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おたねさんちの童話集 「鳩のニビー」

鳩のニビー
 
廃線となったモノレールの線路跡からは、細い川を挟んで小さな児童公園が見えました。鳩のニビーは、群れの仲間と共に、公園で遊ぶ子供たちを眺めていました。
 小さな公園ではありましたが,子供達が大勢集まる遊び場でありました。
 鬼ごっこやボール遊びに興ずる子供たちを眺めていると、ニビーは、まるで自分もその輪の中で遊んでいるような気分になるのです。のんびりとそんなことができるのも、この町ではあまり食べ物に困らないからです。周囲に小さな丘や畑が点在し、公園では毎日、決まった時間にパンをくれる小母さんがいました。そうして何より天敵となる動物もあまりいなかったのでした。この高い線路跡まで上って、ニビーたちを脅かす動物がいなかったからです。怖いものといえば、ときどき悪戯をして、鳩を捕まえようとする人間の子供たちくらいです。でも、小さな男の子が興味本位で追いかけ回すくらいなら、捕まることはありません。近くの屋根の上にとまれば諦めてしまいます。でも、少し大きな子供たちだと、巧妙に罠を仕掛けてくるので、気をつけなければいけません。実はニビーも小さかったころ、罠にひっかかったことがあるのです。子供たちがくれるパンくずを喜んで追いかけながら食べていたら、頭上から突然大きな籠がふってきたのです。びっくりして羽をバタバタさせると同時に、ワーという子供たちの大きな歓声があがりました。
 ニビーは、籠から抜けだそうと必死でもがきましたが、少年の一人がサッと後ろから両翼を押さえつけてしまいました。
 少年はニビーを掴んだ瞬間、体がビクリとなりました。そうして周囲の子供たちに「あったけー」と叫びました。
 周囲の子供たちは「僕にも!」「僕にも!」と体のあちこちを撫ではじめました。ニビーは怖くてずっと震えていましたが、やがて、さっき最初にニビーの両翼を掴んだ少年が、「もう可哀想だから、逃がしてやろう」と言ってニビーを放してくれたのでした。
 もうずっと前の話ですが、ニビーが楽しそうに子供たちの様子を眺めるようになったのは、それからのことでした。罠にかかる前は、頭に石をぶつけられたとか、足に凧紐をくくりつけられたとか、そんな恐ろしいことばかりをきかされていたので、あんなにも簡単に逃がしてくれるとは思っていなかったのです。ですから、他の鳩たちの公園を眺める基準が、餌の有無や安全の確保であるのに対し、ニビーはというと子供達が楽しそうに遊ぶのを喜んで眺めているだけなのですから、その視線はきっとやさしいものに違いなかったでしょう。
 その日もニビーは、公園で遊ぶ子供たちの様子を眺めていました。子供たちは、ブランコの周囲に集まってなにやら話し合いをしているようでした。
 でも、いつものどこかが違いました。なんとなく重苦しそうな雰囲気でニビーを放してくれたあの少年もいませんでした。
「だからさあ、そんなに深く考えなくてもいいんだよ」
「そんなこと言ったって僕には無理だよ」
「そんなにあいつが怖いのかよ」
「こ、こわくはないけど……。」
「だいたい、あいつ、生意気すぎるんだよ。よわっちいくせに偉そうなことばっかりいいやがって」
「それは、そうだけど……」
「大丈夫だって。こっちから声をかけるのをやめるだけでいいんだ。あとはテキトーに話をあわすフリをして、徐々にシカトしていったらいいんだよ。」
「でも……」
「もし、やらないんだったら、お前だってあいつと一緒に仲間はずれにしてやっからな」
「あいつ」とは、ニビーを掴んだあの少年のことでした。もちろん怖かったけれど、最初にニビーを放してあげようと言ってくれたのも彼だったということを、ニビーは忘れていませんでした。
 その日から、少年たちの輪の中に彼が加わることはなくなりました。いつも少し離れたところで、一人遊んでいました。縄跳びをしたり、コマを回したり、時には漫画を読んだりしていたのです。一人になっても、公園へやってくるのは、まだ他の友達と遊びたかったからに違いありません。ニビーは自分のことのように悲しくなってきて、毎日彼ばかりを眺めるようになっていました。
