「おふでさきの物語」 第四章 その3
では、その「ぢば」とはどのようなところでしょう。そのぢばこそ、神様が初めて人間を創造したところなのです。この場所に手本となるべきものを遣わし、手本となるべき家をつくったのです。この場所から少しずつ理想社会建設のさまざまな方法をすべて教えて、神様の心に沿うものとそうでないものをしっかりと区別していくのです。少しずつではありますが、早く神様の心に沿うものとそうでないものを区別して伝えたいというのが神様の願いなのです。こうして、しっかりと区別したなら、神様の心の素晴らしさが伝わって神様の心に沿った素晴らしい世界へと変わっていくのです。そうなると、さまざまな不思議な世界が現れて、人々が楽しく暮らす様をみて一緒に楽しもうと考えて人間を創造したという最初の神様の思いにぐんぐんと近づいていくのです。
ここでいう人々とは決して一部の人々ではありません。世界中の人々が幸せになって欲しいというのが神様の願いですから、どんなところに生活してるものもまったく区別はないのです。この世界や人間を創造した神様の目からみれば、世界中の命ある者、心ある者はすべて神様の子供なのです。世界中の子供すべてが可愛くて仕方がないので、いろいろと心を尽くして子供たちの成長を願っているのです。子供である人間たちに願うのでは、子供の成長を願う神様の心を少しでも理解して貰いたいということなのです。本当に神様の心にあるのは、子供の成長を一刻も早く願う親の心とまったくおなじことなのです。そうして子供である人間がしっかりと成長したならば、人々が生み出した様々な学問も、神様の心とまったく違いがないようにしていくのです。子供たちの心を早くしっかりとしたものにしていきたい。神様の願いはそれだけなのです。そのために日々神様の心にあるのは、人間が自分の幸せだけを考えるのではなく、人々をたすけたいと願う心、他のものの幸せを願う心に変わっていかないことへのもどかしさなのです。事実、神様の声に耳を傾ける人々も、人の上に立つ人々をおそれてなかなか神様の声に従って歩みを進めようとしません。でも神様の声に従って歩んでさえいれば何も怖くはないのです。
間もなく、今まで歩んできた道もどんどんと様子が変わってくるでしょう。早く広くて大きな道へを出られるようしっかりと勤めてもらいたいのです。その大きな道が現れるのはいつのことだ思いますか。もう目の前まできているのですから、しっかりと勤めてほしいのです。これまで伝えてきたことをしっかりと受け止めて、理解する努力を惜しまずに、神様の心が悟れる酔うになって貰いたいと願うのです。神様の心がしっかりと悟れるようになったなら、どんな病気も災いもすっきりと御守護くださり、涼やか心でこの道を歩むことができるのです。その為に大切なこと。それはもちろん神様への祈りを捧げることです。そのためにまず「てをどり」を教え、それから「かぐら」を教えてきました。そうやって細々と世界を救う道をつけてはきたのですが、なかなか、この祈りの大切さが分かってもらえないので、ちょうど草がいっぱいに生い茂って道が消えて分からないような状態にまでなってしまいました。ですから、この道をしっかりと誰もが分かるよう、しっかりと神様への祈りを捧げることが大切です。一刻も早く神様の望む道に出たならば、日々心に喜びをもって、しっかりとこの道を歩んで欲しいのです。神様の望む道となって多くの人々が歩むようになったなら、やがてはきっと世界中の人々の喜びが満ちあふれる社会へと変わっていくのです。たとえ距離的には「ぢば」のすぐ近くに住んでいても、心は神様の心から特に住んでいる人々に対して、特に残念に思っているのです。出来るだけはやく神様の声に耳を傾けてこの道を歩んで欲しいと説に願っているので、なんとかしっかりと考えてほしいのです。