「おふでさきの物語」 第五章 その4
まだ今日の日に至るまで、何も見えていないかもしれません。でも間もなく八月になったなら、さまざまなことが見えてくるでしょう。見えると一口にいってもきっと何が見えるのかわからないでしょう。社会の底辺から上流までしっかりとつながる大きな道が見えてくるのです。そうしてその社会の上流から「ぢば」を囲む人々の手本となる家へ多くの人々が訪れるのも、また呼び出しにくるのもすべて、そこには神様の深い思惑があるのです。しかしこのぢばの側で使えている者は神様の深い思惑を理解できずに、人間社会の上司委にとらわれた考え方ばかりをしています。しかし神様の思惑は人々の常識で計れるものではありません。これまで人間が考えも付かなかった珍しい真実の道なのですから。神様が人間を創造してたら、もう既に長い長い年月がたっています。でもまだ誰も神様の心、真実を知った者はいません。ですから神様の心がどのように急いだところで人々の心がまだぼんやりとしたままなのです。ですから神様は早く人々にしっかりと考えて貰いたいのです。しっかりと真実をしろうとどうして誰も考えないのだろうかと焦れったくて仕方がないのです。しかもまだこの世界の真実をどのようにしたら突き止められるのかを知っている者もいないのです。この神様の心にそった道を最後までしっかりと歩みきったならば、社会の底辺に住む人々も上流に住む人々も、どのような処に住む人々も喜びが心に湧いて元気になってくるのにと思うのです。
これからは、世界中の心が喜び勇んでくるためにはどうすべきかを神様も第一に考えていこうと思います。そのために、神様の心に沿って歩みを続ける人々に対しては、この世のありとあらゆることにおいて分からないということのないようにしたいのです。本当に神様には深い思惑があるのですから、出来るだけ早く世界中の人々すべてにありとあらゆることを教えたいと考えているのです。しかし人々はこの神様の深い心しらないで、神様の心に耳を傾ける者たちを危険な者たちだと思っています。でもすべて神様の深い思惑から、このような歩みになっているのですから、決して危険なことなどあるはずがありません。しかも、今こうやって、様々なことを人々に説いて聞かせているのに、まだまだしっかりと理解している者がいません。ですから、まずは自分自身の心の中をしっかりと澄ませて、神様の心がしっかりと理解できる心になってほしいのです。世界中には非常に大勢の人々が暮らしているので、これらの人々すべての心をしっかりと澄ませていくのは本当に難しいことです。でもどのように難しいことであったとしても、自分の心の底からしっかりと真実を見極める努力をしなければなりません。自分自身の心がしっかりと澄んだことならば、どのような難しいことであっても、しっかりと神様の心が理解できるようになるのです。
人々は日々神様がどれほどに人間をはじめ多くの命を護っているのか、神様の真実を分かっていません。でもたとえどのようなことであっても、そこには必ず神様の確かな働きがあります。そうしてその真実の働きをこれからしっかりと人々に知らしめていこうと思うのです。ですから、この世界に起こるさまざまな不思議な出来事や珍しいこともすべて神様の働きに他ならないのです。今まではどのような事も分かっていませんでしたが、今少しずつ、確かな歩みのために道が見えかけてきたのです。そうしてこの細く長い道のりを一歩一歩着実に歩んでいけばきっとやがては大きな確かな道へと変わってゆくことでしょう。今まで少しずつ神様の声に耳を傾ける人々が歩みを進めていましたが、いったいなにが正しくていったいなにがいけないのか。神様の心に沿ったものとそうでないものの区別がなかなか分かっていませんでした。しかし、どのように科学や学問が素晴らしいものだとしても、神様の心に沿っていないものはやがて、神様の心に沿って歩む人々の真実の心には決してかなうことはありません。
人々にこの世界の根本、真実をしっかりと突き止めてもらいたいのです。本当に人々のそれだけの力があるならば人間の知恵を尽くし、誠真実の心を尽くしてしっかりとこの世界の根本を突き止めてもらいたいのです。もし、この世界の根本をしっかりと突き止めたならば、もう世界中の何もおそれるものはありません。
しっかりと聞いてください。たとえ口に出して言っても言わなくても、世界中のどの場所で言っても言わなくても、心に思うだけで、、すぐに神様はその心を受け取って、人々に働きかえすのです。そのことをしっかりと考えて貰いたいのです。