 そんなニビーを周囲の鳩たちは笑いました。どうして人間なんかの心配をしなきゃならないんだと。いつもパンをくれる小母さんならまだしも、罠をしかけて、一度はお前を掴まえた少年の心配をするのはばかげているともいいました。
 そう言われるとニビーは言い返す言葉がありません。だまって彼らの言うことに頷いておりました。けれど、どんなに周囲の鳩たちにいわれても、ニビーはどうしても、あの少年のことが心配になってしまうのでした。
 「そんなに心配なら、あの子のところへ飛んでいけばいいのに」
 「えっ!」
 ニビーは驚いてその声を見上げました。
 その声は、いつも脚にへんてこなものをつけて、みんなから笑われている雌鳩のレーシーでした。
「そんなこと、できるわけないじゃないか」
ニビーは言いました。
 「どうして、そんなに心配なら、彼と友達になればいいんだよ。私ね、昔人間に飼われていたの。生まれたときから、しばらくの間、ずーっと」
「ほんと?」ニビーは驚いてレーシーをみました。
「ほんとよ。みんなにからかわれている,脚のこの変な輪っかがその証拠。私の飼い主は、いつも他の大勢の飼い鳩といっしょに、いろんな所から私を放して飛ばせるの。家に着くまでの時間を競わせるのを楽しみにしていた……」
「やっぱり、人間てのは酷い動物だよな……」ニビーは下を向いて呟きました。
「でも、私は飼い主のことが大好きだった。いつも私が帰るのを屋根の上で待っていてくれて、降り立つとすぐに私を抱きしめてくれたの。あのときも、本当は家に帰るつもりだったけれど、台風がきていて、私は大きな怪我をしてしまったの。それで倒れていたら、ここの仲間達が私を助けてくれた。たぶんあの家には帰らないと思うけれど、でも私は決して人間が嫌いじゃない。だって私は彼らの優しさを知っているから……」ニビーは余りにもビックリして、黙ったまま、東へと流れていく雲を眺めました。
 その日も少年は、他の子供達が帰ったあとも、一人でブランコに座っていました。ギーコ,ギーコと鳴るつまらなさそうな音の中で、必死に涙をこらえているように見えました。
 空はオレンジ色の光を含んで、ゆっくりと薄い雲を流しておりました。
「ごはんよ!早く帰っておいで」遠くの窓からお母さんの呼ぶ声や子供達のキャッキャと騒ぐ声が漏れ、やがて小さな街の灯りが、またひとつ増えました。
 どれほどの時間がたったことでしょう。風が止んだ一瞬を見計らって、ニビーは少年の目の前に舞い降りました。少年の足下へと近づいて「クルックー」と小さく鳴き声をあげました。少年はもちろん、ニビーが昔、自分の掴まえた、あの鳩だとはしりません。でも、あの時、鳩を掴もうとして触れた瞬間、思わずビクリとのけぞった、あの生温かな感触を思い出したのでした。あのとき感じた不思議な感覚、ただか細いだけではなく、得体の知れないほどのたくましさと、見透かすようなまなざしが、恐ろしいほど異様に思えて,おもわず手放してしまったのだけれど、今、夕日を浴びているこの鳩の姿は、キラキラと輝いていて、あまりにも美しいものに感じられました。
「おいで!」
 少年の声があまりにも自然でした。ニビーも足首に触れるくらいのところまで、あたりまえのように進んでいきました。少年も当たり前のようにニビーの背中をさすりました。ニビーは「クルックー」と鳴きながら、夕日が沈んでいくのを眺めながらそこにたたずみました。
 その日から、ニビーは少年と友達になりました。少年が公園へくるたびに、肩の上にのったり、足下をついていったりして遊びました。それは本当に楽しい毎日でした。そうして、他の子供たちも、ニビーと少年の周りに集まってくるようになったのです。
 少年はまた昔のようにみんなの人気者になりましたが、反対にニビーはと言えば次第に周囲の鳩たちから変な目でみられるようになりました。
「あいつだけ、人間なんかとうまくやりやがって」
「そんなにあいつはパンくずが欲しいのかよ」
 どんどんとニビーは仲間の鳩たちから相手にされず、ひとりぼっちになっていきました。もちろん人間の子供たちとあそぶのは楽しいことでしたが、やはり仲間の鳩たちから相手にされずにひとりぼっちになることは最も悲しいことだとしりました。
