おたねさんちの童話集「ウサギのユッキー」
ウサギのユッキー
小学校一年生のころだったでしょうか。私は庭に冷してあった西瓜をまるごと一つ運ぼうとして・・・。ふらふらする足をなんとかふんばって台所へと歩きました。
両手に抱え込んだ西瓜はそれでも大きくて、足に力をいれると今度は手の方がすべって、おっこちそうになります。
そうしてやっと台所へともっていってテーブルに置こうとした瞬間、西瓜はコロコロところがって・・・。
床で見た西瓜。真っ赤にはれつしていました。
その晩見た夢は西瓜のおばけ。
全身西瓜バーのアイスみたいな格好をしたおばけが一晩中追いかけてくるもんだから私は恐くて恐くて。
・ ・・おばあちゃんのおふとんにもぐりこんだっけ。
次の日、私は初めてユッキーを見ました。
登山口へ続く長い緩やかな坂道。自動販売機の隣にあったベンチに座ってため息をついているときでした。
夏山に似合わない真っ白なウサギ。
私の方をみて、すぐにいってしまったウサギを私は勝手にユッキーと名付けました。
その年初めてプールに入りました。プールといってもビニールで出来た組立式のやつ。それでも結構大きいので驚いたことを覚えています。
普段川で泳ぐのとは比べものにならないくらい、気持ちよかった。
今は川の方がいいようにも思うけれど・・・あの頃は本当に嬉しかったと記憶しています。
嬉しくて、嬉しくて、友達とずっと遊んでいました。
でも、ある日飛び込みに失敗して
「お母さーん」
鼻血をいっぱいたらして大泣きしながら、走ってくる私の姿にお母さんはア然としたそうです。
その日ユッキーの夢をみました。
学校のプールで一人泳いでいると、急に水面が赤く染まり出しました。
私の体中から血液が流れ出て、プールの水面を赤く染めていたのです。
私は驚いて何度も叫びました。
「たすけてー!たすけてー!」
そこへユッキーが現れたのです。
ユッキーはぴょんぴょんと水面を当たり前のように跳ねていきました。
不思議なことに、ユッキーが跳ねたところの水面は元通りの透明になっていました。
ぴょんぴょんと跳び回っている家にいつの間にか、水面は元通りになっていきました。
私もなんとなく元気になったような気がしました。
最後にユッキーは私の顔を見て、すーっとどこかへ消えてしまいました。
ユッキーのその時の顔はなぜか悲しそうに見えました。
次の年、学校はすっごい大騒ぎでした。なんでも、日本中のえらい学校の先生たちが、私の学校にくるのだそうです。なんでも、うちの担任の先生の教え方が注目されているらしいとのことでした。
あまり私にはかんけーなかったけど、その日、私は生まれて初めてパトカーに乗った。
別に私は悪い事なんかしてないけど、学校からの帰り道、山ぶどうを取りながら考え事をしていたら、いつのまにか夜になっていたみたい。優しいおまわりさんが私を迎えにきてくれた。お母さんには「まっすぐ家に帰りなさい」って怒られたけど、おまわりさんにもらったオレンジジュースはおいしいと感じました。
そういえば、先生に呼ばれて保健室へいったとき、大勢の人がいたのはどうしてだろう。
夢の中のユッキーもたくさんのオオカミに囲まれてふるいていた。
気がついたときにはいなくたっていたけれど……。
学校を出てから町工場で働きました。機械部品の型を一つ一つ丁寧に作りながら私は来春予定している結婚式のことを考えています。
あいつと初めて出会ったのはいつのことだったでしょう。
ケガをした人の看病をしていた時、あいつが入ってきたのです。あいつはそのケガした人の親戚。そのケガ人は私の会社の先輩。つまり、一緒に看病している時に仲良くなったのでした。
あいつの家は喫茶店で、遊びに行くとコーヒーを入れてくれました。
