確かな証拠として、このこのかんろだい、そして「天のあたえ」というものを人々に渡していくのです。この話は、神様の声に耳を傾ける者たちだけでなく、どのような人々、たとえそれが身分の高いような人々であっても、自由自在に働いて、説き聞かしていくのです。