 ニビーは子供たちと鳩の仲間の間でどんどんと胸が苦しくなっていったのでした。
 「やっぱり人間の子供たちと遊ぶのはやめよう!」
 ニビーはそう決意しました。
 あの少年とも遊ぶのをやめてしまいました。子供たちがどんなにニビーを呼んでも行かないようにしました。
 でも、やっぱりニビーは他の鳩たちから相手にされないままでした。
「僕、どうしたらいいんだろう」
 ひとりぼっちの日々が続き、子供達が呼ぶ声を逃げるようにして聞こえないふりし続けたのでした。
 やがて、少年もまた人間の子供たちから再び仲間はずれにされてゆきました。僕が呼べば必ず鳩が寄ってくると自慢げに話していたのに、急にニビーが近づかなくなったからでした。
 みんなから嘘つきと呼ばれて、相手にされなくなったのです。
 「あいつのせいで!」
 少年はだんだんとニビーが恨めしく思えてきました。初めてニビーが彼のもとへ飛んできたとき、どれほど嬉しかったことが.少年はそんな嬉しい記憶を簡単に消し去ることのできるほどニビーが憎らしくなってきたのでした。
 少年は次第に鳩を虐めるようになっていきました。餌をやって鳩を集めては思いっきり蹴飛ばしたり、急に石を投げつけたり、その行動は次第にエスカレートしていきました。
鳩たちは、ニビーを責めました。あれがお前と仲の良かったやつの正体だと罵ったり蔑んだりしました。
 そんなニビーの姿を遠くから眺めていたレーシーは悔しくて仕方がありませんでした。でも、なにも言えないままニビーと他の鳩たちの距離は遠のいていきました。
少年が、また鳩を捕まえる罠を作り始めたのは、ニビーがまたひとりぼっちになって暫く経ったころでした。
 その罠は、とても精巧につくられたものでした。一見して罠とは誰もわからないようなものでした。ただ一人、レーシーだけが、その罠の正体を知っていました。みんなに知らせなければと飛び立ったとき、ニビーの姿が目に映って、一瞬のためらいをうみました。
 そして
 「危ない!!」
 レーシーは罠にかかりそうになった仲間の一羽を押しのけようとして自分が罠にかかってしまったのでした。鳩の群れがレーシーの入った罠の周りを取り囲みました。
ニビーは当然のように、その輪の中に入れて貰えません。
 ただ少年が鳩の群れを追い払い,その罠を手に取るまで遠くから眺めていました。
 やがて少年は、罠のフタを開け、レーシーを掴もうと手を突っ込みました。
 レーシーは罠の中で、ジタバタさせて逃げ回っていました。
 ニビーが少年を攻撃したのは、その時が初めてでした。腕や頬や頭を思いっきりくちばしでつついたのでした。
 「やめろ!やめろ!」
  少年は慌てて罠をひっくり返し、ニビーの首を掴まえました。
  レーシーが罠から逃れて飛び出します。
  少年の手には、昔触れた、小さな頃のニビーの感触が蘇りました。
 「もういいや!」
 少年は掴んだ首を思いっきり遠くへと投げ飛ばしました。
 
 少年が姿を見せなくなったのは、それからまもなくのことでした。中学校という別の学校へ移ってから、遊ぶ場所も友達も変わったようでした。
 ニビーが他の鳩たちとまた、仲良くなったのはレーシーのお陰でした。レーシーが他の鳩たちが仲直りできるように頑張ってくれたのです。
「この世の中で、一番に苦しいのは、本当は『板挟み』かもしれないね。家族や友達たちとの板挟み、良心と周囲との板挟み。でも、苦しい方を選んだ方が、結局は、みんなが幸せになれるのかもしれないね」
 ニビーの隣で、レーシーは、そうつぶやきました。
今日もニビーは、廃線となったモノレールの線路跡から、細い川を挟んで見える小さな児童公園を眺めています。
 もし今度人間の子供達と友達になったならば、今度はもう少し上手に付き合えるかな。
そんなことを考えていると、いつもパンをくれるおばさんが、今日も乳母車を押しながらやってきました。
「行こうか!」
仲間の声に応えるように、ニビーも公園をめがけて飛び立ちました。

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