私はあいつが作ったクレープが好きでした。クリームをたっぷり入れたコーヒーをあいつと一緒にのんだのでした。
「今日は何の日か、知っているか」
あいつにきかれた私は
「分かりません」と、告げたのでした。
ユッキーと最初にであった日でしたがが、さすがにそうは答えませんでした。
「俺の誕生日だよ。まだ言っていなかったから」
そのあと、彼のプロポーズにハイと返事しました。彼からプロポーズを受けた日、私はユッキーの夢を見ました。
ユッキーはなんとスキーをしていました。スキー靴に、板、ゴーグルに耳当てまでして、颯爽と滑っています。
でも、私が声をかけようとしたとき、大雪崩がきて、ユッキーは飲み込まれてしまったのです。
私は悲鳴をあげました。
それから、
「ユッキー、ユッキー」
と、何度も叫びました。
あたりは一面の銀世界。空の色までも白く見えました。
思わず目が覚めた私は、すぐあいつに電話をかけました。
「ユッキーが死んじゃった。ユッキーが死んじゃった。」
きっとあいつは、なんのことだったのか分からなかったに違いありません。
でも、あまりのことで私も夢だと言うことに理解ができていなかったのかもしれません。あいつがスキーへ出かけて事故にあるのは、ユッキーが死ぬ夢をみてから間もなくのことでした。
私が止めるのも聞かずに、大丈夫だよと笑って手を振り、出かけたまま……、帰らぬ人となりました。
不思議に私は落ち着いていました。
最初からそうなる運命だったと分かっていたような錯覚を覚えるほどでした。
あの日、ユッキーの死ぬ夢を見てから、もうユッキーの夢を見ることはありません。そうして、あいつもユッキーと同じように消えていく……。
そんな気がしてならなかったのです。
でも、あいつが亡くなってから、私はまたユッキーの夢を見るようになりました。
それどころかユッキーは、あいつの声をして話しかけてくるようになりました。
「だいじょうぶだよ、だいじょうぶ」
あいつと同じ口調で、あいつの口癖を当たり前のように笑いながら話しかけてくるのでした。
私が病院へ運ばれたのはあいつが亡くなってから三年後のことでした。
病名は覚えられなかったけれど、子供の頃から患っていた病気でとても珍しいものだそうです。子供の頃、学校に偉い先生がきたのも私の病気を診るためでした。
あまりに強い薬を打つので幻覚を見るかもしれないと教えられたのは大人になってからです。
でも、子供の頃から本当はその薬が使われていたことを私は知っています。
きっと私は子供の頃から多くの幻覚を見ていたような気がします。
でも、どこまでが幻覚で、どこからが現実なのか。
私にはどうでもいいことです。
それよりも、心配なのは最近ユッキーの元気がないことです。
あいかわらずあいつの声で「だいじょう」と言ってくれるのですが、前とはだいぶん雰囲気が変わったように思います。
お医者さんは、私の小さい頃から毎日つけている入院記録を見ながら今日も大きな注射を打ちました。
ユッキーは「いたい、いたい」と転げ回ります。
でも、お医者さんはゆっきに構わず、何度も何度も頭に注射します。
お医者様は笑うことも怒ることもなく、冷たい目でユッキーに針を刺し続けました。
「ギャーーー!!」
私は大声をあげました。
ユッキーがぐったりして、倒れてしまったからです。
私が抱き寄せても、身動き一つしません。
心臓の鼓動も聞こえません。
そうして、だんだんと体温が下がっていくのが分かりました。
「ユッキー、ユッキー」
私は大声で泣き叫びます。
今、私はユッキーと一緒に空から地上を眺めています。
でも、不思議なことに今までに見た風景はどこにも広がっていませんでした。
中学校も高校も、勤めていた町工場も・・・。
ただ子供の頃ユッキーを初めて見た、あの登山口へ続く緩やかな坂道と、小さなベンチだけが、変わらずに残っていました。