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「おふでさきの物語」 第六章 その2

 神様へ祈りを捧げる十人全員の誠真実を神様が受け取ったなら、少しずつ神様が思っていること、考えていることを伝えていこうと思います。しかし、どのように神様が急いでも、祈りを捧げるべき者十人がしっかりと揃わないことにはどうしようもありません。人類の代表である十人なのですから、しっかりと誠真実の心を神様に伝えなければなりません。もし心がそりわなかれば、十人のうち三人はまったく神様の働きを失ってこの世から消えてしまうかもしれません。それほどまでに厳しい祈りでもあるのです。しかし、どのようなことが起こっても、すべて神様の深い思惑がその根底には働いているのですから、しっかりと神様の心を理解するように努力することが大切なのです。決して、普通の病気と同じように考えてはならないのです。そうして、本当に神様の心を理解して、この世界の真実が分かったものがいるのならいつでもこのぢばへと来てください。世界中のどこを探しても、この世界の根本を知っているものなど神様のほかにはいないのです。
 これからさき、本当に真実の道を神様がつけていくために、今まで誰も知らなかったことを伝え、世界中を救い上げるための祈りを教えているのです。
  どうして、この祈りがそれほどまでに大切なのでしょう。この祈りを捧げるもの十人のなかに、神様が人間を創造した時、親の役割を果たしたものがいるからなのです。その親の働きをしたものを「いざなぎ」、「いざなみ」といいます。この二つを神様の心の側へと引き寄せて人間を創造する働きを教えていったのです。この「いざなぎ」、「いざなみ」はもともと泥海にいた「うを」と「み」でした。この「うを」と「み」を泥海の中から引き上げて、夫婦というものをつくったのです。
 この世界の根本となる最初の世界は泥の海でした。そのなかにいたのはたくさんの「どじょう」でした。その大勢のドジョウの中に「うを」と「み」が混じっていたのです。神様がその「うを」と「み」をよくよくと観察すれば、なんとその「うを」と「み」は人間の原形をとどめているではありませんか。その「うを」と「み」の様子を見て神様はこの壮大な真実を思いついたのです。この「うを」と「み」の周りに様々な道具を引き寄せて、神様はそれぞれの働きを教えていきました。それらの道具のうち「くにさづち」と「つきよみ」に教えた働きを人間にの身体に仕込んだのです。それから「くもよみ」「かしこね」「をふとのべ」「たいしょく天」とつぎつぎに道具を引き寄せました。そうして神様はそれらの道具たちと世界を創造していく相談をまとめたのでした。
 神様は本当に大変な思いでこの世界を始めたのです。いままでまったく何もなかったことをするのですから、それはそれは難しいことだったのです。でもこの世界を創造した真実を知っている者は誰もいないことでしょう。これから、この世界を創造したときの真実の話をするのですから決して疑ってはなりません。
 神様が人間を創造したとき、まず最初に「うを」と「み」にそれぞれ、人間の「種」と「苗代」の役割を与えました。そうして、その母親の身体の中で神様がしっかりと働いて少しずつ成長させていったのです。そこの母親の身体から最初に生まれた子数は九億九万九千九百九十九人でした。この生命は三日三晩をかけて「ぢば」に宿し込まれました。そうしてそれらは、三年三月の間、その「ぢば」にとどまっていたのでした。最初の生命は「五分」ほどの大きさでした。それから少しずつ成長していったのです。この母親に一度教えた守護によって、合計三回、生命は宿し込まれたのです。
 ここで、断って起きたいのは人間を創造したのは神様であってそれ以外はすべて道具であるということです。神様が人間を創造しようとして、さまざまな場所から道具となるものを集めて、それぞれに名前をつけていったのです。
 そのなかでも「いざなぎ」と「いざなみ」がそれぞれ人間の父親、母親の役割をしましたので、今でも人においては立派な神社でまつられています。
これからさきも、まだまだ話をといていきますが、どれもこれも今までに聞いたこともないような珍しい真実の話なのです。それらの話はすべて人間を創造したときの話なのです。この道をはじめ最初に人々の手本になったこの家こそ、神様が最初に人間を創造したところなのです。そうして最初に神様の声を伝えたものこそ、人間を創造したときに親の役割を果たしたものなのです。神様は、そのことをしっかりと見定めた上で、この家へと天下ったのです。それは本当に人間創造の真実を人々に伝えたいからなのです。神様が本当に考えていることは、神様が人間を創造した時の役割を人間たちが行う祈りの中で、相応しい人間にしっかりと表現してもらうということです。そうすることによって神様の重要自在の働きをどんなときにでも、表すことが出来るようになるのです。今までも、人間創造の際に役割を果たしたそれぞれの道具衆ほ働きを人間たちに表現させようとかんがえたのですが、なかなか相応しい人間が見つかるまでに人々の心は成長していなかったのです。しかし今回は確かに神様がこの地上に天下ってこの世の真実をすべて言って聞かせるのです。今まではちょうど御簾の内側から見ているようなものでしたから、人々が何も分からないのは当然なことでした。しかし、今回からは明るいところへ出てきたのですから、どんなことでもどんどんを現れてくるのです。
 この神様の声を伝えるものの赤い着物をなんと皆の者はどのように考えていますか。この赤い着物の中に神様がすっぽりと入っているのです。もちろんこの赤い着物を着る前からこの者の中に神様が宿っていたのですが、まだ人々の心の成長が神様の思うようなところにまで達していなかったので、待っていたのです。今回やっと神様の思うところまで届くようになったので、しっかりと神様の働きを表していこうと思うのです。しかし、上流社会に澄む人々はそのような神様の心も知らず、どのようなこともすべて自分たちの意のままになると思っている。しかし、この人間を創造した「ぢば」のある屋敷よりはじめたこの道には決して人間の心は入っていないのです。どのような言葉も行いもすべて神様の心から発せられるものなのですから。反対に上流社会に住む人々がどれほど偉いようなことを言ってみても、それはすべて人間の頭で理解できることでしかないのです。しかし、今、その社会を治めている人々が、神様が名付けた名前を変え、この道を変えようとしていることが、非常に残念でならないのです。この神様の心にある残念な気持ちは、どれほどのものかきっと周囲の者たちも理解できないことでしょう。
 今までは社会を治めるような上流社会にいる人々がこの世の中を我が物顔で暮らしていましたが、これから神様がこの世界の表に現れて道を説くからには、どのようなことも神様の思い通りにするのです。もしマネができるものなら、やってみるがよい。この「ぢば」のあるところで、こうやって話したり、行ったりすることはすべて神様の心が思うおこだけなのです。ですから、これから、神様の心にある残念な気持ちがどんどんと表れてくることになります。
 これから先、どのようなことが起ころうとも、決して単なる病気や災難と思ってはいけません。すべて神様の心に今まで積もった大きな残念な気持ちの表れなのですから。今まで何度も残念な気持ちを表すと伝えてきましたが、どのようなことかきっと人間たちは理解できなかったことでしょう。でもこれから現れてくることこそ、真実の神様の残念な気持ちの表れなのです。そのことを上流社会に暮らす人々はしっかりと理解しないといけません。

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